過去に一度だけ「大学の先生なのに、なんで丁寧に教えないんだ!」とクレームが入ったことがある。その時、「教えるから考えないし、考えないから学ばないんですよ。大学は教えられて勉強する場所ではなく、学ぶ場所です。」と答えた。後悔はしていない。
「ADHDだから出来なくても良い」という免罪符的な誤解が、ADHDで悩んでいる人を責める風潮にならないで欲しいと心から願います。配慮を受けて前に進もうと必死で頑張っている人が報われる社会であって欲しいのです。
「デジタル機器を使うと、手で書かなくなる。」という理由で、書きに困難さがある子供に手書きを強制するケースが未だに見受けられますが、「タイピングだけど、作文を自分で書けた!嬉しい!」の方が大切だし、嬉しさの先に「今度は手紙を手書きで書いてみたい。」があると思うんですよね。
障害のある子供達に対する合理的配慮って、つい教師と保護者の間で議論して決めてしまいがちですが、話し合いが困難な場合を除いては議論に本人を含める事が大切。「悩みを聞いてくれる大人がいる」「一緒に考えてくれる大人がいる」ことを感じる経験って、子供達にとって本当に大切なんですよね。。
明朝体とUDデジタル教科書体を比較してみました。 読みに困難さがある方にとってデザインは死活問題です。フォントの変更に加え、行間やフォントのサイズを調整することで、空白を作ることも大切です。 決して明朝体がダメという話ではなく、こうした配慮を知って頂くことが重要だと思っています。
「茄子、ちょっと苦手かも・・」と娘が言う。無理矢理食べさせてトラウマにしたくないので「じゃあ、お父さんが食べるね。どうせ大人になったら食べれるから大丈夫!」と伝え、娘の茄子を美味しそうに食べた。すると、娘が「やっぱり、食べてみようかな・・。あっ、食べれるかも!」とパクリ。ニタリ。
僕の不注意性を叱るのではなく、「忘れてるでww」と笑って言い続けた両親。僕が忘れない様に視覚支援するなど、今考えると先進的だった。お陰で自分の不注意性を自覚したし、早い段階で工夫することの大切さに気づいた。そんな息子は父親になり、今は息子達に「忘れてるでww」と言い続けている。
聴覚過敏って「誰にでも嫌な音はある。我慢が足りない」と勘違いされやすいのですが、多くの人は日常生活で「音が痛い」「音が刺さる」と感じないでしょうし、音が来る方向に怯える事もない。つまり、根性で何とかなるレベルではなく、耳栓などの配慮がないと苦痛なんですよね。。
「社会に出た時に困るので、支援や配慮を減らしていきましょう」と言われることが多いのですが、個人的には「社会に出た時に困るので、支援や配慮のクオリティを高めていきましょう。同時に、配慮を要求するためのスキルを身につけていきましょう。」なんですよね。
発達障害は治りませんが、社会が「柔らかく」なれば軽減・解消できると思っています。 「柔らかく」とは、労働形態などの仕組みが柔軟になること、テクノロジーなどを使って個人にフィット出来ること、そして何より、一緒に楽しめる仕組みを社会全体で考えること。 社会が柔らかくなるといいな。
運動場の片隅でポツンと座る男の子。 その隣で優しい笑顔で座り、その子の「ここにいたい」を大切にする先生。手を引っ張る訳でもなく、「一緒に行こう」と言う訳でもなく、その子の気持ちに寄り添っていた。 その男の子は30年後、気持ちに寄り添うことの大切さを伝える仕事をしています。
「スカートを穿いて何の運動ですか?」とよく聞かれるのですが、運動をしている意識は全くありません。穿きたいから穿く、それだけです。 むしろ、「スカートを穿く人=運動している人」と、そう解釈されない社会になって欲しいと切に願います。
「僕だから許すけど、貴方は社会で通用しないよ・・と言われました。」と相談されたので、「貴方のことを許さず、社会で通用しない理由を分析し、解決する方法を一緒に考えてくれる人と付き合った方が良いと僕は思うよ。」と、思わず答えてしまった。
