子育てって「○○すればうまくいく」的な情報が求められがちだし、ツイートも”断言する”書き方をすれば反応が増えるんだろうけど、それって実は危険だと思っている。例えば「褒めれば伸びる」は、褒めるとストレスがかかる子には逆効果。あくまで可能性に過ぎないし、子育ての共通解って実は少ない。
講義中に「トイレに行っても良いですか?」と言われたので、入退室を自由にした・・という話でバズった際、残念ながら「小学生か?」みたいな反応があった。トイレに困ってない人からすると「対策しろ」「我慢しろ」程度の認識かもしれませんが、トイレの個人差は大きく、苦しむ人が多くいる訳です。
スカートで街歩きをしていると、「おっさんがスカート穿いて何してるの?」みたいな目で見られる時もあるけれど、「男性がスカートを穿いても良い」「男性のスカートも悪くない」と思ってくれる人が少しでも増えるなら、それはそれで良いと思っています。
学生「先生!私、寝坊しなくなったんですよ!」 僕「うそー!凄いやん!」 学生「先生が『遅刻したけど、ちゃんと来たやん!』って言ってくれて、寝坊したらどうしよう‥という不安がなくなったのが大きかったです!」 お叱りを受けそうな対応ですが、寝坊を解消したのでお許しください。
小学校時代、人と話すことが苦手だった僕に「無理して話さなくて良いよ。話したくなったらいつでもおいで。」と言ってくれた教育実習の先生。1ヶ月足らずでしたが、僕の中では永遠に恩師。たとえ教育実習であっても、子供達にとっては大切な先生であることを、実習生は意識してくれると嬉しいです。
「あの子は発達障害だから・・」みたいに、障害って負のレッテルとして使われがちですが、障害の診断は、自分がなぜ辛いのかを理解するため、辛さを他人に説明するため、そして辛さを解消するためのもの。あくまで前に一歩を踏み出すために必要な手がかりであり、負のレッテルではないんですよね。
「出来ないことを出来る様にする」を目指すのが障害支援ではなくて、何かに挑戦したい人が障害のせいで挑戦できない、楽しみたい人が障害のせいで楽しめない、オシャレしたい人が障害のせいでオシャレできない・・こうした「障害のせいで‥」を解消することが、本当の意味での障害支援だと思うのです。
「○○さん、きっと発達障害だと思うんです。」と相談された際は、「○○さんが困っている、もしくは苦しんでいるのなら、それは障害です。障害は解決したいのに出来ない”ハードル”。もし困っていないならそれは特性であって、障害ではないですね。」と前提を伝えると、その後の展開がスムーズにいく。
「あいつは何度怒鳴っても反省しない!」と堂々と言う人を見ると、「怒鳴るという暴力で、かつ失敗しているのに、何度も同じ叱り方をする自身の行動をまずは反省すべきでは?」と思ってしまうのです。
「学校でうまくいかない子=社会でうまくいかない子」という思い込みほど怖いものはない。少なくとも、今一緒に活動している仲間は学校ではうまくいかなかった子だけど、皆が世界を変えるキャパを持っている。 子ども達の人生に負のレッテルを貼ることだけは、大人として避けるべきだと思う。
多様性っていうと、なんか「良いこと」というイメージが付き纏いがちですが、決してそんなことはなくて、「人は多様である」という当たり前のことを、きちんと当たり前だと認識しよう‥ということだと思うんですよね。 多様性を「良いこと」と認識していると、それって持続しない気がします。
繰り返しますが、学習障害などで読み書きに困難さがあるからって、読み書きが嫌いと決めつけるのは本当にやめた方が良い。「出来る・出来ない」と「好き・嫌い」は別次元の話。 大切なのは、「出来ない」によって「好き」の権利が剥奪されないこと。ICT等の代替手段を用いて”好き”を保障すること。
「スカート姿、純粋にカッコいいです!」と、学生から言われた。スカートは体温調節や着脱のしやすさなど、障害や困難さのある方にとってメリットが沢山ある。だからこそ「男性のスカート」という選択肢が当たり前になって欲しいと願うおっさんは、若者から認められてちょっと嬉しい。
身体の片側にだけ麻痺がある方は、麻痺のない側の手すりに掴まってエスカレーターに乗ることが出来ます。逆に言うと、片側にしか乗ることが出来ないので、それが追い越し側の場合、後ろから舌打ちをされてしまうのです。 「片側にしか乗れない人がいる」という可能性を知っておくって大切かと。
念のために申し添えますが、他の方が書かれている通り、当然ながらエスカレーターは歩行禁止ですよ。
障害者への配慮を「ズルい」と言う子。そういう子に対しては、「突然、あなたが怪我で車椅子生活になったとする。その時に配慮が必要ないなら、配慮をズルいと言えば良い。でも、きっと配慮を求めると思うんだ。配慮を人のためではなく自分のためと考えてごらん。本当にズルいかな?」と伝えている。
「ボランティアは世のため人のために参加するものではなく、活動を通して自分の知見を広げる、いわば未来の自分に対する投資だよ。」と、学生には伝えている。 「誰かのため」という気持ちが強すぎると、逆に迷惑がかかる可能性すらあるんですよね。
「講義を欠席する際は連絡をください。欠席理由は何でも良いですが、嘘はつかないでください。徹夜でゲームして寝坊した‥でも構いません。もし嘘をつくなら、明らかに嘘と分かるものにしてください。」と伝えたところ、「ちょっと、ドラゴンボールを探してきます。」と連絡が来た思い出。
実は、学生の無事を確認するために作ったルールで、10年以上継続しています。このルールもあってか、学生のドロップアウトは非常に少ないんですよね。
@yuddy26474294 「神龍に無事出会えることを心より祈っております。神龍を見つけたら出席してくださいね。」とお伝えしました。
バズっているので宣伝です。 実は、障害や性別という枠に囚われず、全ての人がオシャレになれるファッションを開発しておりまして、来年秋のパリコレ・ウィーク期間内に、パリでのファッションショー開催を目指しています。あと、既成概念に囚われない制服も開発中です。 応援宜しくお願いします。
学生から許可を貰ったので名前を伏せて転載します。本当の話ですww
「講義中、スマホを触ってOKです。調べ物やノートテイクなど、自由にお使いください。LINEしてもゲームしても構いませんが、講義中なので私に画面を見られる可能性があります。」と伝えている。 分からない事を放置せずに調べるのは大切だし、学びたい学生が快適に学べる環境って大切かと。
立ち歩きの多い子や不注意性の強い子は手厚く対応されるのですが、真面目な子は「あの子は大丈夫」と放置されがち。でも、困難さを表出できない真面目な子ほどストレスを内面に溜めてしまう。だからこそ、真面目な子がSOSを隠している可能性を常に意識する必要があると思います。
「全然読めますし、書けますよ!読み書き障害とかありませんよ。」 これ、実は学校現場でよくある怖い誤解。「読み書き障害=読み書きが出来ない」と思われがちですが、「読み書きにかかる過剰なストレス」も障害なのです。過剰に頑張れば読み書きが出来てしまうが故に、誤解されてしまうのです。 twitter.com/bottiboch/stat…