「褒めて伸ばしましょう」的なやり方って、子育てや社員教育の世界でよく言われる訳ですが、個人的には「他者から認められたり任されたりする経験を通して、主体的に取り組める活動を増やしましょう」の方がしっくりくるんですよね。
叱れば叱るほど自分の指示に従う「良い子」になるかもしれませんが、同時に「言われたことしか出来ない」リスクが増えるんですよね。「最近の若い子は言われたことしか出来ない」と嘆く前に、自分自身が相手の失敗を責めていないかを今一度確認することが大切だと思う訳です。
UDフォントはディスレクシア(知的に問題はないものの読み書きの能力に著しい困難を持つ症状)の方など、文字の形を正確に認識することが困難な方にとって読みやすいフォントです。線の細さが一定でない明朝体と比較すると、視認性に優れています。
「障がい者のために社会が配慮すべき」と言うから反発が生まれるのであって、「障害の有無に関わらず、全ての人がメリットを感じられるデザイン」を障害支援の観点から開発すれば良い。 だって、障害のある方向けにデザインを開発することは、多くの人にとって恩恵のあることですから。
美談に思われると嫌なので補足しますが、実際は「すいません。。実は体調不良の方がおられるので。。」的な弱い感じのアナウンスです。バス内に団体さんがいて、通常よりかなり騒がしい状態で、あまりにも辛そうだったので本人の意思を確認し、そっとアナウンスした・・という話です。
障害のある子の保護者に対して、「配慮を徐々に減らし、配慮なしで生活できる様にしましょう。」と伝えるケースがある。でも、それって「目覚まし時計を使わずに朝起きれる様にしましょう。」と一緒。むしろ、出来ない事は配慮や支援を受けながら、様々な事にチャレンジする方が大切だと思う訳です。
「この子は優秀だから大丈夫。」と聞いた時は、必ず待ったをかける様にしている。優秀な子の中には、水面下に「出来ないことを許せない」「出来ないことが怖い」といった気持ちが潜んでいる場合があります。そこをスルーしていると、致命傷になるケースがあるんですよね。。
「最近の若い子は自分で考えて動かない!」と若い子にあたっている指導者がいたので、耐えきれず「若い子が自分で考えて動いたタイミングで叱られてるのに、自分で考えて動けると思えるロジックが分かりません!」と感情的に言ってしまった自分に反省している。
書字に障害があり、頑張れば字を書けるけれど、逆に言うと過度に頑張らないと字が書けないAさん。そんなAさんの担任から「iPadを渡し、タイピングで書く練習をさせたところ、『作文が楽しい!言いたい事がありすぎて何を書こう‥』と笑顔で言ってくれたんです!」という話を聞いた。素敵なエピソード。
「障害のある方の立場に立って考えましょう」は確かに大切だけど、「世界が違いすぎて、障害のある方の立場に立って考えることは難しい」という前提の方がはるかに大切。だからこそ、想像して相手の立場に立ったつもりになるのではなく、知識や対話を通して相手を知ろうとすることが大切なんですよね。
「子供達を褒めているのですが、なかなか反応がなくて‥」と相談されたので、「反応がない時は本人が褒められたいポイントではないのかも。子供達が大人の顔をチラ見する時や『見てー』と近寄ってきた瞬間が褒めるタイミングだと思いますよ。」と伝えたところ、子供達が喜んでくれたと報告。良かった。
「年越しそば、どん兵衛にする?」に、「やったー」と喜ぶ子供達。世間的には手抜きと言われるかもしれないけれど、手抜きで生まれた時間を家族と共有できるのであれば、こんなに素敵なことはない。 手抜きで皆がhappyになれる方法を模索するって、実は大切な事だと思うんですよね。
スカートを穿いて講義をしはじめて約半年、学生に伝わったメッセージは「男性がスカートを穿いても良い」ではなく、「人生を目一杯楽しむ大人が世の中にはいる」だった。 苦しいことが多い世の中だからこそ、「人生は楽しい。」という見通しを示すって、実は大切なことだと思うんですよね。
