「教員にチャットで質問するのは失礼」という話を耳にしたが、数回のやり取りが必要な内容はチャットの方が助かるし、相手の時間を使わないという意味ではむしろ礼儀正しい。あと、チャットはSOSを伝えやすく、大変な状況になる前に支援できる側面もある。チャットは失礼ではなく、新たな選択肢かと。
「空気が読めないって言われるけれど、決して空気を読んでいない訳ではない。誰よりも空気を読むけれど、誰よりも外してるだけなんですよね。結果、凄く疲れます(笑)」 発達障害当事者の方との雑談で出た話題。空気を過度に読むけど読めずに疲れるケースって、もっと知られて良い気がする・・。
「低気圧で頭痛がする‥。」「メンタル低調で外に出るのが辛い‥。」という状態て欠席しても、簡単に「サボり」のレッテルを貼られてしまう。学ぶ意欲があるのにレッテルを貼られるほど辛い事はない。そういう意味で、外に出ずに済むオンライン講義って、学びの保証の観点で素敵な選択肢なんですよね。
「分からないのに、なんで聞かないの?」と上司は言うけれど、部下の立場からすると「何が分からないか分からない。」もしくは「分からないことを気軽に聞ける雰囲気ではない。」だったりするんですよね。。
出来ないことの「克服」に対するサポートは手厚いのに、「楽しい」「面白い」的な意欲や主体性を生み出すサポートって、なかなか着目されないんですよね。。
バズにつき宣伝です。 障害の有無に関わらず誰もが魅力を体感できる、次世代のユニバーサルデザインを生み出したい。そんな想いから、ファッションブランドbottom’all(ボトモール)を立ち上げ、パリコレ(Paris Fashion Week s/s 2023)に挑戦しています。応援宜しくお願いします。 @WFR_PFW2023
「辛くない?」と聞くと「辛くない」と返ってくる。「大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と返ってくる。こう答えておけばラクだし、相手が心配せずに済むから。こうしてストレスが蓄積されていき、気づいた時には大変な事になるんですよね。。
「あの子はADHDだから・・」のように、障害名が特定の人に対する負のレッテルとして使われるケースを見かけますが… 障害名は、自身の辛さやしんどさの要因を理解するため、それを他人に説明するため、そして前に一歩を踏み出すために必要な「手がかり」として、ポジティブに使われて欲しいですよね。
マイノリティの部分を隠して生きている人は多い。「なんで隠すの?」という発言を時折耳にするが、隠したくなる気持ちを否定してはいけないと思う。そもそもマイノリティの部分を隠さずに済む社会に成熟していないのが問題なんですよね。
「本を読めなくて悩んでます。スマホの記事なら読めるのに‥」と言われたので、「アメリカでは印刷物障害といって、紙媒体だと読み書きが辛い人って実は沢山いるんだ。試しに電子書籍を読んでみたらどう?」と答えたところ、「本を無理に読まなくて良い‥気持ちが楽になりました。」と笑顔に。何より。
「表計算、難しいから苦手‥」という学生に「表計算なんてやってみたら簡単だよ」と言ってやる気を奪っていた昔の自分。そこで、「表計算って難しいよね。」の様に【相手の言葉をそのまま返す】を意識したところ、「苦手だけど、少し頑張ってみます!」と言ってくれる様になった。ひたすら反復、大切。
「ボランティアって世のため人のため‥というイメージが強いけれど、活動を通して自分の知見が広がるし、自分に対する投資だよ。」と、学生には伝えている。誰かのために「してあげる」という気持ちが強すぎると相手に感謝を求めてしまい、逆にボランティア先で迷惑がかかる可能性すらあるんですよね。
「得意なことから始めましょう。」と言うと「得意なことだけをやりましょう。」と勘違いされがち。真意は「得意なことと関連づけて色々な事に挑戦してみましょう」なんですよね。挑戦するためには得意なことが必要なので、「得意なことをまずは自覚しましょう」が正確なのかと。
