「子供の好き嫌いをなくすには?」と聞かれた際は、「嫌いなものを無理に食べさせないこと」と答えている。無理強いはトラウマを生み出す原因。幼少期に大切なのは嫌いなものをなくす事よりも食を楽しむ経験。そして、何より食べるのを嫌いにならない事なんですよね。
「表計算、難しいから苦手‥」という学生に「表計算なんてやってみたら簡単だよ」と言ってやる気を奪っていた昔の自分。そこで、「表計算って難しいよね。」の様に【相手の言葉をそのまま返す】を意識したところ、「苦手だけど、少し頑張ってみます!」と言ってくれる様になった。ひたすら反復、大切。
「授業中にそわそわ動く子がいて・・真面目に授業を聞いてくれません。」と質問されたが、動くことで集中力が高まる子がいます。むしろ「真面目」な可能性すらある訳で。。 個人的には「動いても周りの子に迷惑にならない工夫や環境づくりって出来ないでしょうか?」という質問の方が嬉しい。
4月2日は #世界自閉症啓発デー 自閉症の方への配慮というと難しく感じるかも‥ですが、例えば、並ぶ位置が一目で分かるレジ前の足型や、残りの駅数が一目で分かる駅名表示など、感覚的なものを絵や写真で視覚的に表現するだけで負担が減ります。でもこれって、実は多くの人に優しいデザインですよね。
昔、和食屋でバイトをしていた。不注意性が強くミス連発で落ち込む僕に「お前に完璧なんて期待してへん。大事なのは、なんとかしようと工夫するお前のその気持ちやねん。ミスは俺が責任とったる。明日の仕込み、頼んだで。」と言ってくれた料理長の一言は、今も学生と接する際に心がけている。
我が家では、感謝はするが「手伝い」という言葉を使わないルール。共同生活をする限り家事は分担するもので、皆が得意なことを担当すれば皆がhappyになる。少なくとも、息子が将来結婚した時に、パートナーに「家事、手伝おうか?」「日曜、子供預かろうか?」系を言わない大人に育てたいんですよね。
「持ってくるのを忘れました。次は気をつけます‥。」と学生から言われたので、「気をつける‥という根性論よりも、ラクして持ってこれる方法を考える方が大切だよ。とりあえず、iPhoneならSiriでリマインドしてみたら?」と答えた。後日「Siriのおかげで持ってこれました!」と満面の笑顔。良かった。
障害を表に出して発信すると、どうしても「わざわざ障害と言わなくても良い」「障がい者ビジネス」と言われてしまいます。ただ、雇用契約を結ばずに働く就労継続支援B型事業所の平均工賃は月額15,576円(R2)が現実で、工賃が上がるビジネスモデルを作りたい。だから、しっかり発信したいと思います。 twitter.com/ogatti21/statu…
学校に休まず行くことって美化されがちだけれど、自分の心を大切にして適度に休むことって大切だと思う。休みたいという気持ちを尊重し、休むことの大切さを知るのって、決して甘やかしではないし、むしろ大人になった時に必要な事だと思うんですよね。
スーパーで意識を失って倒れた後、買い物をしていたお客様の中に看護師さんがいたらしく、痙攣の状態を把握して救急車を呼び、救急救命士に私の状態を伝達してくれたとカルテの記録で知る。御礼をご本人に直接言えないのは辛いですが、この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
「障害があるからオシャレを諦めた‥」の声を聞いて一念発起し、障害の有無や性別に関わらず誰もがオシャレになれるファッションを開発しています。今年秋、パリコレでのファッションショー開催に挑戦中。私達に報酬はなく、概念を広げたい一心で活動しています。応援宜しくお願いします。@WFR_PFW2023
「長所を伸ばしましょうと言われたのですが、息子の長所が見つからなくて‥」と相談されたので、「長所って他人と比較してしまいます。長所を伸ばすのではなく、本人が『出来た!』と感じる瞬間を探して、そこから出来ることを増やしてみませんか?」と答えたところ、長所が見つかったと報告。何より。
