相方が息子に対して「忘れるのは仕方がないし、忘れた事を反省しても仕方がないし意味がない。反省するのは忘れたことではなく、『自分は忘れない』という過信と、忘れ物を防ぐ工夫をしていなかった事。誰かに頼っても良いから、忘れずに済む工夫を考えなさい。」と話している。核心すぎる。。
障害や困難さがあると「他の人が無意識に出来ることを”頑張って”出来る様にする」がゴールにされがちだけど、理想のゴールは「他の人が無意識に出来ることを、代替手段や社会的なリソースを使いながら”頑張らずに”出来ること」だと思う。だって、多くの人はそこで頑張らずに済む訳ですから・・。
不注意性が強いのに「私、メモしなくても大丈夫です!」と言ってしまうなど、本人が困らずに周りが困るケースって本当に難しい。本人が自身の不注意性を理解して受け入れるためにはある程度のキャパが必要な訳で、キャパを育てるのが結構長い道のりだったりするんですよね。
何回も言うけれど、学校でうまく適応できないからって、社会に適応できない訳ではない。学校でうまくいかなくても社会で活躍するケースは山程ある。少なくとも、子ども達の未来の可能性を、大人が「社会で通用しない」という負のレッテルを貼って潰すことだけは避けるべきだと思うんですよね。
「障害の有無に関わらず、誰もがオシャレできる世の中にしたい」と言うと、「オシャレなんて後回しだろ。お前は実情を分かってない」的な批判を稀に頂戴します。確かに優先順位が低い人はいるでしょう。でも私は、オシャレしたい人が当たり前にオシャレ出来る社会を目指したい‥ただそれだけなのです。
忘れ物が多くて悩んでいる人に「なんでメモしないんだ!」みたいに責めないでください。既に失敗経験を繰り返しているので余計に辛くなります。一方で、「アラームかけてみたらどう?」と声をかけて頂けると嬉しいです。悩んでいる人が欲しいのは指示ではなく「工夫の選択肢」なのです。
「出来ないことを出来る様にする」を目指すのが障害支援ではなくて、何かに挑戦したい人が障害のせいで挑戦できない、楽しみたい人が障害のせいで楽しめない、オシャレしたい人が障害のせいでオシャレできない・・こうした「障害のせいで‥」を解消することが、本当の意味での障害支援だと思うのです。
忘れ物が極度に多い子に必要な力は、忘れない様に「努力」をさせることではなく、忘れない様に工夫したいという気持ちを生み出すこと。この気持ちを生み出すためには、本人が工夫した努力を「忘れ物をなくすために工夫してることが凄いと思う!」と大人が認めることが大切だと思うんですよね。
「空気が読めない」を自覚している人が感じる困難さって、空気が読めない辛さに加えて、自覚しているが故に「空気を読みすぎて疲れる」事だったりする。しかも、空気を読もうと努力したのにも関わらず、空回りしてしまう。これって、かなり辛いと思うんですよね。。
学校でうまく適応できなかったからといって、社会に適応できない訳ではない。学校でうまくいかなくても社会で活躍するケースは山程ある。少なくとも子ども達の未来を含めた人生に負のレッテルを貼って潰すことだけは、大人として避けるべきだと思うんですよね。
「廊下は走らない!!」と指導して終わるのではなく、「走ると怪我するから、廊下は歩こうね。」と指導することが大切だと思っている。指導する側って、不適切な行動に対してはすぐに注意するのに、適切な行動の提示を省略する傾向があるんですよね。。
「パリコレに行く。」 障害の有無や性別に関わらず、全ての人がオシャレになれるファッションを世に広めるべく、プロジェクトを始めてから2年。 ついに・・ついに・・場所と日程が決定致しました!夢が実現しようとしています。 詳細は近日発表します。取り急ぎ、ご報告まで。
