「好き嫌いをなくしましょう」の意味は、「嫌いなものを無理矢理食べましょう」ではなくて、「好きなもの、食べられるものを増やしましょう。」なのかと。茄子は煮浸しは無理でも揚げ茄子なら大丈夫・・など、選択肢を増やすイメージ。楽しく食べるって、生きる上でとても大切なことですよね。
「持ってくるのを忘れました。次は気をつけます‥。」と学生から言われたので、「気をつける‥という根性論よりも、ラクして持ってこれる方法を考える方が大切だよ。とりあえず、iPhoneならSiriでリマインドしてみたら?」と答えた。後日「Siriのおかげで持ってこれました!」と満面の笑顔。良かった。
合理的配慮って「他の人と同じになる」を目指すものではなく、他の人と異なる方法を尊重することなんですよね。
「車椅子ユーザは、わざわざ段差のある店に行かなくても違う店で買えば良い。」という意見もあるでしょう。単体で見れば大した問題に見えないかもしれない。しかし、塵も積もれば山。やがて大きな生き辛さとなります。そして何より、自分が病気や怪我をした時に生きやすい社会であって欲しいのです。
センター試験における合理的配慮の一つとして、不安障害や過敏性腸症候群と診断されるなどトイレに頻回に行く可能性がある場合、トイレまで近い試験室または通路や出口に近い座席・場所を優先的に指定できます。受験生に最高の状態でセンター試験を受けてもらうためにも、知って頂けると嬉しいです。
「授業中にそわそわ動く子がいて・・真面目に授業を聞いてくれません。」と質問されたが、動くことで集中力が高まる子がいます。むしろ「真面目」な可能性すらある訳で。。 個人的には「動いても周りの子に迷惑にならない工夫や環境づくりって出来ないでしょうか?」という質問の方が嬉しい。
学校現場で「特別扱いはできない」という理由で、一方的に合理的配慮を拒まれる(話し合いの機会すら拒まれる)ケースは残念ながら未だに残っている。学校は「特別扱い」というけれど、障害や困難さにより1人だけ他の子供達と授業を受けられない状態そのものが「特別扱い」だと思うんですよね。
子ども達に必要なのは「このままだと大人になって困る」というネガティブな見通しではなく、「こうすると大人になっても困らない」というポジティブな見通し。ネガティブな見通しは子ども達の未来に負のレッテルを貼ってしまう可能性があるので、ポジティブな見通しを示すことが大切だと思う訳です。
「失敗は成長に必要だ!」と言われてきたので、教員になりたての頃は学生に失敗経験をさせようと思っていた。でも、失敗経験は学生の意欲を低下させるだけ。メリットがない。自分の意思で挑戦して失敗するのは成長につながるが、他人に押し付けられた失敗経験はトラウマを生み出すだけなんですよね。
「イライラすると廊下に飛び出す子がいるのですが、どうすれば防げますか?」と質問されたので、「廊下に飛び出さないを目指すのではなく、廊下に飛び出す理由を子供に聞いてみませんか?」と伝えた。後日、「教室で爆発しないために飛び出した模様です。本人に聞くって大切ですね。」と報告。嬉しい。
「持ってくるのを忘れました。次は気をつけます。」言われたので、「気をつける…という費用対効果が低い根性論よりも、ラクして持ってこれる方法を考える方が大切だよ。とりあえず、iPhoneならSiriにお願いしてみたら?」と答えた。翌週「Siriのおかげで持ってこれました!」と満面の笑顔。良かった。
「不注意性を治すよりも、不注意性が強いことを前提に動くといいよ。」と伝えたところ、「不注意性は治さないといけないものだと思っていました。不注意性が強くても、対策をしておけば問題が発生しない。そう思うと、なんか前向きになれました。」と言われた。 前向きにするのが本当の支援だと実感。
