「私、不注意性が強いので・・」と伝えると、不注意性を改善するためのアドバイスを戴くことが時折あるのですが・・。困っているのは不注意性という自身の特性ではなく、不注意性のない人達の価値観に無理矢理合わせることにより生じるストレスなんですよね。。
学校でうまく適応できなかったからといって、社会に適応できない訳ではない。学校でうまくいかなくても社会で活躍するケースは山程ある。少なくとも子ども達の未来を含めた人生に負のレッテルを貼って潰すことだけは、大人として避けるべきだと思うんですよね。
「Aさん、問題行動だらけで褒める部分がなくて‥。褒めないといけないのですが‥」と相談されたので、「無理に誉めなくても良いですよ。他愛のない話の中でAさんの話をひたすら聞いて、優しく頷いてみてください。」と伝えたところ、翌週に問題行動が減ったと報告。きっかけは些細なことなんですよね。
「私、不注意性が強くて‥。生きていく上で何かアドバイスありませんか?」と聞かれたので、「不注意性が強いと、どうしても自尊心が下がってしまいがち。だから、自尊心を高めてくれる人を大切にし、自尊心を下げる人とは可能な限り距離をおくことをお勧めします。」とお伝えした。
UDデジタル教科書体の登場により、読字に困難さのあるロービジョンやディスレクシアの方の辛さや負担がかなり軽減された訳ですが、このフォントの功績って「フォントを変えるだけで字が読める様になる」という事実を当事者本人が認識し、さらに社会に認識が広がった事だと思うんですよね。
「悪口を友達に言われている事、どうして先生に相談してくれなかったの?」という場面に遭遇したので、「先生に相談するのは、子供にとってハードルが高い事です。あと、悪口を言われて既に傷ついている状態の子に、相談できなかったことを責めるのは辞めた方が良いと思いますよ。」と、お伝えした。
「得意を伸ばす大切さは理解できますが、苦手を放置するという部分に納得いかなくて‥」と質問されたので、「放置ではなく、”苦手”に取り組むために必要な学習方法を”得意”を使って学ぶ訳です。苦手を努力で克服するのは辛いので、得意な部分からアプローチする方略です。」と答えたら、ご納得頂けた。
「私、仕事のミスが多くて‥。どうすればミスをしない人になれますか?」と質問されたので、「努力して駄目だったなら、今みたいに『私、ミスが多いです!』と周りにアピールしてごらん。周りが自然に心配してミスを防いでくれるから。その代わり、感謝の気持ちは忘れずにね。」とお伝えした。
障害の診断って「負のレッテル」的に使われがちですが、自身や子供の辛さの原因を理解するためのヒントであり、「私の努力が足りない‥」といった自責の念から解放されるきっかけに過ぎないんですよね。診断は、人生を前に進めるための説明書みたいなもの。
「背景が白の紙にプリントされると、チカチカして文字が読みにくいです。」ともし自分が言われたら、「もしよければベストな紙を持ってきてくれる?その紙に印刷しますね。」or「良ければデータで送りますね」と伝えると思うのですが・・。これが特別扱いという発想になるのは何故・・?
