まとめ管理人(@1059kanri)さんの人気ツイート(いいね順)

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日本にキリスト教がいまいち広まらない事に、やはりどこか「一神教」というものへの警戒感が今も残っている感があるのですが、カトリックなんて実質多神教以外の何物でもないので、仏教と同じようにカトリックの聖人が日本の神々に「本地垂迹」したと再設定すれば信仰するハードルは相当低くなると思う
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うわー、これはまさか全部義時の罠か? #鎌倉殿の13人
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よく、島津久光は西郷隆盛に好感をもっていなかった、徳川慶喜は勝海舟に好感をもっていなかった、この事にそれぞれ久光、慶喜の主君としての能力の無さが論じられる事が間々あるのですが、同時代史料なんかを見ていくと、むしろ問題が有るのは西郷、勝の側だよなあ、とか感じちゃうのですよねw
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しかし本当に、ゲームとかの最終ボスの側の物語ですね、この大河 #鎌倉殿の13人
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ガンダムっておそらくファーストから基本的には「議論による合意形成とかクソ覚醒した者が人類を導く」派と「覚醒とかいいからちゃんと話し合え意思疎通くらいしろ」派の対立だと思っているのですが、#水星の魔女 は割とそれを極端に構図として描いてる気がする
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「上様は天下のことで精一杯」 実際この時信長は三好勢力との戦いのために畿内から身動きできない状況でした #どうする家康
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梶原景時の讒言というのも結局『吾妻鏡史観』ですなあ #鎌倉殿の13人
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この三河一向一揆は、本山である本願寺や他の本願寺派勢力との連携も一切無い、いわば「孤立した一揆」でもあったわけですね  #どうする家康
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真面目に突っ込むとこれは当時の真宗本願寺派の考え方を捻じ曲げておりますな  #どうする家康
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五月十九日、阿野全成に謀反の疑いありとして、源頼家によって派遣された武田信光により捕縛され、常陸国に流罪となったことを伝える『吾妻鑑』建仁三年(1203)五月条 #鎌倉殿の13人
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ちなみに武田系の史書である『甲陽軍鑑』ではこの姉川の戦いを「信長は兵の少ない浅井相手に苦戦してた。あの戦いに勝てたのは家康のおかげ(意訳)」と評しています。まあここだけではなく甲陽軍鑑は信長への極端な過小評価が多いのですが #どうする家康
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まー、後者の方が本来「革命家」らしいわけですが、現在一般に広まってる「大西郷」イメージを形成した大本は勝海舟でしょうね。アレは「西郷隆盛は偉い。そんな西郷と組んで江戸無血開城とか成功させたオレは超偉い」という自己宣伝だったのでしょうけど。
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確かに日本の城郭は防御という以上に「どうすれば一番効率的に敵勢を殺せるか」という思考の集合体であり、基本「攻撃こそ最大の防御」という発想から形成されているわけであり、すなわち日本の「難攻不落の城」とは最高ランクの吸血マシーンという意味である。>RT
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初期ナチスが弱小政党だったというのは、つまりこの私兵団が弱小だった為であり、事実ナチ党の私兵団であった突撃隊の拡充とともにナチス党勢も拡大しており、「民主主義」って制度だけではどうにもならないものだなあとも。
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島津氏自体はそもそもが摂関家の職員だった京の武士であり、中世から近世を通して見ても、むしろ文化的な資質が強い体質だったように思う。
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現代社会では日本に限らずおおよそ世界的に、紛争は話し合いで解決するのが最前で、武力を用いるのは最後の手段、という認識が一般的であると思いますが、中世の武士においては紛争において相手を武力で屈服、殲滅させることが最善であり、話し合いなどは次善三善ある、という意識が間違いなくある。
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というか、浅井長政が美化されたり、当時の存在感についてやたら過大評価されたのは、結局彼の娘である淀殿が秀吉の側室となり秀頼を生んだためですね。それにより何のかんので浅井残党が淀殿の元に集まったフシもあります。
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明智光秀やら石田三成やら吉良上野介義央やら、世間的には評判が必ずしも良くない人物は、多くの場合、「世間では評判悪いけど、地元(所領)では名君だったんだよ!」という「再評価」をされがちですね。しかもそういった再評価は同時代ではなく、ほぼ明治後に形成されてる。
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個人的に織田信長は本能寺の変が無かった場合でも、それまで徐々に進めていた近江の織田直轄領化を為した辺りで個人としてはタイムアップだったと思う。
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この敦賀、後に家康の次男、結城秀康の領地となります #どうする家康
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江戸幕府という権力は家康の段階で既に「国内の平和」の実現を強く意図しており、それは勿論、権力の正当化のためでもあり、また大坂の陣のように、自らに歯向かう者を容赦なく武力で殲滅する「平和」ではありましたが、しかし武力紛争の停止をほぼ実現した事については、やはり高い評価があるべきかと
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割りと真面目に、この氏真なら今川滅びなかった気がする。 #どうする家康
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有名な所領一直線分割 #鎌倉殿の13人
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戦国大名の「改姓(改名字)」といえば、伊勢→北条、長尾→上杉、松平→徳川、斎藤→一色、なんかがありますが、斎藤→一色からだけは家格上昇のポジティブさよりも、ネガティブな要素をどうにか覆い隠したいという意図を感じなくもない。
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前作で、権力や体制を守るために文字通り修羅にも悪鬼にもなった主人公を見ていただけに