大学時代、朝起きるのが難しいタイプの教え子達と、卒業後に久々に会った。「先生の講義は途中で入っても叱られない(むしろ、よく来たと褒めてくれる)から、間に合わなくてもとりあえず行く習慣がついたんですよね。あのお陰で今は起きれてますよ!」と言われ、配慮が習慣に繋がる可能性に気づいた。
補足・・子どもが主体的に関わることを批判している訳ではありません。6年生が1年生を・・も別の話です。「お世話」というワードと、ワードに含まれる感覚の話です。
「全ての生徒に優しい授業なんて無理」というのは正論なのですが、だから排除しても良いという理由にはならない。優しくしようとしてうまくいかない授業と、最初から諦めている授業には差があるし、この差って生徒には伝わるんですよね。
子どもが不登校だと「学校でいじめられたの?」とレッテルを貼られがちですが、不登校の原因は心的不安、無気力、学習面の悩み、家庭の問題など様々。そして、本人ですら学校に行けない理由が分からないケースは多い。「不登校の理由は多様」という事実が広まるだけでも、救われる子は多いんですよね。
「私、平熱が37.5度なんです。だから、健康だけど怖くてどこにも行けないんです。。」という声を聞いた。確かに、コロナ禍であらゆる場所に検温があるし、人から疑われるだけでストレスだろう。 障害って、環境次第で発生したり消滅したりすることを改めて実感。
バズっているので宣伝です。 我々が開発した、障害の有無や性別を問わずに穿ける巻きスカート「bottom'all」が、10月20日㈬〜26日㈫名古屋タカシマヤで販売されます。障害者就労支援事業所で縫製しており、収益は全額事業所とパリコレ開催への基金に使用します。お近くの方は是非お越しください。
「信じて貰えないと思うのですが、実は周りの音が『色と形』で見えてしまうんです。だから、すごく疲れやすくて‥。」と相談されたので、「信じますよ。それは共感覚といって、稀に見られる脳機能の特性です。」と答えたところ、「本当!?誰にも言えなかったから嬉しい。。」と安堵されたんですよね。
我が家では、感謝はするが「手伝い」という言葉を使わないルール。共同生活をする限り家事は分担するもので、皆が得意なことを担当すれば皆がhappyになる。少なくとも、息子が将来結婚した時に、パートナーに「家事、手伝おうか?」「日曜、子供預かろうか?」系を言わない大人に育てたいんですよね。
学校に休まず行くことって美化されがちだけれど、自分の心を大切にして適度に休むことって大切だと思う。休みたいという気持ちを尊重し、休むことの大切さを知るのって、決して甘やかしではないし、むしろ大人になった時に必要な事だと思うんですよね。
「講義中、スマホを触ってOKです。調べ物やノートテイクなど、自由にお使いください。LINEしてもゲームしても構いませんが、講義中なので私に画面を見られる可能性があります。」と伝えている。 分からない事を放置せずに調べるのは大切だし、学びたい学生が快適に学べる環境って大切かと。
「トイレのスリッパが揃ってない!!」と叱る前に、揃えることを思い出させる仕組み(足型を貼るなど)を作るなど環境を整え、揃っていることを褒めるなど行動が増える声かけが必要なんですよね。「揃えたいけれど忘れてしまう」という特性を無視すると、自尊心が削られる一方なんですよね。
読み書きに困難さがあっても、120%の力で頑張れば読み書きが出来てしまうケースがあります。こうしたケースは、子供達の「ストレス」を見逃さないことが大切。そういう意味で、「昨日できたから今日も頑張れば出来るよ!」は、実はかなりブラックな指示なんですよね。。
感覚過敏は頑張れば我慢できてしまうケースがあるから難しい。例えば、衣服が肌に触れるだけで激しい痛みを感じる場合も、耐えれるが故に我慢してしまう。でも、我慢するとストレスが蓄積され、追い込まれるのが現実。 故に、誰もが気軽にSOSを出せる環境が大切だし、そこがもっと評価されて欲しい。