「車椅子だと制服の着脱が大変で、毎朝地獄なんです・・」「制服は痛くて重くて、結局学校に行けなくなったんです・・」 制服を取り巻く数々の悲痛な声。それならば、最高の制服を作ってみよう。 ゼミ生達と何度も議論を重ね、機能性とカッコよさを兼ね備えた、最高のセーラー服を作ってみました。
講義中に「トイレに行っても良いですか?」と言われたので、入退室を自由にした・・という話でバズった際、残念ながら「小学生か?」みたいな反応があった。トイレに困ってない人からすると「対策しろ」「我慢しろ」程度の認識かもしれませんが、トイレの個人差は大きく、苦しむ人が多くいる訳です。
かなり前の話なんだけど、「先生、講義に出るのが辛くて・・」と相談されたので、「分かった、代替案考えるね。こうして助けを人に求めるって勇気がいったと思うんだ。本当によく頑張ったね。」と伝えると、泣きながら笑ってくれた。助けを求めるのは勇気がいるし、その大切さを教えてくれた出来事。
ある学校の講義で、計算に困難さがある学生が「計算ミスで薬剤の配合を間違えたくないので、電卓を使わせて欲しい」と言ったところ、先生に断られ、彼女は固まってしまったらしい。計算の困難さを事前に伝えていたにも関わらず‥です。 電卓を使わずに薬剤の配合を間違える方が問題だと思うのですが。
不登校になって15年以上自宅から出れなかった彼に、「これまで誰にも信じてもらえなくて辛かったよね。人の視線が痛いこと、雑音が耳に刺さって辛いこと、僕は信じるよ。」と伝えた。彼は今、外で働くことが出来ている。彼に必要だったのは外に出る訓練ではなく、辛さを共感してくれる人だったのです。
「何回言ったら分かるの!」という叫び声を聞いて、「何回言ったら伝わってないことに気づくの!」と条件反射で考えてしまう自分を・・どうかお許しください。
時の流れを意識しにくい幼児にとって、市販のカレンダーは土曜と日曜の位置が遠く、難易度が高い。そんなお子さんにお勧めするのが巻物カレンダー。「○○まであと何日‥の感覚が視覚的に分かる」「終わった日を巻いて消せる」のが秀逸。発達障害の方向けの商品ですが、ユニバーサルデザインだと思う。
「支援や配慮をすると、手が離れた時に自立出来なくなるのでは?」 これ、むしろ逆なんです。「環境を工夫すれば能力を発揮できる」という事実を本人が認識すれば、本人に意欲が生まれます。意欲があれば自ら工夫や配慮要求ができる・・つまり、自立します。 支援や配慮は自立に不可欠なプロセス。
バズにつき宣伝。実は大学教員をする傍ら、障害や性別という枠に囚われず、全ての人がオシャレにアクセスできるファッションを開発しています。写真は日本障がい者ファッション協会が開発した、車椅子ユーザでも着脱が容易な巻きスカート「bottom’all(ボトモール)」です。 応援宜しくお願いします✨
「私、仕事のミスが多くて‥。どうすればミスをしない人になれますか?」と質問されたので、「努力して駄目だったなら、今みたいに『私、ミスが多いです!』と周りにアピールしてごらん。周りが自然に心配してミスを防いでくれるから。その代わり、感謝の気持ちは忘れずにね。」とお伝えした。
社会の「当たり前」を見直せば、能力を発揮できる人って沢山いると思う。6時間労働だとバリバリ働ける人、昼寝すれば仕事に集中できる人、昼出勤だと能力を発揮する人、静かな部屋だと集中できる人‥などなど。「人類、皆同じ。」という固定観念、そろそろ辞めてみませんか?
不注意性の強い僕が学生バイトだった頃、茶碗蒸しを注文されたのに、液を入れ忘れて茶碗だけを蒸す様な人だった。それでも「お前は一生懸命やってくれてる。普段からミスしない様に工夫してる姿を俺は見てる。」と、お客様に代わりに謝ってくれた料理長の背中を生涯忘れることはない。