小学校で教員をしている教え子が、「テストに書く名前は【習った漢字】しか使ってはいけないというルールがあるんです。ルールは疑問があるけれど、ルールがコロコロ変わるのも・・と思ったので、『漢字で書ける人は挑戦してみよう』という欄を別途設けてみました。」と言っていて、思わず感心した件。
社会人に有休制度があるように、学校にも気軽に休める仕組みがあれば良いのに・・と思う。社会人でなくてもストレスが溜まるのは一緒だし、休む権利はあると思うんですよね。
障害や困難さのある子に対して「困り感を解消しましょう!」というのは確かに大切ですが、子供からすると「何に困っているのか分からない‥」のが実情。つまり、困ることすら出来ていない部分が問題な訳で、原因不明な慢性的なしんどさを言語化する部分から丁寧に始めていくのが大切だと思うのです。
「友達100人出来るかな?・・出来ません。大切にしたい人を大切にして、それ以外の人とは適度に付き合いましょう。傷つける人からはそっと離れましょう。そうしないと精神病みます。」と学生に伝えている。自分はこの呪縛から脱却するのに時間がかかって苦しんだ人なので、敢えて伝える様にしている。
「長所を伸ばしましょうと言われたのですが、息子の長所が見つからなくて‥」と相談されたので、「長所って他人と比較してしまいます。長所を伸ばすのではなく、本人が『出来た!』と感じる瞬間を探して、そこから出来ることを増やしてみませんか?」と答えたところ、長所が見つかったと報告。何より。
大学の講義は90分と長い。トイレが近い学生もいるし、花粉症で思いきり鼻を噛みたい学生もいるだろう。聴覚過敏の学生もいるかもしれない。だから、短い休憩時間や話し合いの時間を頻繁に設け、入退室自由にしている。 教師はつい教え方に着目しがちだけど、学びを阻害するストレスの低減って大切。
「講演依頼したいのですが、コロナなので動画を作成して貰えませんか?交通費を減額した金額でお願いします。」と言われ、泣く泣くお断りした。話す様子を動画で撮るだけ‥と思われがちですが、対面と動画では伝わり方が全く異なるので、動画編集に普段の5倍以上の時間がかかるのです。すみません‥。
障害のある子供達が学ぶための配慮や生活するための配慮については周りの大人が真剣に考えるけれど、オシャレしたりゲームしたり、楽しむための配慮って後回しにされがち。でも、「楽しむ」って生きる上で必要な要素。楽しむことができない辛さと配慮の必要性って、社会の認識がもっと広がると嬉しい。
「パリコレに行く。」 障害の有無や性別に関わらず、全ての人がオシャレになれるファッションを世に広めるべく、プロジェクトを始めてから2年。 ついに・・ついに・・場所と日程が決定致しました!夢が実現しようとしています。 詳細は近日発表します。取り急ぎ、ご報告まで。
「Aさん、問題行動だらけで褒める部分がなくて‥。褒めないといけないのですが‥」と相談されたので、「無理に誉めなくても良いですよ。他愛のない話の中でAさんの話をひたすら聞いて、優しく頷いてみてください。」と伝えたところ、翌週に問題行動が減ったと報告。きっかけは些細なことなんですよね。
「なんで、こんな事も出来ないの?」系の発言って、ただでさえ精神的に大ダメージを与えるのに、「普通は・・周りは・・常識的には・・社会は・・」など、一般論に進化させてとどめを刺すのは本当に勘弁してください。
学習障害などで読み書きに困難さがあるからって、読み書きが嫌いと決めつけない方が良いです。「出来る・出来ない」と「好き・嫌い」は別の話。大切なのは、”出来ない”を”出来る”にする事に執着するのではなく、”好き”を大切にして増やしていくことだと思うんですよね。
「学校でうまく適応できない=社会に適応できない」ではないし、学校でうまくいかなくても社会で活躍するケースなんて山程ある。少なくとも、子ども達の人生に大人が負のレッテルを貼ることだけは避けたい。自戒を込めて。