まとめ管理人(@1059kanri)さんの人気ツイート(いいね順)

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水戸天狗党処分の凄惨さを物語る、武田耕雲斎の家族の惨状。三歳の幼児まで  #青天を衝け
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北条義時は、どうもその死後間もなくから鎌倉幕府滅亡あたりまで割と広く「武内宿禰命の生まれ変わり」と言われていたらしく、おそらく武内宿禰命が転生した有名人としてはほぼ唯一なのではないだろうか #鎌倉殿の13人
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浅井長政の信長からの離反の理由は未だ諸説ありますが、「朝倉との旧椽云々」というのは最近では否定されていて(むしろ浅井朝倉は長く敵対関係にあった)、本質的には浅井を京極被官とするなどの、信長からの待遇への不満であったとする説が強いと思います #麒麟がくる
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ちなみに、織田信忠の小姓たちは美少年揃いで、同時代でも相当有名だったらしい。
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織田信長が仏教勢力と戦ったように「見える」のは、はっきり言えばなりゆきとたまたまの積み重ねを後世の価値観で偏った評価をしたにすぎず、信長は当時の価値観の範囲内で、おおよそ現実的に、常識的に対処していたに過ぎない、という事です。
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強右衛門さん( ;∀;) なお、彼の息子が関ヶ原合戦の後、逃亡していた安国寺恵瓊を捕らえるという勲功を立てたとされます #どうする家康
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もう何と言っていいのか。なかなか言葉では言い表せない義時の最期でした。本当に記憶に残る大河でした。 #鎌倉殿の13人
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ただ「本願寺を叩け」というタイトルの割にはむしろ本願寺にフルボッコにされていた回であった #麒麟がくる
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またこの事について「信長は仏教を否定したのではなく、仏教など宗教勢力が武力を持つことを否定していたのだ」なんて事を言う人も結構居ますが、信長は「武力を持った仏教勢力」そのものである根来衆とその死去まで同盟関係にあり、別に嫌ってません。
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ドイツのワイマール共和国期初期の「選挙」の勝ち負けなるものが概ね、各政党の私兵団がその選挙区を暴力によって占拠できたかどうかで決まる、という強烈な陣取りゲームの世界だったらしい、という話に複雑な感慨を抱く
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まあ実際には三方ヶ原まで、北条や上杉謙信と同盟したり武田と織田の婚姻を邪魔したりと信玄の神経を逆なでし続けたのが家康なんですけどねw #どうする家康
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坂下門外の変で安藤信正は生き延びますが「背中に傷を受けるというのは、武士の風上にも置けぬ」などと批判され、結果的に老中を罷免されました。武士とは老中でもそういうものだったわけですね #青天を衝け
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この時のコレラの流行では、日本は横浜の欧米人から手洗いの徹底などを進言されたもののそれを無視したことが大流行につながったとの見解もあるそうです #青天を衝け
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司馬遼太郎は作品の中で、話の展開の都合でエピソードを創作するのは別に良いのだけれど、それがあたかも史料を参照しているような書き方をしており、これは司馬先生流の「リアリティ」の出し方なのでしょうけど、それを真に受けて史学的にも正しいのだと勘違いしてしまった人も大量に生み出してしまい
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義経の平泉入りは、源義朝の妾で彼の母であった常盤御前の再婚相手である京の公家・一条長成が、同じく元々京の公家で長成の親類であり、奥州藤原氏の政治顧問であった藤原基成に働きかけた結果とも言われますね。義経は平泉では藤原基成邸に居住していたようです。 #鎌倉殿の13人
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畠山重忠は本当に最高の武士だな #鎌倉殿の13人
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今回三方原の報告がありましたが、有名な「しかみ像」は、三方原の時の家康を描いたもの、ではなく、それどころか家康を描いたものですら無い 可能性も高そうです #麒麟がくる
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頼朝らの宿舎に侵入した曾我祐成は仁田忠常に討たれたわけですが、この仁田忠常は北条時政の側近であり、ここから、曾我祐成は、頼朝ではなく北条時政の命を狙ったとする説もあります。 #鎌倉殿の13人
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この三方ヶ原の時「家康公を助けた」という伝承が三河遠江地域には山ほどあり、その殆どが「この礼として神君より○○のお墨付き、特権を許可された」という話とセットになっており、多くは江戸期に入ってそれら惣村、集団の既得権を幕府に認めさせるために作られた伝承と考えられます #どうする家康
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石田三成の「嫌われ設定」というのは、実際にはほぼ後世に付加された物と考えられ、実態としてはあんな極端な性格ではなく、よくも悪くも同時代的の「常識的」な範囲内にある人格だったと考えられる。
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本当に義時の思考の在り方がどんどん頼朝化してますね #鎌倉殿の13人
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何度か言ってますが 「甲斐の虎」武田信玄→龍朱印 「越後の龍」上杉謙信→獅子朱印 「相模の獅子」北条氏康→虎朱印 #どうする家康
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ヨーロッパでかつて同じ重さの黄金と同じ価値があるとされた胡椒が、12世紀ころから供給の増大と安定によって低価格化し、それによって、かつて大変な価値が有ったことは知られていても、「何であんなに有り難られていたのか」解らなくなり、現在に至るまで諸説入り乱れているの割と好き
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そーいえば「義経の逆落し」の場所が鉄拐山か鵯越かという場所の比定は、源平合戦の研究でわりと古くからある論争ですね、その辺りをドラマに取り入れたのですね #鎌倉殿の13人
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「ヒトラーは戦争さえしなければ」なんて話も偶に言われたりしますが、ヒトラーのドイツは戦争をしなければ早々に借金で経済破綻して国が潰れる状況に追い込まれるようになっていたので、そもそも「戦争をしない」という選択肢自体が無かったわけですね。