ユニセックス・スカートを開発している関係で、TV出演の話がチラホラ。念のため、息子に「スカート姿でテレビ出ても大丈夫?」と伝えた。 すると息子が・・ 「もちろん!テレビ出てよ!もし、何か言う人がいても、『そんな考えしか出来ないの?』って思うだけだから。」 と言われ、いま泣いてる。
バズりそうなので宣伝です。 TV出演の話は「ミライの制服プロジェクト」の関係です。障害の有無に関わらずストレスなく履けて、かつオシャレなユニセックス・スカートの制服を開発しております。 選択肢にオシャレな制服を加えるのが、私の夢です。 応援、どうぞ宜しくお願い致します✨
「ユニセックス・スカートの制服なんて作っても、どうせ誰も履かないのでは?」という質問を頂戴しますが、実はそれはそれで構わないと思っています。 だって、「選ばない」は、選択肢が準備されている状況ではじめて生まれる権利ですから。
発達障害は治りませんが、社会が「柔らかく」なれば軽減・解消できると思っています。 「柔らかく」とは、労働形態などの仕組みが柔軟になること、テクノロジーなどを使って個人にフィット出来ること、そして何より、一緒に楽しめる仕組みを社会全体で考えること。 社会が柔らかくなるといいな。
「うちの子、どんな大人になって欲しい?」と妻に尋ねると、速攻で「人生を楽しめる子。」と返ってくる。逆もまた然り。正直、誰かに迷惑さえかけなければ、それでよい。 だって、成績が優秀なことより、良い大学に行くことより、人生を楽しむことの方が遥かに大切で、かつ難しいことですから・・。
「スカートと言えば女性の服なのだから、スカートを選ぶ男性はトランスジェンダーをカミングアウトするのと同じだ!」というお叱りを時折頂戴するのですが、果たして本当にそうでしょうか・・? 少なくとも、我々は普通に穿いている訳ですが・・。
マイノリティの部分を隠して生きている人は多い。「なんで隠すの?」という発言を時折耳にするが、隠したくなる気持ちを否定してはいけないと思う。そもそもマイノリティの部分を隠さずに済む社会に成熟していないのが問題なんですよね。
皮膚が弱いと、襟が首に触れただけで腫れてしまいます。画像は30秒ほどジャケットを着ただけ。これが学校や会社の制服だと、勉強や仕事どころてはないですよね。 だからこそ、感覚の過敏性に配慮した制服を開発していますし、その意味は大きいと考えています。
大学の講義は90分と長い。トイレが近い学生もいるし、花粉症で思いきり鼻を噛みたい学生もいるだろう。聴覚過敏の学生もいるかもしれない。だから、短い休憩時間や話し合いの時間を頻繁に設け、入退室自由にしている。 教師はつい教え方に着目しがちだけど、学びを阻害するストレスの低減って大切。
給食の完食を強制する、クラスで残食ゼロを目指すなど、残さずに食べることって美化されがちだけど、食べる量には個人差があるし、体調によっても異なる。これらの事情を無視して完食を強制する事は、食事に対するトラウマに繋がる可能性すらある訳です。
「廊下は走らない!!」と叱って終わるのではなく、「走ると怪我するから、廊下は歩こうね。」と理由を説明する。さらに、叱った子が後日廊下を歩いていたら、「おっ、歩けてる!」と認めることが大切。 叱った後が本当の指導。叱られた悪い記憶を良い記憶に塗り替えることが大切なんですよね。
スカートを穿いて講義をしたら、講義の感想に「堂々と穿いている先生を見て、本当に尊敬します。」「スカート、格好いいです。」とあった。大学内を歩いていても、同僚から「袴みたいでなかなか良いね。」と言われる。穿くまでは確かに不安だけど、穿いてみれば意外と誰も何も思わない。
「私、平熱が37.5度なんです。だから、健康だけど怖くてどこにも行けないんです。。」という声を聞いた。確かに、コロナ禍であらゆる場所に検温があるし、人から疑われるだけでストレスだろう。 障害って、環境次第で発生したり消滅したりすることを改めて実感。
