まとめ管理人(@1059kanri)さんの人気ツイート(いいね順)

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実際の武田信玄は、戦国大名デビューして間もない徳川家康に足元を見透かされていいようにあしらわれ屈辱に塗れ三年間も臥薪嘗胆する羽目に陥るわけであり、家康が信玄から学んだとすれば「いくら優位の立場に居ても相手を追い詰めすぎると逆ギレされて危険」という辺りかとも
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「泉親衡の乱」についての吾妻鏡の記事。 建暦3年2月15日、阿静坊安念という僧が千葉成胤の元に、源頼家の遺児千寿丸を擁した陰謀への参加を求めて来たところ、成胤がこれを北条義時に報告したことで発覚。阿静坊安念は捕縛されると陰謀の関係者を自白。 #鎌倉殿の13人
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実は三方ヶ原合戦も昨今様々な説が出ていて、当初双方に決戦意図はなく遭遇戦のような形で衝突したのではないか、というものも #どうする家康
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どう受け止めればいいのか
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徳川家康と豊臣秀吉の関係性、特に秀吉晩年において、秀吉は家康を「警戒していた」というのがまあ現在も一般的な評価だと思いますが、わりと昔から一部(ひねくれた)歴オタは「警戒してるのに権威も権力もガンガン増大させてるのは変だろ」と言い続けていたなあ
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現在の研究では足利義昭は、この三方ヶ原合戦の時点では未だ信長との連携を守っていたと考えられています。義昭の信長からの離反はもう少し後ですね #どうする家康
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大河ドラマのタイトルの元ネタになったとも思われる、麒麟の「麟」の字を用いたと言われる織田信長の花押。しかしこの花押の文字、どうも同時代から何の文字が書かれているのか全く不明で、おそらく麒麟の「麟」だろうと比定されたのは、何と戦後の事。 #歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
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この信長は既存の「革新家信長」像と近年の中世における常識的武将としての信長像のミックスなんですね、基本的に #どうする家康
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歴史というのは多くの場合「ストーリー」として理解されると思いますが、それが良く出来たものならものほど、実際にはフィクション性が高いわけです。たとえ連続したものであっても、多くはそれぞれ独立した事実、事象なわけですから。「歴史を知る」というのは、ストーリー性の解体という面もあります
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ここ4、5年で「鎌倉武士」のイメージって、特にサブカル界隈で劇的に変わりましたねー
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「我等は取次」これは昨今の鎌倉幕府研究における主流の考えですね #鎌倉殿の13人
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確かにこの光秀は信長公でなくてもちょっと殴りたくなりますねw #どうする家康
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次回タイトルが『時を継ぐ者』。わりとどうでもいい話ですが鎌倉中期の北条一門に北条「時継」(苅田時継)という人が本当にいます。 #鎌倉殿の13人
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『吾妻鏡』建保5年(1217)4月17日条 唐船が完成し、由比ヶ浜から曳かせるが、船は海に浮かぶ事無く、砂浜に朽ち損じたという、「午の刻から申の刻まで(正午から午後4時ころまで)」もちゃんと書いてあります。 #鎌倉殿の13人
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この大河、群像劇というより、一種のオムニバスドラマみたいな構成してるなあ #どうする家康
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#戦国時代ファン面倒臭い仕草 実は頑なに「真田幸村」とか「北条早雲」とか言い続けてる人のほうが面倒くさい。
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「近世」を基準とした場合、今川、北条、武田の東国三家が戦国期における最先端集団だった、という事は歴オタ層にはほぼ常識なのだけれど、一般層にそんな認識は殆ど無い、という事をふと思い知らされた
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おお、現状ほぼ実在が否定されている信長と家康の清須対面 #どうする家康
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もしかすると来年の大河を契機に、一般的にも徳川家康のビジュアルイメージが大きく変化し始めているのかもと思えてきた。これなんかタイトル見て初めて「ああ、これ家康か!」と気がつくレベルw
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途中で何らかの解決が図られない場合、結果として戦国大名同士の大きな争いとなる、というケースの方が多いという印象があります。いわゆる「境目相論」というのもそういうものですね。戦国期、戦国大名が領域に責任を持つ「公儀」であると自己規定したことが、戦争の深化を促したとも言えそうです
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本能寺の変の報を受けての、柴田勝家の越中からの反転速度は実は秀吉の「中国大返し」よりも早かった、と言う事らしいのですが、だとすると益々秀吉の「中国大返し」は、かなり常識的な反転速度だったという事ではなかろうか。良く言われる「信長のための道路整備や物資集積」もあまり関係なかったかも
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高杉晋作も、早死したおかげで「英雄」と評価された部分は実際大きいと思う
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ところがこれを聞いた家康は「ハァ!?わざわざ三河から来たのに2番手とかナめとるんですか先陣やらせろ!さもなくばこのまま帰国する!!」と既に編成が終了していた信長を脅しあげて朝倉への先陣を勝ち取っています #どうする家康
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そうそう、「織田信長は朝廷と対立し天皇権威を乗り越えようとした」いう見方は、「信長は新興『近世』勢力の代表であり、旧勢力である朝廷勢力とは必ず対立し乗り越えようとする『はずだ』」という発展段階論的発想そのものでありながら、何故か日本の「保守派論壇」というのはこの見方が大好きであり
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歴史用語の中で、例えば「悪党」や「婆娑羅」なんかをある種の反体制的集団やムーブメントと捉え、それらが時代を動かす、変化させる原動力となった、みたいな評価をされることが間々ありますが、このあたりの言葉はダイレクトに悪口、レッテルであり、言われた当人にとっては侮辱そのものであり