「信じて貰えないと思うのですが、実は周りの音が『色と形』で見えてしまうんです。だから、すごく疲れやすい。信じて貰えないと思いますが。。」と相談されたので、「信じますよ。シナスタジアといって、脳機能的にあり得る話なんです。」と答えたところ、後日、気持ちがラクになったと報告。何より。
「車椅子ユーザが段差で困っていたとする。すると、障害はこの段差であって、車椅子ユーザではない。障害は人にあるのではなく社会にあるんだよ。」とオンライン講義で学生に伝えたところ、チャットで「確かに!」「そっか!」の弾幕が発生した。感覚的に分かって貰えたのが本当に嬉しい。
何か私がうまく例え話をしている様な印象があるので、念のために補足しますが、これは「障害の社会モデル」と言われるもので、障壁を取り除くのは社会の責務であり、社会全体の問題として捉える考え方です。当然ながら講義ではここまで含めて話しています。
バズにつき宣伝です。 障害の有無に関わらず誰もが魅力を体感できる、次世代のユニバーサルデザインを生み出したい。そんな想いから、ファッションブランドbottom’all(ボトモール)を立ち上げ、パリコレ(Paris Fashion Week s/s 2023)に挑戦しています。応援宜しくお願いします。 @WFR_PFW2023
「助けを求めれば、助けてくれる人がいる」という見通しって、すごく大切だと思うんですよ。見通しがあれば動けるし、動けば成功体験が生まれ、気持ちに余裕が生まれる。すると、「助けを求められた時に助けることができる」に繋がる。 子どものうちに助けを求める経験を重ねるって、大切。
「本を読めなくて悩んでます。スマホの記事なら読めるのに‥」と言われたので、「アメリカでは印刷物障害といって、紙媒体だと読み書きが辛い人って実は沢山いるんだ。試しに電子書籍を読んでみたらどう?」と答えたところ、「本を無理に読まなくて良い‥気持ちが楽になりました。」と笑顔に。何より。
「僕だから許すけど、貴方は社会で通用しないよ・・と言われました。」と相談されたので、「貴方のことを許さず、社会で通用しない理由を分析し、解決する方法を一緒に考えてくれる人と付き合った方が良いと僕は思うよ。」と、思わず答えてしまった。
スカートを穿いて講義をしはじめて約半年、学生に伝わったメッセージは「男性がスカートを穿いても良い」ではなく、「人生を目一杯楽しむ大人が世の中にはいる」だった。 苦しいことが多い世の中だからこそ、「人生は楽しい。」という見通しを示すって、実は大切なことだと思うんですよね。
新入生向けの講義で「来年パリコレでショーを開催します。」と言うと笑いが起きるが、本当だと伝えるとザワつく。 「今笑った人は、心の中で『どうせ出来ない』と決めつけていた。この発想は子供達の可能性を潰しかねません。教師を目指す皆さんは4年間で自分の常識を疑ってみて下さいね。」と伝える。
「スカートを穿いて何の運動ですか?」とよく聞かれるのですが、運動をしている意識は全くありません。穿きたいから穿く、それだけです。 むしろ、「スカートを穿く人=運動している人」と、そう解釈されない社会になって欲しいと切に願います。
「社会に出た時に困るので、支援や配慮を減らしていきましょう」と言われることが多いのですが、個人的には「社会に出た時に困るので、支援や配慮のクオリティを高めていきましょう。同時に、配慮を要求するためのスキルを身につけていきましょう。」なんですよね。
「トイレのスリッパが揃ってない!!」と叱る前に、揃えることを思い出させる仕組み(足型を貼るなど)を作るなど環境を整え、揃っていることを褒めるなど行動が増える声かけが必要なんですよね。「揃えたいけれど忘れてしまう」という特性を無視すると、自尊心が削られる一方なんですよね。