障害支援や合理的配慮って「特別扱い」と非難されることがあるのですが、そもそも全ての人が特別扱いされるオーダーメイドな社会を目指せば、全ての人がパフォーマンスを上げることが出来るんですよね。(しかも、テクノロジーの発展により、実現すること自体は可能。)
「不注意性が強いのですが、どうすれば改善できますか?」 学生からこう相談された時は、「不注意性を治すのは大変だよ。それよりも、他人に自分の特性を伝えたり、スマホでアラームをかけたり、不注意性が強いことを前提に動くと良いよ。リスクを回避できる確率が高くなるからね。」と伝えている。
「甘やかしたら社会で必要な力が身につかない。」ではなく、「甘えることで社会で生き抜くために必要な体力を身につける」なんですよね。厳しさは他人に甘える経験を沢山した先に必要なもの。 誰にも甘えることが出来ず、苦しんできた子に出会ってきたからこそ、強く思う。 twitter.com/akinaln/status…
🇫🇷拡散希望🇫🇷 身体に障害のある方向けに開発されたデザインを全力でオシャレにしてしまえば、きっとそこに新たな魅力が生まれるはず。この仮説を証明すべく、私達はパリコレでのショー開催に挑戦しました。 概念が世界に広がる瞬間、是非ご覧ください。 ▼動画はこちら▼ youtu.be/QIanqovojjg
障害のある人に対する配慮って、「苦しさや不便さの解消」に着目されがちですが、「他の人と同じ様に楽しめない」という部分を解消することも同時に大切だと思う。苦しさや不便さが解消されても、他の人と同じ様に楽しめなければ恩恵が少ない。「楽しむための障壁を解消する」って、実は大切だと思う。
子育てって「○○すればうまくいく」的な情報が求められがちだし、ツイートも”断言する”書き方をすれば反応が増えるんだろうけど、それって実は危険だと思っている。例えば「褒めれば伸びる」は、褒めるとストレスがかかる子には逆効果。あくまで可能性に過ぎないし、子育ての共通解って実は少ない。
合理的配慮って「障害者の要求を一方的に受け入れる」とネガティブに捉えられる事があるけれど、大切なのは過度に構えず、「そうか・・○○が辛いんだね。」と気持ちを聞き、「ちょっとした工夫で解決できないかな・・?」と”持続可能な”解決策を模索することなんですよね。
「茄子、ちょっと苦手かも・・」と娘が言う。無理矢理食べさせてトラウマにしたくないので「じゃあ、お父さんが食べるね。どうせ大人になったら食べれるから大丈夫!」と伝え、娘の茄子を美味しそうに食べた。すると、娘が「やっぱり、食べてみようかな・・。あっ、食べれるかも!」とパクリ。ニタリ。
不登校の子供達の気持ちを理解する事って、本当に難しい。大人は子供に気持ちを聞こうとするけれど、子供が自身の気持ちを理解できない場合もある。「何故学校に行けないのだろう‥」と本人がモヤモヤしているのに、「なんで来れないの?」と強引に理由を聞かれるのは、きっと辛いと思うんですよね。。
「先生、授業に出るのが難しくて・・配慮して頂けませんか?」と言われた時は、「言ってくれてありがとう。」と伝え、別室で講義をする。学力を伸ばすことは大切にされる一方で、忘れられがちなのが「助けを求める力」。自分に必要な支援を把握し、必要な場面で支援を求める力って、凄く大切だと思う。
スケジュールを忘れてしまう人に必要な力は、スケジュールを忘れないことではなく、忘れる前提で「保険」をかける力。 アラームをかけるなど工夫するのは当然として、「私、忘れる可能性が高いので、直前に連絡してください。」など、事前に誰かにお願いしておく。 自分を信じない。他人に依頼する。
「怒鳴りつける指導」は、単に怒りに任せて怒鳴っておけば相手が萎縮して言う事を聞くので、「指導がうまい」と錯覚する。自分が錯覚するだけならまだしも、ある意味成功体験なので、他の人にも強要する。そして、それが伝染する。まさに負のループである。