発達障害がTwitterのトレンドに上がっているので強調しますが,診断は苦しさの原因を本人が把握し,様々なリソースを使って苦しさを解消し,前に一歩踏み出すためのものであり,決して人にレッテルを貼るためのものではないことを強調しておきたい。
「悪口を友達に言われている事、どうして先生に相談してくれなかったの?」という場面に遭遇したので、「先生に相談するのは、子供にとってハードルが高い事です。あと、悪口を言われて既に傷ついている状態の子に、相談できなかったことを責めるのは辞めた方が良いと思いますよ。」と、お伝えした。
伸び始めたので補足・・ ・大学だから出来ることではあるけれど、トイレの頻度には個人差があるという事実は広まって欲しい。 ・入退室自由にすると学生が帰ってこないのでは?→帰ってくるのでこのルールにしています。 ・我慢出来るかも知れませんが、無意味な我慢より講義を聞いて欲しいです。
皮膚が弱いと、襟が首に触れただけで腫れてしまいます。画像は30秒ほどジャケットを着ただけ。これが学校や会社の制服だと、勉強や仕事どころてはないですよね。 だからこそ、感覚の過敏性に配慮した制服を開発していますし、その意味は大きいと考えています。
学校の宿題って「提出した・しない」でのみ判断されることが多いのですが、「宿題にかけた時間」も同時に確認すべきかと。同じ宿題でも、10分で終わる子もいれば、読み書きに困難さがあると4時間かかるケースもある。それを「同じ労力」と評価されてしまうと、学校に行く気力が喪失してしまう訳です。
「クラスの子供達が反抗的で、何を言っても指示に従わないんです。」と相談されたので、「子供達の行動を『反抗的』と捉えるのではなく,『子供達からのSOS』と捉えてみて下さい。その中で叱るとどうなるか‥という事です。」と伝えた。以降、子供達の話を聞く様になり、クラスが落ち着いたとの事です。
「大学院に行くなんて無駄。早く就職して社会に出た方が良いに決まっている。」と言われて落ち込む学生がいたので、「必死で悩んで選んだ進路に一方的にダメ出しされると辛いよね。相手の選択を尊重してくれる人を大切にすると良いと思うよ。」と伝えておいた。
百人一首を皆でやろうとするも、メンバーの中に聴覚障害の子がいた。どうするかな・・と観察していると、「百人一首の代わりに何をさせよう‥」と悩んでいる大人の思惑を無視して、「手札を画面に映せばいいじゃん!」と楽しそうに話す子供達。この差は何気に大きいな・・と感じた出来事。
障害のある方に対する偏見や差別意識が強ければ強いほど、病気や怪我で障害のある側になった瞬間、自分自身を苦しめることになる・・という事実だけは一応お伝えしておきますね。
障害や多様性の話をすると、「生徒一人一人に配慮してたらキリがない」「全ての生徒に優しい授業なんて無理」とよく言われるのですが、配慮しようとしてうまくいかない授業と、最初から諦めている授業には差があるし、この差って生徒には伝わると思うんですよね。
「先生はなぜ、障害のある方にそこまで配慮出来るのですか?」と聞かれたので、「障害があるから配慮しているのではなくて、目の前の人全員に配慮している感じかな。目の前の人が楽しんでくれたら、なんかオモロいやん。」と答えた。そう、障害があるから配慮している訳ではないんですよね。
バズにつき宣伝。こうした「障害×ファッション」の魅力を世界に広めるべく、今年9月のパリコレで世界に発表します。 ただ、私達は企業の様に収益性がなく、メンバー4人の自腹の活動。資金がかなり不足しています。もしよければ、拡散またはご支援を・・。宜しくお願いします🙇‍♂️ camp-fire.jp/projects/view/…
「学校には行きたいけれど、環境がしんどくて‥どうしよう‥。」と相談されたので、「学校は水中と同じ。息を止めて泳いで、苦しくなったら息継ぎをすれば良い。まずは息継ぎできる場所や人を探そう。」と伝えたところ、楽になったと報告。ストレスが減る見通しを視覚的にイメージするって大切だなと。
「うちの子、どんな大人になって欲しい?」と妻に尋ねると、速攻で「人生を楽しめる子。」と返ってくる。逆もまた然り。正直、誰かに迷惑さえかけなければ、それでよい。 だって、成績が優秀なことより、良い大学に行くことより、人生を楽しむことの方が遥かに大切で、かつ難しいことですから・・。
「将来、この子が困らない様に・・」という理由で、子供達に我慢を強要するケースってよく見かけるのですが、世の中に困らない人なんて存在しないんですよね。むしろ必要なのは、困ったときに試行錯誤して問題を解決する力だと思う訳です。
「廊下は走らない!!」と叱って終わるのではなく、「走ると怪我するから、廊下は歩こうね。」と理由を説明する。さらに、叱った子が後日廊下を歩いていたら、「おっ、歩けてる!」と認めることが大切。 叱った後が本当の指導。叱られた悪い記憶を良い記憶に塗り替えることが大切なんですよね。
相手に遅刻の連絡をする際に、焦って「○時○分には着きます!」と限界ギリギリの時間を伝えてしまい、結果的に「二重の遅刻」をすることとなり、自ら相手のストレスを増幅させるという自殺行為をなんとかしたい案件。。
「背景が白の紙にプリントされると、チカチカして文字が読みにくいです。」ともし自分が言われたら、「もしよければベストな紙を持ってきてくれる?その紙に印刷しますね。」or「良ければデータで送りますね」と伝えると思うのですが・・。これが特別扱いという発想になるのは何故・・?
立ち歩きの多い子や不注意性の強い子は手厚く対応されるのですが、真面目な子は「あの子は大丈夫」と放置されがち。でも、困難さを表出できない真面目な子ほどストレスを内面に溜めてしまう。だからこそ、真面目な子がSOSを隠している可能性を常に意識する必要があると思います。
「社会に出て困らないために」と思うがあまり、厳しくしすぎて「社会に出れずに困る」可能性も認識しておくべきだと思うんですよね。
学校での合理的配慮って確かに大切だけど、本人の「学びたい」ではなく、大人の「学ばせたい」が前提になっている気がして仕方がない。
「相談があるんですけど‥」と言われ、話を聞いているうちに号泣される事が比較的多いのですが、ひたすら話を聞いて頷いて、泣いてもらう様にしている。そういうケースは相談がある訳ではなくて、辛さを吐き出したいSOS。相談は質問された時に返したら良い話なので、アドバイスはしない様にしている。
我が家では、子育てはそれぞれの「苦手分野」を担当する事にしている。よって、娘のピアノの練習は僕が担当。苦手だからいイライラしないし、分からなければ妻に聞けば答えが分かる。苦手な事って教える上では強みだったりするんですよね。
資金が限界なんです‥ 企業様や有志のご支援、自己資金で1500万円以上は工面しましたが、最低あと300万円は必要。このままでは‥。 そこで、この度クラウドファンディングを決意しました。いいね、RTだけでも応援になります。夢を実現させてください。宜しくお願いします! camp-fire.jp/projects/view/…
「板書をノートに書き写すのに必死で、授業内容を覚えていない‥。」と嘆くAさん。字を書く速度が遅いと、書き写すのに必死で教師の話を聞くキャパがない。必然的に内容を理解できないし、学ぶ意欲も生まれない。それでも書き写せたらマシな方で、多くは間に合わずに黒板消しで消されてしまう訳です。