まとめ管理人(@1059kanri)さんの人気ツイート(古い順)

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こちらの本で印象的だったのは元亀元年、近江国野洲郡の所領を信長が、柴田勝家と中川重政の両人に朱印状を与えたため両家の紛争となり、ついに重政の弟の左馬允が勝家の派遣した代官を襲撃、殺傷するという事態に至た事件についてで、結果として重政兄弟は改易されたものの chuko.co.jp/shinsho/2023/0…
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信長が家康に下した「高天神城の降伏を許容するな」という話、信長からの強圧的な命令と認識されがちですが、実際の信長からの書状を見ると『私はそのように思うのですがいかがでしょうか?そちらの御家中でよく話し合って良い結論を出してください(意訳)』という感じで、非常に丁寧 #どうする家康
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今週に成って家康公が一気に、青臭さが無くなり海千山千の武将の雰囲気に成りましたね。いやあ、役者さんって凄い #どうする家康
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というか最後まで「武田『四郎』勝頼」でしかなかったことが、彼の内部的にも外部的にも弱い権威性を表しているとも(一応「大膳太夫」を名乗ってはいたらしい) #どうする家康
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確かにこの光秀は信長公でなくてもちょっと殴りたくなりますねw #どうする家康
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家康が月代を剃る前と剃った後で、ドラマの雰囲気自体も大きく変わりましたね。偉いものです #どうする家康
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戦国期、特に後期の「武田、上杉は天下最強」という評価、現代では様々な研究の成果等から「それは過大評価」という見解も多いと思いますが、実はこれ、信玄謙信が争っていた同時代から畿内でもそのように言われており、実態はともかく同時代の世間一般の認識でもそうだった、という事は確かなようです