大学時代、朝起きるのが難しいタイプの教え子達と、卒業後に久々に会った。「先生の講義は途中で入っても叱られない(むしろ、よく来たと褒めてくれる)から、間に合わなくてもとりあえず行く習慣がついたんですよね。あのお陰で今は起きれてますよ!」と言われ、配慮が習慣に繋がる可能性に気づいた。
「不注意性を治すよりも、不注意性が強いことを前提に動くといいよ。」 少し前に講義で伝えた。 すると、受講していた学生がこんな事を書いてくれた。 「私はその言葉を聞いて初めて前向きになれた気がしました。これまで完璧主義者だった私は、人に弱みを見せることも必要だと学びました。→続く
学習障害は読み書きの困難さに着目されがちですが、着目すべきは読み書きに脳のキャパの大半を使ってしまうこと。多くの人は読み書きの最中も色々なことを考えます。考えるからこそ記憶したり学んだり出来るのですが、それが出来ないとなると授業が「読み書きをするだけの時間」になってしまう訳です。
「持ってくるのを忘れました。次は気をつけます。」言われたので、「気をつける…という費用対効果が低い根性論よりも、ラクして持ってこれる方法を考える方が大切だよ。とりあえず、iPhoneならSiriにお願いしてみたら?」と答えた。翌週「Siriのおかげで持ってこれました!」と満面の笑顔。良かった。
サラダの取り分け、お酌、タイミングを見計らったオーダー・・・これらのスキルが強要されない集団に属するだけで、人生は3割ハッピーになると、割と本気で思っている。
不登校の子供達の気持ちを理解する事って、本当に難しい。大人は子供に気持ちを聞こうとするけれど、子供が自身の気持ちを理解できない場合もある。「何故学校に行けないのだろう‥」と本人がモヤモヤしているのに、「なんで来れないの?」と強引に理由を聞かれるのは、きっと辛いと思うんですよね。。
「なんで、こんな事も出来ないの?」系の発言って、ただでさえ精神的に大ダメージを与えるのに、「普通は・・周りは・・常識的には・・社会は・・」など、一般論に進化させてとどめを刺すのは本当に勘弁してください。
「みんなは我慢しているのに、あなただけ我慢しないのはワガママだ。」というロジックって未だに根強く残っているのですが、我慢の程度って個人差が大きいし、誰もが同じ労力で我慢できる訳ではない。そもそも我慢せずに済むデザインを考えた方が、皆にとってメリットがあると思うんですよね。
「あいつは何度怒鳴っても反省しない!」と堂々と言う人を見ると、「怒鳴るという暴力で、かつ失敗しているのに、何度も同じ叱り方をする自身の行動をまずは反省すべきでは?」と思ってしまうのです。
「校則がないと荒れる」という部分は強調されるけれど、「生徒の意思を尊重しないと荒れる」という部分が抜けている気がするんですよね。。(生徒のわがままを聞くという話ではなく、生徒の気持ちを教師が理解しようとするという意味です。) 気持ちを育てるには、気持ちを大切にする必要があるかと。
「不注意性を治すよりも、不注意性が強いことを前提に動くといいよ。」と伝えたところ、「不注意性は治さないといけないものだと思っていました。不注意性が強くても、対策をしておけば問題が発生しない。そう思うと、なんか前向きになれました。」と言われた。 前向きにするのが本当の支援だと実感。
「不注意性が強いのですが、どうすれば改善できますか?」 学生からこう相談された時は、「不注意性を治すのは大変だよ。それよりも、他人に自分の特性を伝えたり、スマホでアラームをかけたり、不注意性が強いことを前提に動くと良いよ。リスクを回避できる確率が高くなるからね。」と伝えている。
「学校に適応できない=社会に適応できない」ではないし、学校でうまくいかなくても社会で頑張れるケースは山程ある。大切なのは、子供達が「自分は社会に適応できない存在」という思い込みで絶望しない事だし、そうならないためにも大人が子供達に負のレッテルを貼らない事が大切だと思う。