「私、不注意性が強くて‥。本当に落ち込むんです。。どうすれば改善出来るでしょうか?」と相談された際のリスト。 ・諦めよう ・人に頼ろう ・機械に頼ろう ・リストを作ろう ・辛さを相談しよう ・ストレスを避けよう ・不注意を前提に動こう ・自分の強みを見つけよう ・そんな自分を好きになろう
「うちの子、ゲームばかりしてしまって‥」という相談をよく受けるのですが、ゲームが上手いことで少ない自尊心を保っているケースがあります。無理にゲームを辞めさせると唯一ある自尊心が削られてしまうので、ゲームを通して他の出来る事を探していった方が良いんですよね。
就学前検診で「引っ掛かった」僕。親をはじめ色々な方に迷惑をかけましたが、皆様のおかげで今、最高に幸せな人生を送ることが出来ています。僕にとって検診は「引っ掛ける」ものではなく、「オーダーメイドな関わりの方が伸びる子をピックアップする」というイメージなんですよね。
バズ宣伝です。研究室では全国の高校生、大学生などが集まって「ミライの制服プロジェクト」を進行中。「障害や性別にとらわれず、制服をストレスなく着たい!」という声が多数寄せられたので、ユニセックスでオシャレな制服を開発中。画像は試作中のポンチョ型の制服です。応援宜しくお願いします。
「大丈夫です!この子はしっかりしているので配慮は必要ありません!」というケースに遭遇しますが、「しっかりしている」と「困難さの有無」は別次元の問題。むしろ、困難さが見逃される危険性すらあります。そもそも、配慮って困難さの有無に関わらず、全ての子にとって必要なものだと思うのです。
「発達障害に見えない」のは、特性が表に出ない様に全力で隠している可能性があります。隠すということは、かなりのストレスがかかる訳で。。ストレスで倒れる寸前のタイミングで「それは発達障害じゃないよ。大丈夫!」と言われた時の心的ダメージは計り知れない。
繰り返しますが、学習障害などで読み書きに困難さがあるからって、読み書きが嫌いと決めつけるのは本当にやめた方が良い。「出来る・出来ない」と「好き・嫌い」は別次元の話。 大切なのは、「出来ない」によって「好き」の権利が剥奪されないこと。ICT等の代替手段を用いて”好き”を保障すること。
「車椅子ユーザは、わざわざ段差のある店に行かなくても違う店で買えば良い。」という意見もあるでしょう。単体で見れば大した問題に見えないかもしれない。しかし、塵も積もれば山。やがて大きな生き辛さとなります。そして何より、自分が病気や怪我をした時に生きやすい社会であって欲しいのです。
「スマホをいじる位なら講義に出るな。」というツイートが流れてきた。学ぶ気がない学生に単位を出す必要はないが、様々な理由でメモが困難な子にとってスマホは手軽に記録できる道具でもある。「スマホをいじる=学ぶ気がない」というバイアスは、そろそろ変化しても良い頃合いだと思う。
仕事ができない部下をどうすれば良いか聞かれたので、「出来ない仕事を責めるのではなく、出来る仕事を増やしてみたら?」と答えた。一年後、「出来る仕事を認めることで、本人が出来ない部分を認める様になった。周りに頼れる様になったし、今は悪い部分が本当に目立たない。」と報告された。嬉しい。
過敏性腸症候群(IBS)などトイレが近い方にとって、「いつでもトイレに行ける」という見通しがあるだけでも精神的に大きく違います。それを知って以来、90分の講義中に休憩時間を入れる様にしているのだが、眠気や疲れを取りリフレッシュできるので、誰にとってもメリットが多い仕組みなんですよね。
息子に「我慢するのは良い事だと学校で教わったかもしれない。でもね、人から悪口を言われて我慢する必要なんてないんだよ。悪口は立派な暴力だからね。」と伝えた。すると息子は強く頷き、そして笑顔になった。 我慢を教えるのならば、同時に「我慢しなくてよい」を教える必要性を強く感じた出来事。
「我慢すること」を教えるなら、同時に「我慢しないこと」も教える必要がある。誰かに助けを求めるスキルは、生きる上で必要不可欠な力だと思う訳です。