「空気が読めないって言われるけれど、決して空気を読んでいない訳ではない。誰よりも空気を読むけれど、誰よりも外してるだけなんですよね。結果、凄く疲れます(笑)」 発達障害当事者の方との雑談で出た話題。空気を過度に読むけど読めずに疲れるケースって、もっと知られて良い気がする・・。
「低気圧で頭痛がする‥。」「メンタル低調で外に出るのが辛い‥。」という状態て欠席しても、簡単に「サボり」のレッテルを貼られてしまう。学ぶ意欲があるのにレッテルを貼られるほど辛い事はない。そういう意味で、外に出ずに済むオンライン講義って、学びの保証の観点で素敵な選択肢なんですよね。
「スカートとズボンから制服を選べる。」という素敵な学校。 私のミッションは、ズボン・スカートに続く第3の制服の選択肢として、ユニセックス・スカート「bottom’all(ボトモール)」を加えること。 「あの制服、カッコいい!」と呼ばれるものを、近日公開します。 www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
話したくない子に無理やり話をさせようとするのではなく、 ・話したくないという気持ちを尊重する ・話しても大丈夫という安心感を生み出す ・話したい気持ちをそっと支える ・話を優しく聞く ・話せた事を一緒にふんわりと喜ぶ ・・そんな関わりが大切だと思う訳です。
不注意性の強い子に対して、大人はつい「忘れ物をなくそう」としがちだけど、忘れ物をなくすハードルはかなり高い。それよりは「忘れやすいことを自覚する」「工夫すれば忘れないことを知る」の方が大切だし、何よりも、忘れなかったことを子供と一緒に喜び、工夫に対する意欲を生みだすのが大切。
「分からないのに、なんで聞かないの?」と上司は言うけれど、部下の立場からすると「何が分からないか分からない。」もしくは「分からないことを気軽に聞ける雰囲気ではない。」だったりするんですよね。。
「忘れるなら、なんでメモしないの?」とよく言われるのですが、メモをする前に記憶が賞味期限を迎え、忘れるのではなく消えてしまうのです。脳から消えないように努力を試みる訳ですが、努力をするべきタイミングで「努力しないといけない」という記憶自体が消えてしまっている訳です。。
「社会人になったら自分から言わないと助けてくれないので、自分の特性を知り、支援があれば出来ることを知り、支援を要求するスキルを身につけましょう。」なのですが、前提となる「助けてもらう必要性に気づく」ためのハードルが結構高いんですよね。
障害があると「頑張る」という部分がクローズアップして美化されがちだけど、他の人が当たり前に出来ることを頑張って出来る様になったとしても、自尊心は正直上がりにくい。他の人が当たり前に出来る部分は頑張るのではなく、何らかの代替手段を活用しながら「頑張らずに」出来る経験が大切だと思う。 twitter.com/i/web/status/1…
「講義中、スマホを触ってOKです。調べ物やノートテイクなど、自由にお使いください。LINEしてもゲームしても構いませんが、講義中なので私に画面を見られる可能性があります。」と伝えている。 分からない事を放置せずに調べるのは大切だし、学びたい学生が快適に学べる環境って大切かと。
読み書き困難の子に対する指導って「読めない・書けない」に焦点があたり、読み書きの訓練ばかりされがち。でも本当に解決すべき問題は、宿題に他の子の何倍も時間がかかる、本読みなどの活動で置いていかれる、必死で頑張っても黒板の字をノートに写せない等、ストレスによる学習意欲の低下なのです。
「学校でうまくいかない子=社会でうまくいかない子」という思い込みほど怖いものはない。少なくとも、今一緒に活動している仲間は学校ではうまくいかなかった子だけど、皆が世界を変えるキャパを持っている。 子ども達の人生に負のレッテルを貼ることだけは、大人として避けるべきだと思う。
「制服のせいで学校に行けない。」という子供達は少なくない。ジェンダーマイノリティに加え、感覚過敏や精神疾患など、制服を着れない要因は多様。そして、制服を着て学校に行くのは当然ながら辛い訳ですが、それ以上に辛いのは「制服くらい我慢すれば?」と周りから思われることなんですよね。
「将来、この子が困らない様に・・」という理由で、子どもに我慢を強要するケースをよく見かけるのですが、過度な我慢はトラウマを生みだすだけなんですよね。 そもそも、世の中に困らない人なんて存在しないし、将来を考えるのなら、困ったときに我慢せずに訴える、または回避する力だと思う訳です。
「思いやり」を「相手の立場に立ち、相手がどんな気持ちかを考えながら接すること。」と定義するならば、思いやりを相手に強要する時点で、既に思いやりではないんですよね。
「トイレのスリッパが揃ってない!!」と叱る前に、揃えることを思い出させる仕組み(足型を貼るなど)を作るなど環境を整え、揃っていることを褒めるなど行動が増える声かけが必要なんですよね。「揃えたいけれど忘れてしまう」という特性を無視すると、自尊心が削られる一方なんですよね。
算数障害(ディスカリキュリア)は発達障害の一種で、数字の概念理解や計算に極端な困難さが生じます。また、数字や計算に関すること以外は困難さが生じないため、診断されないケースも多くあります。故に周りから理解されない事も多く、配慮が得られないどころか努力不足と言われてしまうんですよね。
UDフォント開発の中心人物である@Yumit_419さんから情報提供頂きました。 子どもたちの読み書きの困りを理解する上で参考になります。 ねとらぼインタビュー nlab.itmedia.co.jp/nl/series/1418… 「UDデジタル教科書体の開発背景とデザイン」 ◉前半 youtu.be/agCeKE_86xA ◉後半 youtu.be/5r91woZIDCM
バズっているので、ご紹介。 我々の活動に興味のある方は、こちらに想いを書かさせて頂いておりますのでご覧ください。(クラファンのサイトですが、想いを読んでくださるだけで結構です😂) camp-fire.jp/projects/view/…
「発達障害って才能があるんですよね?」と言われがちですが、「発達障害=才能」のレッテルで苦しむ人が沢山います。才能って、結局のところ人との比較を根底とした概念ですから。 才能よりも「自分らしく生きる」の方が大切だし、それを保障するために支援や配慮が必要だと思う訳です。
マイノリティの部分を隠して生きている人は多い。「なんで隠すの?」という発言を時折耳にするが、隠したくなる気持ちを否定してはいけないと思う。そもそもマイノリティの部分を隠さずに済む社会に成熟していないのが問題なんですよね。
障害のある人に対する配慮って、「苦しさや不便さの解消」に着目されがちですが、「他の人と同じ様に楽しめない」という部分を解消することも同時に大切だと思う。苦しさや不便さが解消されても、他の人と同じ様に楽しめなければ恩恵が少ない。「楽しむための障壁を解消する」って、実は大切だと思う。
スケジュールを忘れてしまう人に必要な力は、スケジュールを忘れないことではなく、忘れる前提で「保険」をかける力。 アラームをかけるなど工夫するのは当然として、「私、忘れる可能性が高いので、直前に連絡してください。」など、事前に誰かにお願いしておく。 自分を信じない。他人に依頼する。
合理的配慮って「他の人と同じになる」を目指すものではなく、他の人と異なる方法を尊重することなんですよね。
子育てって「○○すればうまくいく」的な情報が求められがちだし、ツイートも”断言する”書き方をすれば反応が増えるんだろうけど、それって実は危険だと思っている。例えば「褒めれば伸びる」は、褒めるとストレスがかかる子には逆効果。あくまで可能性に過ぎないし、子育ての共通解って実は少ない。