繰り返しますが、学習障害などで読み書きに困難さがあるからって、読み書きが嫌いと決めつけるのは本当にやめた方が良い。「出来る・出来ない」と「好き・嫌い」は別次元の話。 大切なのは、「出来ない」によって「好き」の権利が剥奪されないこと。ICT等の代替手段を用いて”好き”を保障すること。
「出来ないことを出来る様にする」を目指すのが障害支援ではなくて、何かに挑戦したい人が障害のせいで挑戦できない、楽しみたい人が障害のせいで楽しめない、オシャレしたい人が障害のせいでオシャレできない・・こうした「障害のせいで‥」を解消することが、本当の意味での障害支援だと思うのです。
「大学院に行くなんて無駄。早く就職して社会に出た方が良いに決まっている。」と言われて落ち込む学生がいたので、「必死で悩んで選んだ進路に一方的にダメ出しされると辛いよね。相手の選択を尊重してくれる人を大切にすると良いと思うよ。」と伝えておいた。
講義の最後に「質問ありませんか?」と言っても、手は上がらない。そこで、「講義の感想を隣の人と共有して、質問を考えてみましょう。質問を思いついたらチャットで送ってね。」と伝えたところ、質問が来る様に。質問ができない事を責めるのではなく、質問しやすい環境で経験を重ねる方が大切かと。
「ボランティアは世のため人のために参加するものではなく、活動を通して自分の知見を広げる、いわば未来の自分に対する投資だよ。」と、学生には伝えている。 「誰かのため」という気持ちが強すぎると、逆に迷惑がかかる可能性すらあるんですよね。
百人一首を皆でやろうとするも、メンバーの中に聴覚障害の子がいた。どうするかな・・と観察していると、「百人一首の代わりに何をさせよう‥」と悩んでいる大人の思惑を無視して、「手札を画面に映せばいいじゃん!」と楽しそうに話す子供達。この差は何気に大きいな・・と感じた出来事。
「障害のある人には優しくしましょう。」的なことってよく言われがちですが、障害のある人に「優しく」するのではなく、「障害を解消してお互いがwin-winになれる社会をつくりましょう。」なんですよね。
「活動は素敵ですが、男性のスカートはどうせ流行らないですよ。」と言われます。ただ、スカートは体温調節や着脱のし易さなど、障害や困難さのある方にとってメリットが沢山ある。流行らなくても「男性が穿くのもアリだな」と思ってくれる人が一人でも増えるなら、僕は喜んでスカートを穿きたい。
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「○○さん、きっと発達障害だと思うんです。」と相談された際は、「○○さんが困っている、もしくは苦しんでいるのなら、それは障害です。障害は解決したいのに出来ない”ハードル”。もし困っていないならそれは特性であって、障害ではないですね。」と前提を伝えると、その後の展開がスムーズにいく。
不登校になって15年以上自宅から出れなかった彼に、「これまで誰にも信じてもらえなくて辛かったよね。人の視線が痛いこと、雑音が耳に刺さって辛いこと、僕は信じるよ。」と伝えた。彼は今、外で働くことが出来ている。彼に必要だったのは外に出る訓練ではなく、辛さを共感してくれる人だったのです。
「背景が白の紙にプリントされると、チカチカして文字が読みにくいです。」ともし自分が言われたら、「もしよければベストな紙を持ってきてくれる?その紙に印刷しますね。」or「良ければデータで送りますね」と伝えると思うのですが・・。これが特別扱いという発想になるのは何故・・?
「廊下は走らない!!」と指導して終わるのではなく、「走ると怪我するから、廊下は歩こうね。」と指導することが大切だと思っている。指導する側って、不適切な行動に対してはすぐに注意するのに、適切な行動の提示を省略する傾向があるんですよね。。
「ユニセックス・スカートなんて開発しても、どうせ誰も穿かないのでは?」という質問を頂戴しますが、実はそれはそれで構わないと思っています。 だって、「選ばない」は、選択肢が準備されている状況ではじめて生まれる権利ですから。
学校での合理的配慮って確かに大切だけど、本人の「学びたい」ではなく、大人の「学ばせたい」が前提になっている気がして仕方がない。
「講義を欠席する際は謝らなくて良いです。体調は個人差があるし、体調が悪ければ堂々と休んで下さい。」とTwitterで呟いた効果なのか、「体調不良で欠席します。宜しくお願いします。」という欠席連絡が増えた。体調不良を謝らなくて済む社会になって欲しいと願う僕にとって、少し嬉しかった出来事。
4月2日は #世界自閉症啓発デー 自閉症の方への配慮というと難しく感じるかも‥ですが、例えば、並ぶ位置が一目で分かるレジ前の足型や、残りの駅数が一目で分かる駅名表示など、感覚的なものを絵や写真で視覚的に表現するだけで負担が減ります。でもこれって、実は多くの人に優しいデザインですよね。
「スマホをいじる位なら講義に出るな。」というツイートが流れてきた。学ぶ気がない学生に単位を出す必要はないが、様々な理由でメモが困難な子にとってスマホは手軽に記録できる道具でもある。「スマホをいじる=学ぶ気がない」というバイアスは、そろそろ変化しても良い頃合いだと思う。
「うちの子、どんな大人になって欲しい?」と妻に尋ねると、速攻で「人生を楽しめる子。」と返ってくる。逆もまた然り。正直、誰かに迷惑さえかけなければ、それでよい。 だって、成績が優秀なことより、良い大学に行くことより、人生を楽しむことの方が遥かに大切で、かつ難しいことですから・・。
講義の最後に「質問がある人は挙手してください。」と言っても、手が挙がる確率は低いし、挙手しても特定の人だったりする。そこで、「今から立ち歩いて周りの人と話し合って良いので、質問を考えてスマホからチャットで送ってね」とお願いしたところ、積極的に質問が来た。質問しやすい環境って大切。
忘れ物が多くて悩んでいる人に「なんでメモしないんだ!」みたいに責めないでください。既に失敗経験を繰り返しているので余計に辛くなります。一方で、「アラームかけてみたらどう?」と声をかけて頂けると嬉しいです。悩んでいる人が欲しいのは指示ではなく「工夫の選択肢」なのです。
学生には「就活は良い企業に就職するための活動ではなく、自分の特性や性格とのギャップが少ない仕事を探す活動。正直、働いてみないと分からないから、ギャップが大きければすぐに辞めれば良い。解決困難なギャップを埋めようと努力すると心が病むからね。」と伝えている。教え子が病むのは辛いから。
「制服のせいで不登校になる。」 嘘みたいな話ですが、本当の話です。皮膚に過敏性があると、襟の縫い目が首に触れただけで、かなりの「痛さ」を感じてしまいます。正直、勉強どころてはないですよね。そんな状況で「集中しなさい」と言われてしまうと、学校に行く気力がなくなってしまう訳です。
「年越しそば、どん兵衛にする?」に、「やったー」と喜ぶ子供達。世間的には手抜きと言われるかもしれないけれど、手抜きで生まれた時間を家族と共有できるのであれば、こんなに素敵なことはない。 手抜きで皆がhappyになれる方法を模索するって、実は大切な事だと思うんですよね。
「うちの子、ゲームばかりしてしまって‥」という相談をよく受けるのですが、ゲームが上手いことで少ない自尊心を保っているケースがあります。無理にゲームを辞めさせると唯一ある自尊心が削られてしまうので、ゲームを通して他の出来る事を探していった方が良いんですよね。