こういうニュースって「特定の児童生徒のための配慮が必要→特別扱いする必要がある→教師の負担が大きい」というロジックで語られがちだけど、「特別扱いではなく全体にとって優しいデザイン」の観点で議論して欲しいし、最終的な負担減を目指して良いと思うんですよね。 news.yahoo.co.jp/articles/ad52b…
不注意性が強い人に必要な力は、「忘れない様に努力をする」より先に、「忘れる特性を自覚すること」だったりする。特性を自覚してないと、「これくらいなら覚えられる、大丈夫。」と思いがちだし、結果的に大丈夫ではないんですよね。
「障がい者のために社会が配慮すべき」と言うから反発が生まれるのであって、「障害の有無に関わらず、全ての人がメリットを感じられるデザイン」を開発すれば良いと思う訳です。。
「人権週間だから○○君と遊んであげましょう。」と担任に言われ、外に出れなくなった彼。自分もクラスメイトに「人権週間だから遊んでやる」と言われてきた人間だからこそ、彼の辛さが痛いほど分かる。言った側を責めるつもりはない。ただ、言葉が持つ凶暴性を常に自覚しないといけないと強く思う。
昔はスカートを穿いて大学構内を歩いていると「!?」という感じで見られたのですが、スカートを穿いて一年半、最近は逆にパンツ姿で歩いていると「!?」という感じで見られる。結局、違和感なんて「日常からのズレ」にすぎないんですよね。
「先生のスカート姿を見て、僕も街で穿いてみました!」と学生から言われた。スカートは体温調節や着脱のしやすさなど、障害のある方にとってメリットが沢山ある。かつ、男性でもオシャレになれるアイテム。スカートという選択肢を世に広めたいと頑張ってきたので、若者から認められてちょっと嬉しい。
「信じて貰えないと思うのですが、実は周りの音が『色と形』で見えてしまうんです。だから、すごく疲れやすくて‥。」と相談されたので、「信じますよ。それは共感覚といって、稀に見られる脳機能の特性です。」と答えたところ、「本当!?誰にも言えなかったから嬉しい。。」と安堵されたんですよね。
今まで聞いた中で好きな実践。聴覚障害があるAさんがいるクラスで、子供達から「みんなでカルタをやりたい。でも、普通に読んだらAさんが聞こえないから、(読み札を)テレビに写して欲しいです。」と提案されたというもの。提案した子ども達もすごいし、こういう雰囲気を作った教師もすごい。
黙って大人しくしている子って、「手のかからない子」と教師から認識され、つい放置されがち。ただ、SOSを表出出来ないという意味では、実は気をつけないといけないんですよね。
息子がスケートボードを習い始めた。教室の方針に「挨拶はしっかりとする」と書かれていたので、大きな声で挨拶をするのかと思いきや、挨拶がまさかのグータッチ👊。なるほど、これなら声が出せない子でも挨拶ができるし、自然と笑顔が生まれる。「挨拶=大きな声」は思い込みだなと痛感した出来事。
大学でスカートを穿いて歩いていると、「先生、スカート姿カッコいいです!」と言って貰える機会が明らかに増えた。そして最近嬉しいのが「先生のスカート姿を見て、自分の中に偏見があることに気づくことができました。」というもの。 偏見を責めるのではなく、偏見に気づくきっかけを増やしたい。
「Aさん、きっと発達障害だと思うんです。」と相談された際、「過度に頑張っているのに出来なくて本人が困っている場合、それは"障害"です。困っていない場合、それは"特性"です。」と事前に伝えると話がスムーズに進む。ただし、困りを言語化できないケースも多く、困りを自覚するサポートは必要。
「大きな声で話しなさい!」と怒鳴られ、萎縮して余計に話せなくなるケースは多い。大きな声で話すことを他人に強制する人っているけれど、小声でボソボソ話す人の方が優しそうで話しやすいし、それも一つの魅力。価値観の押し付けで個性を壊す指導って、どうしても「勿体ない」と感じてしまうのです。