不注意性が強い僕はバイトでミスを繰り返していたのだが、ある日、上司に怒られた。その理由が「お前がミスをするのは仕方がないし、そこは怒ってない。怒っているのはお前が『自分はミスをしない』と過信して手を抜いていることだ。」だった。出来る部分で手を抜かないという大切な事を知った出来事。
この度、私の研究室で「ミライの制服プロジェクト」を発足しました。肢体不自由の生徒さんが着脱しやすく、かつ誰もが着たくなる様なオシャレな制服を開発しようと思っています。あくまで選択肢を増やすことが目的で、可能性を提案するレベルですが、挑戦したいと思います。応援宜しくお願いします。
「障害のある人には優しくしましょう。」的なことってよく言われがちですが、障害のある人に「優しく」するのではなく、「障害を解消してお互いがwin-winになれる社会をつくりましょう。」なんですよね。
卒業生が研究室に遊びに来た。 「ここで自分に発達障害の傾向があると分かり、モヤモヤした世界が嘘みたいに晴れたんです。これまでの自分は、見えない敵とずっと戦っていたんだなって。だから、今は本当に人生が楽しいです。」 障害の診断は決してレッテルではなく、人を幸せにするための手段です。
講義の最後に「質問がある人は挙手してください。」と言っても、手が挙がる確率は低いし、挙手しても特定の人だったりする。そこで、「今から立ち歩いて周りの人と話し合って良いので、質問を考えてスマホからチャットで送ってね」とお願いしたところ、積極的に質問が来た。質問しやすい環境って大切。
小学校時代、人と話すことが苦手だった僕に「無理して話さなくて良いよ。話したくなったらいつでもおいで。」と言ってくれた教育実習の先生。1ヶ月足らずでしたが、僕の中では永遠に恩師。たとえ教育実習であっても、子供達にとっては大切な先生であることを、実習生は意識してくれると嬉しいです。
「スカートと言えば女性の服なのだから、スカートを選ぶ男性はトランスジェンダーをカミングアウトするのと同じだ!」というお叱りを時折頂戴するのですが、果たして本当にそうでしょうか・・? 少なくとも、我々は普通に穿いている訳ですが・・。
「私、不注意性が強いので・・」と伝えると、不注意性を改善するためのアドバイスを戴くことが時折あるのですが・・。困っているのは不注意性という自身の特性ではなく、不注意性のない人達の価値観に無理矢理合わせることにより生じるストレスなんですよね。。
「イライラすると廊下に飛び出す子がいるのですが、どうすれば防げますか?」と質問されたので、「廊下に飛び出さないを目指すのではなく、廊下に飛び出す理由を子供に聞いてみませんか?」と伝えた。後日、「教室で爆発しないために飛び出した模様です。本人に聞くって大切ですね。」と報告。嬉しい。
消しゴムを使うのが難しい子は世の中に沢山います。。力の入れ方が弱いと消えてくれないし、力を入れすぎると紙が破けてしまいます。しかも、もう片方の手では紙を強く押さえないといけない。その状態で間違えた部分のみを消すというのは、もはや神技なのです。。
「僕は遅刻しても叱りませんし、必ず笑顔で迎えます。遅刻してしまうと授業に行く気力がなくなると思うのですが、それでも授業に来れたことは本当に凄いこと。だから、遅刻しても諦めずに来てくださいね。」と伝えた。気圧が変動し精神的に不安定になる6月だからこそ、配慮の大切さを痛感している。
「障害当事者のための機能的なファッション」ではなく、「機能的でかつ流行するファッション」を生み出すためのパリコレ挑戦。あと少しで夢が実現しますが、挫けそうになる事も‥ どうか、私達の活動を応援して頂けませんでしょうか?皆様のいいね・RTが力になります。 応援、宜しくお願い致します。