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「出来ないことを努力で出来る様にする」が教育と思われがちだけど、ただでさえストレスが高い状態で努力を強要すると、子供達は潰れます。
大切なのは余計なストレスを軽減することで「努力できる環境」を準備すること。そんな環境での努力は主体性を伴いやすく、成長に繋がりやすいですよね。
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僕の不注意性を叱るのではなく、「忘れてるでww」と笑って言い続けた両親。僕が忘れない様に視覚支援するなど、今考えると先進的だった。お陰で自分の不注意性を自覚したし、早い段階で工夫することの大切さに気づいた。そんな息子は父親になり、今は息子達に「忘れてるでww」と言い続けている。
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不注意性が強い僕はバイトでミスを繰り返していたのだが、ある日、上司に怒られた。その理由が「お前がミスをするのは仕方がないし、そこは怒ってない。怒っているのはお前が『自分はミスをしない』と過信して手を抜いていることだ。」だった。出来る部分で手を抜かないという大切な事を知った出来事。
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「思いやり」を「相手の立場に立ち、相手がどんな気持ちかを考えながら接すること。」と定義するならば、思いやりを相手に強要する時点で、既に思いやりではないんですよね。
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「あいつは何度怒鳴っても反省しない!」と堂々と言う人を見ると、「怒鳴るという暴力で、かつ失敗しているのに、何度も同じ叱り方をする自身の行動をまずは反省すべきでは?」と思ってしまうのです。
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学校などで行われる障害疑似体験って、障害について理解するという点では良いけれど、それだけだと辛さを強調するだけで終わる危険性がある。
個人の見解だけど、辛さを解消する方法について考え、一緒に楽しめる方法を主体的に模索することまで含めて、ようやく障害理解に繋がると思う次第。
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「社会人になったら自分から言わないと助けてくれないので、自分の特性を知り、支援があれば出来ることを知り、支援を要求するスキルを身につけましょう。」なのですが、前提となる「助けてもらう必要性に気づく」ためのハードルが結構高いんですよね。
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「困難さに配慮する必要性は分かるけれど、配慮しないと動けない子になりますよね?」と言われた際は、「配慮を受けて『出来た!』という成功体験を積めば、本人に意欲が生まれ、むしろ自ら動く様になります。発想を変えて、自ら動くための配慮をしてみませんか?」と伝えると、意外と納得頂ける件。 twitter.com/i/web/status/1…
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「大丈夫です!この子はしっかりしているので配慮は必要ありません!」というケースに遭遇しますが、「しっかりしている」と「困難さの有無」は別次元の問題。むしろ、困難さが見逃される危険性すらあります。そもそも、配慮って困難さの有無に関わらず、全ての子にとって必要なものだと思うのです。
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たとえ不注意性が強くても、「私、ミスする可能性が高いので、申し訳ないけど確認して頂けますか?」と言えれば、周りから信頼される可能性があります。逆に「任せといてください!」の後のミスは、周りにかなり迷惑がかかる訳で・・
大切なのは、まずは自分が特性を受け入れ、周りに伝えることかと。
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ベトナムで非常勤講師をしていた頃、昼休みが2時間確保されていて、多くの学生は自宅に帰ってランチと昼寝をしてから戻ってきていた。大学からも「こちらで寝てください」と寝るスペースを与えてくれた。お陰で学生は誰も眠そうにせず講義を受けてくれるし、講義する側も楽だったんですよね‥。
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「学校でうまくいかない子=社会でうまくいかない子」という思い込みほど怖いものはない。少なくとも、今一緒に活動している仲間は学校ではうまくいかなかった子だけど、皆が世界を変えるキャパを持っている。
子ども達の人生に負のレッテルを貼ることだけは、大人として避けるべきだと思う。
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「全然読めますし、書けますよ!読み書き障害とかありませんよ。」
これ、実は学校現場でよくある怖い誤解。「読み書き障害=読み書きが出来ない」と思われがちですが、「読み書きにかかる過剰なストレス」も障害なのです。過剰に頑張れば読み書きが出来てしまうが故に、誤解されてしまうのです。 twitter.com/bottiboch/stat…
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「不注意性を治すよりも、不注意性が強いことを前提に動くといいよ。」
少し前に講義で伝えた。
すると、受講していた学生がこんな事を書いてくれた。
「私はその言葉を聞いて初めて前向きになれた気がしました。これまで完璧主義者だった私は、人に弱みを見せることも必要だと学びました。→続く
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今まで聞いた中で好きな実践。聴覚障害があるAさんがいるクラスで、子供達から「みんなでカルタをやりたい。でも、普通に読んだらAさんが聞こえないから、(読み札を)テレビに写して欲しいです。」と提案されたというもの。提案した子ども達もすごいし、こういう雰囲気を作った教師もすごい。
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「出来ないことを出来る様にする」が障害支援と思われがちですが、挑戦したい人が何も考えずに挑戦できる、楽しみたい人が何も考えずに楽しめる、オシャレしたい人が何も考えずにオシャレできる・・「何も考えずに」一歩を踏み出せる環境を整備することが、本来の障害支援だと思う訳です。
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「制服のせいで学校に行けない。」という子供達は少なくない。ジェンダーマイノリティに加え、感覚過敏や精神疾患など、制服を着れない要因は多様。そして、制服を着て学校に行くのは当然ながら辛い訳ですが、それ以上に辛いのは「制服くらい我慢すれば?」と周りから思われることなんですよね。
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障害等により困難さのある子に必要な力は、決して「我慢する力」ではなく「問題を解決する力」です。我慢せずに工夫する力、辛さを相手に訴える力、辛さを分かってくれる仲間を見つける力。そして、それを受け止められない大人がいたとしたら、その大人から極力離れる力です。
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過敏性腸症候群(IBS)などトイレが近い方にとって、「いつでもトイレに行ける」という見通しがあるだけでも精神的に大きく違います。それを知って以来、90分の講義中に休憩時間を入れる様にしているのだが、眠気や疲れを取りリフレッシュできるので、誰にとってもメリットが多い仕組みなんですよね。
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「僕は遅刻しても叱りませんし、必ず笑顔で迎えます。遅刻してしまうと授業に行く気力がなくなると思うのですが、それでも授業に来れたことは本当に凄いこと。だから、遅刻しても諦めずに来てくださいね。」と伝えた。気圧が変動し精神的に不安定になる6月だからこそ、配慮の大切さを痛感している。
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「校則がないと荒れる」という部分は強調されるけれど、「生徒の意思を尊重しないと荒れる」という部分が抜けている気がするんですよね。。(生徒のわがままを聞くという話ではなく、生徒の気持ちを教師が理解しようとするという意味です。)
気持ちを育てるには、気持ちを大切にする必要があるかと。