過敏性腸症候群(IBS)などトイレが近い方にとって、「いつでもトイレに行ける」という見通しがあるだけでも精神的に大きく違います。それを知って以来、90分の講義中に休憩時間を入れる様にしているのだが、眠気や疲れを取りリフレッシュできるので、誰にとってもメリットが多い仕組みなんですよね。
聴覚過敏って「誰にでも嫌な音はある。我慢が足りない」と勘違いされやすいのですが、多くの人は日常生活で「音が痛い」「音が刺さる」と感じないでしょうし、音が来る方向に怯える事もない。つまり、根性で何とかなるレベルではなく、耳栓などの配慮がないと苦痛なんですよね。。
九九の覚え方って「いんいちがいち、いんにがに・・」のイメージが強いと思うのですが、視覚的に覚えた方が覚えやすい子、書いた方が覚えやすい子など、実は多様です。覚える手法の一つとしては良いのですが、子供達を算数嫌いにさせないためにも、合わない子には他の方法を模索することも大切かと。
不登校の原因はいじめなど対人関係だけでなく、理由もなく襲われる不安、気分の落ち込み、神経症など要因は様々。学校に行けない理由が本人にも分からない場合もあり、学校に行こうと頑張ってしまうが故に余計に苦しむ場合がある。不登校=学校に行く努力をしない‥という訳では決してないんですよね。
障害のある子供達に対する合理的配慮って、つい教師と保護者の間で議論して決めてしまいがちですが、話し合いが困難な場合を除いては議論に本人を含める事が大切。「悩みを聞いてくれる大人がいる」「一緒に考えてくれる大人がいる」ことを感じる経験って、子供達にとって本当に大切なんですよね。。
消しゴムを使うのが難しい子は世の中に沢山います。。力の入れ方が弱いと消えてくれないし、力を入れすぎると紙が破けてしまいます。しかも、もう片方の手では紙を強く押さえないといけない。その状態で間違えた部分のみを消すというのは、もはや神技なのです。。
「市長宛に『男性がスカートをはくな』というクレームが入ったこともあったそうです」 麻痺のある方や肢体不自由の方にとって穿きやすいボトムスを開発してきた結果がスカートだっただけ‥。こうしてジェンダーと結びつけて批判されるのは悲しいけれど、私達は前に進みたい。 woman.nikkei.com/atcl/column/21…
「うちの子、ゲームばかりしてしまって‥」という相談をよく受けるのですが、ゲームが上手いことで少ない自尊心を保っているケースがあります。無理にゲームを辞めさせると唯一ある自尊心が削られてしまうので、ゲームを通して他の出来る事を探していった方が良いんですよね。
「得意なことから始めましょう。」と言うと「得意なことだけをやりましょう。」と勘違いされがち。真意は「得意なことと関連づけて色々な事に挑戦してみましょう」なんですよね。挑戦するためには得意なことが必要なので、「得意なことをまずは自覚しましょう」が正確なのかと。
「とりあえずビール」と言ってしまうと、若い人がビールしか頼めない雰囲気になってしまう。そこで、「悩むなぁ。。ハイボールにしよかな、サワーにしよかな・・でも喉渇いてるから最初はビールにしよ。」とドリンクをワザと迷う様にしたところ、皆が自分の好きなものを頼んでくれる様になった件。
社会人に有休制度があるように、学校にも気軽に休める仕組みがあれば良いのに・・と思う。社会人でなくてもストレスが溜まるのは一緒だし、休む権利はあると思うんですよね。
学校に休まず行くことって美化されがちだけど、身体や心が悲鳴を挙げていたら休まないといけない。子ども達に休まない事を求めるのではなく、子どもが自分の意思で自分のペースで学校に来れたことを大切にしたいと思う訳です。
「私、不注意性が強くて‥。本当に落ち込むんです。。どうすれば改善出来るでしょうか?」と相談された際のリスト。 ・諦めよう ・人に頼ろう ・機械に頼ろう ・リストを作ろう ・辛さを相談しよう ・ストレスを避けよう ・不注意を前提に動こう ・自分の強みを見つけよう ・そんな自分を好きになろう