「茄子、ちょっと苦手かも・・」と娘が言う。無理矢理食べさせてトラウマにしたくないので「じゃあ、お父さんが食べるね。どうせ大人になったら食べれるから大丈夫!」と伝え、娘の茄子を美味しそうに食べた。すると、娘が「やっぱり、食べてみようかな・・。あっ、食べれるかも!」とパクリ。ニタリ。
「子供の好き嫌いをなくすには?」と聞かれた際は、「嫌いなものを無理に食べさせないこと」と答えている。無理強いはトラウマを生み出す原因。幼少期に大切なのは嫌いなものをなくす事よりも食を楽しむ経験。そして、何より食べるのを嫌いにならない事なんですよね。
「私、片付けが苦手で・・」と学生に相談されたので、「自分でも抵抗なく出来そうな方法を考えて、カレンダーに上手くいったら○、面倒臭いと少しでも感じたら△をつけてごらん。駄目ならスパッと諦めて次の方法を試して良い。継続するのはカレンダーに○と△を書き込むだけ。」と伝えた。一ヶ月後・・
「先生、こたつの上にウェットティッシュを置いて、手の届くところにゴミ箱を置いたら、綺麗な状態を維持できる様になりました!」と満面の笑みで報告。 自分で考えた方法で目的を達成する成功体験って、モチベーションを維持する上で凄く大切な事なんですよね。
学生時代、麻痺があって書字が困難な子のために、押しボタンスイッチのみで操作できる計算ソフトを作って欲しいと恩師に頼まれたので、正解ならピンポーン、間違えたらブブーと表示される計算ソフトを開発した。すると、恩師に「それは彼女の求めているソフトではない。」と言われた。 ↓↓
理由はすぐに判明した。彼女はクラスメイトと同じ様に、担任の先生に手書きで花丸をつけて欲しかったのだ。彼女に必要だったのは無機質に○と×を判定する機能ではなく、入力したものを紙にプリントアウトする機能。子供のニーズを大人が勝手に決めつけない‥20年前に頂いた恩師からのメッセージです。
「この子はやれば出来る子なんです。でも、なかなか継続しなくて・・」と相談されたので、「お子さんは7割くらいの力で出来てますか?もし120%のフルパワーで出来ていたとしたら、それは本人にとって負担だし、きっと継続しません。7割くらいの力で出来ることを探してみませんか?」とお伝えした。
バレーボールで来た球を全て取りに行こうとして失敗し、邪魔者扱いされる子がいた。そこで、テープを床に貼って「これを踏んだまま、手が届きそうな球を打ち返してみて。球に当てるの上手いから、きっと返せるよ」と伝えたところ、素晴らしいレシーブを連発。周りから褒められ満面の笑顔に。良かった。
「私の講義はスマホを使って構わないし、写真撮影も自由。その代わり、お願いがあります。自分に合った学び方で学ぶ大切さを認識し、自分の学び方を他人に押し付けない人になって下さい。世の中には一般的な方法では学べなくても、学び方を少し変えるだけで学べる子が多くいます。」と学生に伝えた。
「子供達を褒めているのですが、なかなか反応がなくて‥」と相談されたので、「反応がない時は本人が褒められたいポイントではないのかも。子供達が大人の顔をチラ見する時や『見てー』と近寄ってきた瞬間が褒めるタイミングだと思いますよ。」と伝えたところ、子供達が喜んでくれたと報告。良かった。
4月2日は #世界自閉症啓発デー 自閉症の方への配慮というと難しく感じるかも‥ですが、例えば、並ぶ位置が一目で分かるレジ前の足型や、残りの駅数が一目で分かる駅名表示など、感覚的なものを絵や写真で視覚的に表現するだけで負担が減ります。でもこれって、実は多くの人に優しいデザインですよね。
「どうせオンライン講義でしょ‥」と言われるのが悔しかったので、ユーチューバーを研究し、「こんにちはー!」とテンション高めにテンポ良く講義をした結果、「先生の授業の雰囲気が好きです!」「初めてオンラインの方が楽しかった!」「切実にまた先生の授業が受けたい!」など絶賛の嵐。嬉しい。
講義後に「質問ありませんか?」と言っても、手が挙がる可能性は低い。質問を強要する事だけは嫌なので、「講義中、質問があればチャットでコソッと教えてください。講義中に質問の答えを含めてお話ししますね。」と伝えたところ、質問が来る様になった。質問しやすい環境って大切だなと。
「先生のスカート姿を見て、僕も街で穿いてみました!」と学生から言われた。スカートは体温調節や着脱のしやすさなど、障害のある方にとってメリットが沢山ある。かつ、男性でもオシャレになれるアイテム。スカートという選択肢を世に広めたいと頑張ってきたので、若者から認められてちょっと嬉しい。
「オンライン講義なので、皆さんの顔が見えません。お菓子を食べながら‥、寝ながら‥、運動しながら‥、好きなスタイルでご覧ください。その代わり、自分に合った学習スタイルを見つけてみましょう。そして、学習スタイルは個々で異なる事を知り、違いを尊重できる人になって欲しいです。」と伝えた。