学生には「就活は良い企業に就職するための活動ではなく、自分の特性や性格とのギャップが少ない仕事を探す活動。正直、働いてみないと分からないから、ギャップが大きければすぐに辞めれば良い。解決困難なギャップを埋めようと努力すると心が病むからね。」と伝えている。教え子が病むのは辛いから。
「子供の好き嫌いをなくすにはどうすれば良いですか?」と聞かれたので、「嫌いなものを無理矢理食べさせるとトラウマになってしまいます。嫌いなものをなくすのではなく、好きなものを増やすという感覚はいかがでしょうか?」と答えた。幼少期に大切なのは、食べるのを嫌いにならない事なんですよね。
叱れば叱るほど自分の指示に従う「良い子」になるかもしれませんが、同時に「言われたことしか出来ない」リスクが増えるんですよね。「最近の若い子は言われたことしか出来ない」と嘆く前に、自分自身が相手の失敗を責めていないかを今一度確認することが大切だと思う訳です。
「障害のある人には優しくしましょう。」的なことってよく言われがちですが、障害のある人に「優しく」するのではなく、「障害を解消してお互いがwin-winになれる社会をつくりましょう。」なんですよね。
10年前、「パニック障害で講義が受けれないので、配慮して頂けませんか?」とお願いされたので、「分かった。あと、講義に出ると息苦しくなるなら、いつでもこの部屋で休憩していいよ。」と伝えた。部屋によく遊びに来た彼は卒業して社会で活躍中。大切なのは「配慮を活用した成功体験」なんですよね。
出来ないことの「克服」に対するサポートは手厚いのに、「楽しい」「面白い」的な意欲や主体性を生み出すサポートって、なかなか着目されないんですよね。。
「雪が降ったら会社は休む」を有言実行していた父。昔は適当な人間だと思っていたけれど、「怪我する方が職場にも家族にも迷惑がかかる。休むのは権利だから。」の一言は、今になって振り返るとその通りだと思う。「休む」は自分のためでもあるけれど、他人のためでもあるよなぁ・・と。
「大学院に行くなんて無駄。早く就職して社会に出た方が良いに決まっている。」と言われて落ち込む学生がいたので、「必死で悩んで選んだ進路に一方的にダメ出しされると辛いよね。相手の選択を尊重してくれる人を大切にすると良いと思うよ。」と伝えておいた。
「全ての生徒に優しい授業なんて無理」というのは正論なのですが、だから排除しても良いという理由にはならない。優しくしようとしてうまくいかない授業と、最初から諦めている授業には差があるし、この差って生徒には伝わるんですよね。
「我慢すること」を教えるなら、同時に「我慢しないこと」も教える必要がある。誰かに助けを求めるスキルは、生きる上で必要不可欠な力だと思う訳です。
「忘れるなら、なんでメモしないの?」とよく言われるのですが、メモをする前に記憶が賞味期限を迎え、忘れるのではなく消えてしまうのです。脳から消えないように努力を試みる訳ですが、努力をするべきタイミングで「努力しないといけない」という記憶自体が消えてしまっている訳です。。
「褒めて伸ばしましょう」的なやり方って、子育てや社員教育の世界でよく言われる訳ですが、個人的には「他者から認められたり任されたりする経験を通して、主体的に取り組める活動を増やしましょう」の方がしっくりくるんですよね。
話したくない子に無理やり話をさせようとするのではなく、 ・話したくないという気持ちを尊重する ・話しても大丈夫という安心感を生み出す ・話したい気持ちをそっと支える ・話を優しく聞く ・話せた事を一緒にふんわりと喜ぶ ・・そんな関わりが大切だと思う訳です。
「私、不注意性が強くて‥。本当に落ち込むんです。。どうすれば改善出来るでしょうか?」と相談された際のリスト。 ・諦めよう ・人に頼ろう ・機械に頼ろう ・リストを作ろう ・辛さを相談しよう ・ストレスを避けよう ・不注意を前提に動こう ・自分の強みを見つけよう ・そんな自分を好きになろう
学校に休まず行くことって美化されがちだけど、身体や心が悲鳴を挙げていたら休まないといけない。子ども達に休まない事を求めるのではなく、子どもが自分の意思で自分のペースで学校に来れたことを大切にしたいと思う訳です。
社会人に有休制度があるように、学校にも気軽に休める仕組みがあれば良いのに・・と思う。社会人でなくてもストレスが溜まるのは一緒だし、休む権利はあると思うんですよね。
「とりあえずビール」と言ってしまうと、若い人がビールしか頼めない雰囲気になってしまう。そこで、「悩むなぁ。。ハイボールにしよかな、サワーにしよかな・・でも喉渇いてるから最初はビールにしよ。」とドリンクをワザと迷う様にしたところ、皆が自分の好きなものを頼んでくれる様になった件。
「得意なことから始めましょう。」と言うと「得意なことだけをやりましょう。」と勘違いされがち。真意は「得意なことと関連づけて色々な事に挑戦してみましょう」なんですよね。挑戦するためには得意なことが必要なので、「得意なことをまずは自覚しましょう」が正確なのかと。
「うちの子、ゲームばかりしてしまって‥」という相談をよく受けるのですが、ゲームが上手いことで少ない自尊心を保っているケースがあります。無理にゲームを辞めさせると唯一ある自尊心が削られてしまうので、ゲームを通して他の出来る事を探していった方が良いんですよね。
「市長宛に『男性がスカートをはくな』というクレームが入ったこともあったそうです」 麻痺のある方や肢体不自由の方にとって穿きやすいボトムスを開発してきた結果がスカートだっただけ‥。こうしてジェンダーと結びつけて批判されるのは悲しいけれど、私達は前に進みたい。 woman.nikkei.com/atcl/column/21…
消しゴムを使うのが難しい子は世の中に沢山います。。力の入れ方が弱いと消えてくれないし、力を入れすぎると紙が破けてしまいます。しかも、もう片方の手では紙を強く押さえないといけない。その状態で間違えた部分のみを消すというのは、もはや神技なのです。。
障害のある子供達に対する合理的配慮って、つい教師と保護者の間で議論して決めてしまいがちですが、話し合いが困難な場合を除いては議論に本人を含める事が大切。「悩みを聞いてくれる大人がいる」「一緒に考えてくれる大人がいる」ことを感じる経験って、子供達にとって本当に大切なんですよね。。
不登校の原因はいじめなど対人関係だけでなく、理由もなく襲われる不安、気分の落ち込み、神経症など要因は様々。学校に行けない理由が本人にも分からない場合もあり、学校に行こうと頑張ってしまうが故に余計に苦しむ場合がある。不登校=学校に行く努力をしない‥という訳では決してないんですよね。
九九の覚え方って「いんいちがいち、いんにがに・・」のイメージが強いと思うのですが、視覚的に覚えた方が覚えやすい子、書いた方が覚えやすい子など、実は多様です。覚える手法の一つとしては良いのですが、子供達を算数嫌いにさせないためにも、合わない子には他の方法を模索することも大切かと。
聴覚過敏って「誰にでも嫌な音はある。我慢が足りない」と勘違いされやすいのですが、多くの人は日常生活で「音が痛い」「音が刺さる」と感じないでしょうし、音が来る方向に怯える事もない。つまり、根性で何とかなるレベルではなく、耳栓などの配慮がないと苦痛なんですよね。。