聴覚過敏って「誰にでも嫌な音はある。我慢が足りない」と勘違いされやすいのですが、多くの人は日常生活で「音が痛い」「音が刺さる」と感じないでしょうし、音が来る方向に怯える事もない。つまり、我慢や根性で何とかなるレベルではないんですよね。。
「あの子は発達障害だから・・」みたいに、障害って負のレッテルとして使われがちですが、障害の診断は、自分がなぜ辛いのかを理解するため、辛さを他人に説明するため、そして辛さを解消するためのもの。あくまで前に一歩を踏み出すために必要な手がかりであり、負のレッテルではないんですよね。
「○○さん、きっと発達障害だと思うんです。」と相談された際は、「○○さんが困っている、もしくは苦しんでいるのなら、それは障害です。障害は解決したいのに出来ない”ハードル”。もし困っていないならそれは特性であって、障害ではないですね。」と前提を伝えると、その後の展開がスムーズにいく。
「講義を欠席する際は謝らなくて良いです。体調は個人差があるし、体調が悪ければ堂々と休んで下さい。」とTwitterで呟いた効果なのか、「体調不良で欠席します。宜しくお願いします。」という欠席連絡が増えた。体調不良を謝らなくて済む社会になって欲しいと願う僕にとって、少し嬉しかった出来事。
漢字が苦手なAさん。鉄道好きだったので「漢字を覚えるのが苦手なら、駅名で漢字を覚えてみない?大人でも鶯谷(うぐいすだに)を書けない人は多いし、放出(はなてん)を読めない人は多いと思うよ?」と伝えたところ、「確かに!やってみる!」と取り組んでくれた。楽しく学ぶって、大切。
「活動は素敵ですが、男性のスカートはどうせ流行らないですよ。」と言われます。ただ、スカートは体温調節や着脱のし易さなど、障害や困難さのある方にとってメリットが沢山ある。流行らなくても「男性が穿くのもアリだな」と思ってくれる人が一人でも増えるなら、僕は喜んでスカートを穿きたい。
90分の講義の間に休憩時間を確保するだけで救われる学生は多い。同一姿勢であるが故に生まれる眠気、講義中にトイレに行けない恐怖、花粉症を我慢するストレスなど、講義を聞きたいにも関わらず体質のせいで集中できない学生は多い。集中出来ない理由を一方的に「集中力」のせいにするのは辞めたい。
講義の最後に「質問ありませんか?」と言っても、手は上がらない。そこで、「講義の感想を隣の人と共有して、質問を考えてみましょう。質問を思いついたらチャットで送ってね。」と伝えたところ、質問が来る様に。質問ができない事を責めるのではなく、質問しやすい環境で経験を重ねる方が大切かと。
「Twitterやりたいけど、何をツイートしたら良いか分からない」と相談されたので、「全盲の世界について知りたい人は沢山います。きっと、知らないから不安なだけ。だから、自分の世界の当たり前を皆さんにプレゼントしてみませんか?」と答えたら、本当にプレゼントする方になられた。応援してます! twitter.com/nofkOzrKtKUViT…
「学校が子供に配慮すると、甘えて自立できなくなるのでは?」と言われたので、「配慮を受けて『出来た!』という経験を積めば、本人に意欲が生まれ、甘えるどころか自ら工夫をし始める‥つまり、自立します。自立する意欲を生み出すための配慮をしてみませんか?」とお伝えしたら逆に納得頂けた件。
小学校で教員をしている教え子が、「テストに書く名前は【習った漢字】しか使ってはいけないというルールがあるんです。ルールは疑問があるけれど、ルールがコロコロ変わるのも・・と思ったので、『漢字で書ける人は挑戦してみよう』という欄を別途設けてみました。」と言っていて、思わず感心した件。
「ユニセックス・スカートなんて開発しても、どうせ誰も穿かないのでは?」という質問を頂戴しますが、実はそれはそれで構わないと思っています。 だって、「選ばない」は、選択肢が準備されている状況ではじめて生まれる権利ですから。