「車椅子だと制服の着脱が大変で、毎朝地獄なんです・・」「制服は痛くて重くて、結局学校に行けなくなったんです・・」 制服を取り巻く数々の悲痛な声。それならば、最高の制服を作ってみよう。 ゼミ生達と何度も議論を重ね、機能性とカッコよさを兼ね備えた、最高のセーラー服を作ってみました。
不注意性が強い人に必要な力は、「忘れない様に努力をする」より先に、「忘れる特性を自覚すること」だったりする。特性を自覚してないと、「これくらいなら覚えられる、大丈夫。」と思いがちだし、結果的に大丈夫ではないんですよね。
不注意性の強い子に対して、大人はつい「忘れ物をなくそう」としがちだけど、忘れ物をなくすハードルはかなり高い。それよりは「忘れやすいことを自覚する」「工夫すれば忘れないことを知る」の方が大切だし、何よりも、忘れなかったことを子供と一緒に喜び、工夫に対する意欲を生みだすのが大切。
「授業中にそわそわ動く子がいて・・真面目に授業を聞いてくれません。」と質問されたが、動くことで集中力が高まる子がいます。むしろ「真面目」な可能性すらある訳で。。 個人的には「動いても周りの子に迷惑にならない工夫や環境づくりって出来ないでしょうか?」という質問の方が嬉しい。
「思いやり」を「相手の立場に立ち、相手がどんな気持ちかを考えながら接すること。」と定義するならば、思いやりを相手に強要する時点で、既に思いやりではないんですよね。
「発達障害って才能があるんですよね?」と言われがちですが、「発達障害=才能」のレッテルで苦しむ人が沢山います。才能って、結局のところ人との比較を根底とした概念ですから。 才能よりも「自分らしく生きる」の方が大切だし、それを保障するために支援や配慮が必要だと思う訳です。
ユニセックス・スカートの制服を開発していると、残念ながらごく稀に「男性がスカートなんて気持ち悪い。」と言われます。さすがに傷つき落ち込んでいたある日、高校生から「制服が本当に辛いので期待してます!頑張ってください!」とメッセージを頂いた。思わず涙が出た。前を向いて頑張る。
「制服のせいで不登校になる。」 嘘みたいな話ですが、本当の話です。皮膚に過敏性があると、襟の縫い目が首に触れただけで、かなりの「痛さ」を感じてしまいます。正直、勉強どころてはないですよね。そんな状況で「集中しなさい」と言われてしまうと、学校に行く気力がなくなってしまう訳です。
障害等により困難さのある子に必要な力は、決して「我慢する力」ではなく「問題を解決する力」です。我慢せずに工夫する力、辛さを相手に訴える力、辛さを分かってくれる仲間を見つける力。そして、それを受け止められない大人がいたとしたら、その大人から極力離れる力です。
「将来、この子が困らない様に・・」という理由で、子どもに我慢を強要するケースをよく見かけるのですが、過度な我慢はトラウマを生みだすだけなんですよね。 そもそも、世の中に困らない人なんて存在しないし、将来を考えるのなら、困ったときに我慢せずに訴える、または回避する力だと思う訳です。
「この子は優秀だから大丈夫。」と簡単に決めつけない方が良いです。優秀な子の中には、水面下に「出来ないことを許せない」「出来ないことが怖い」といった気持ちが潜んでいる場合があります。そこに気づかず放置してしまうと、後になって致命傷になるケースがあるんですよね。。
ケアレスミスをよくする人に必要なスキルは「ケアレスミスをしない」ではなく、ケアレスミスをする前提で「準備」をすること。ケアレスミスを防ぐため、誰かにチェックしてもらうことは当然で、加えて負担をかけることを前提に、普段から自分に出来る仕事で貢献しておく「準備」が必要なんですよね。