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一向宗に限らず、当時の仏僧の「説教」が一種のトークライブだったというのは正しい #どうする家康
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来週は信長、光秀、秀吉、家康、朝倉義景、浅井長政と、現時点のオールスター感がありますね。 #麒麟がくる
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「忠興殿は面白い旦那様だな」確かに色んな意味で超面白いしなんなら年取ってからの方が面白い。#麒麟がくる
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長く側近として仕えながら、実際には今ようやく、義時は源頼朝を完全に理解したということなのでしょうね。
#鎌倉殿の13人
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あ、ちなみに光秀は信長から比叡山旧領の領有を認められたのを良いことに、山門領だけでなく、門跡領も横領したため、正親町天皇から直々に信長に抗議されております #麒麟がくる
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中世の世相を特徴づける「自力救済社会」について、たまにこれを「実力主義」「自由競争」と読み替えちゃう人も居られますが、要はこれ「ミウチ、ナカマ以外は誰も信用しない、出来ない社会」の事ですからね。
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そもそもの原因である自力救済社会が解消されれば、ごく合理的な判断として過大な負担となっていた武力所持も解消されるわけなのです。
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織田信長が事実上の「天下人」となり得たのは、この長篠の戦いでの勝利によるとされ、これについては信長研究において、諸説ほぼ一致しているかと #どうする家康
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つまり、歴史の流れという観点から見て、「鎌倉幕府」という権力のあり方の、影の面を象徴した最終回でもあったのではないか、そんな事を多少この時代についての知識を持つ者として感じた、というお話でした。 #鎌倉殿の13人
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確かに浅井長政くらい、一般的なイメージと歴オタからの印象が異なる武将も珍しいかもしれない。世間的には義兄信長に背いてまでも義を貫いた義将、みたいな感じであり、歴オタ層的には『裏切り寝返り常習犯』
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この文覚の言葉で全て察するのだから、このドラマの頼朝は確かに一流ですねー #鎌倉殿の13人
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光秀の「駄目だこいつ、早く焼き討ちしないと」ゲージがどんどん溜まっていく感 #麒麟がくる
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徳川家康を支えた三河武士はよく「質実剛健」などと言われたりしますが、あの人たち、その「質実」で溜め込んだものを甲冑や武装に注ぎ込んで戦場にいかに派手で目立つかを競っていた感がある。ある種のカーニバル体質。
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摂津晴門は、実際には元亀二年七月、伊勢神宮の禰宜職に関する独断での武家執奏について義昭の怒りを買い、逼塞を命じられ、同年11月に伊勢貞興が新たな政所執事に任命されています。
#麒麟がくる
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蘭奢待切り取りの許可は正親町天皇の独断に近かったらしく、金子拓先生によると、三条西実澄が書状で天皇に対し、この手続の不備をたしなめているとか #麒麟がくる
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この河田次郎の処刑は武家の先例とされ、故に信長の甲州征伐に際し武田勝頼を裏切った小山田信茂も処刑されたわけですね
#鎌倉殿の13人
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今日は関ヶ原イブですが、石田三成は関ヶ原の首謀者とされているものの、「西軍」の挙兵からの史料を見ていくと彼はあくまで、増田長盛、長束正家、前田玄以といった大阪の「三奉行」の指示を受けて行動する立場であり、指揮命令系統で言えば三奉行の下部に位置しており、とても「首謀」とは言い難く
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西郷隆盛とかも、一般的には大度量大寛恕の人とされているのですが、同時代史料、特に本人や薩摩藩のものを見ると、好悪が非常にはっきりしていて一度敵認定すると関係者まで含めて終生嫌い抜く執念深く心の狭い人物像が出現し、「世間のイメージ」なるものがいかに信用ならないかよく解るわけで
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史学的に言うとこの、正親町天皇の退位を信長が強要していた、というのは現在否定的に見られています #麒麟がくる
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まー、真面目な話、戦国期だと後継者である嫡男およびそのスペアの男子さらにそのスペアの男子、くらい揃っててはじめてその家の継承は「安定している」と言えます #どうする家康
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実際『愚管抄』には、頼家は後継者を一幡とし、さらにその後見人を比企能員に決めたとありますね。つまり比企側には強い正当性が在った
#鎌倉殿の13人
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あ、ちなみに史実で言うと、さっきの清洲織田家攻略からこの斎藤高政の兄弟謀殺まで、1年以上経っていますねw #麒麟がくる
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まー今回の描写で武田義信が「こんな武田家は嫌だ父をなんとかして文明的な今川みたいにならないと」と思ったことは理解できる #どうする家康
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こちら運慶肖像とされる木像。似てる
#鎌倉殿の13人
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なお長篠の戦いは、基本的には勝頼vs家康の合戦であり、信長勢はあくまで「援軍」という形でした。よって戦場で武田と主に戦ったのも当然ながら徳川軍でした。 #どうする家康