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正直、このときは感銘を受けた。昭和天皇、秩父宮、高松宮の三兄弟から十歳以上も年が離れていた三笠宮は、母親とこれら三人の息子たちとの関係をやや距離をおいたところから見られたのではないか。「あった」と断定せず、婉曲な言い回しをしたところに学者らしい慎重さを感じた。
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三笠宮に「昭和天皇と貞明皇后の間に確執はありましたでしょうか」と尋ねたとき、明らかに手汗が滲んでいた。初対面の若造がこんな質問をしたら、失礼なことを言うなと一喝される可能性が高いと思ったからだ。だが三笠宮は表情一つ変えず、間髪を入れずに「あったと聞いています」と答えられた。
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2005年に会った際、三笠宮は皇室に嫁いできた女性のあり方として皇后や皇太子妃には批判的で、常陸宮妃を最も評価する趣旨の発言をされた。皇后も皇太子妃も、天皇や皇太子を差し置いて前に出過ぎているという意味に受け取った。この発言と、実母の貞明皇后に対する見方がつながっていると思う。
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岩波天皇皇室辞典を編集したのが縁で、2005年に三笠宮に一度お会いしたことがある。そのときのやりとりについては明日までにメディアに出ると思うが、学者の質問に対して学者として答える姿勢が印象に残った。また皇后や皇太子妃など皇室に嫁いできた女性たちに対する率直な評価にも驚かされた。
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8月8日の「おことば」で、天皇は平成になって自ら公務(など)を増やし、出席の回数が増えた宮中祭祀や、より徹底して全国を回る行幸を象徴天皇の務めの核心に位置づけたのに、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」という名称は「おことば」の趣旨と矛盾していないか。
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政府が大嘗祭を2018年に行う方向で検討に入ったとのニュース。それなら2年後の18年11月に即位礼と大嘗祭を東京で行うことになる。昭和のときは代替わりから1年11か月、平成のときは代替わりから1年10か月後に行ったが、うち1年は服喪期間だった。来年中に退位しないと間に合わない。
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非常勤で行っている明学のゼミでコーヒー牛乳の話題になったついでに調べてみたら、大正期に東海道線の国府津駅でいまもある東華軒が売り出したのが最初だったらしい。コーヒー牛乳に限らず、牛乳の普及に鉄道の駅が一役買っていたとすれば結構面白い話になるかもしれない。
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台風の影響もあり、日高本線、石北本線、釧網本線、石勝線、根室本線の一部または全線が運休ないしバス代行になっているJR北海道。すでに廃止が決まっている区間も含めて、事実上鉄道網が崩壊している。この深刻な事態はもっと報道されてよいのでないか。
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正直、またやられたという感じ。AERA本日発売号の皇室特集。8日の天皇の「お言葉」をすんなりと受け止める基調の記事のなかで、私一人が違和感を抱く配役(悪役?)にさせられている。週刊現代の次号に掲載される青木理さんとの対談は、この記事とは全く違う内容になることだけは確かだ。
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「国民」が11回、「人々」が6回出てくるように、「お言葉」は政府でなく国民に向けられている。国民が天皇個人の気持ちに共感し、生前退位を支持すればそれが「民意」となる。天皇が政府や議会をすっ飛ばして「民」との直接的な回路を開こうとするところに危うさを感じないわけにはいかない。
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「万世一系の天皇家が~世界に類がない」とする今日の東京新聞社説を読んで思い出したのは北一輝『国体論及び純正社会主義』の次の一文。「笑ふべきは法律学者のみに非らず、倫理学者にても哲学者にても、其の頭蓋骨を横ざまに万世一系の一語に撃たれて悉く白痴となる」(原文ママ)。
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8月7日午後4時30分から御所応接室で天皇の「お言葉」が収録されたさい、皇后はすぐ近くで収録の模様を見守っていたという。今回の文章も事前に皇后が念入りにチェックしていたように感じる。だがその存在は、まるで簾を垂らしているかのように見えないし、誰も指摘することはない。
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報道ステーションもニュース23も、出たのは全体の10分の1以下の末節的な部分だけだった。もうTVにはいっさい出ず、twitterをフル活用するという選択もありかもしれない。この点に限って言えば、NHKニュースに何度も登場し、それなりの時間が割かれていた古川隆久さんが羨ましかった。
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今回ほどtwitterの有難味を噛みしめたことはこれまでになかった。これからまたテレ朝とTBSに出ると思うが、おそらくTVにとってやばいと思う部分は巧みにカットされるだろう。TVほどではないが新聞も字数に制限がある。twitterだけが自らの考えを思いきりぶちまけることができる。
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玉音放送の表現との類似性も気になった。常ニ爾臣民ト共ニ在リ→常に国民と共にある自覚、爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ→(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています、など。やはり現天皇は、昨年に原盤で聞いた昭和天皇の放送を、言い回しを含めて意識していたと感じた。
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今日の天皇メッセージには、祭祀(祈り)と行幸啓を中核とする、昭和とは全く異なる平成の天皇制を28年かかって築き上げたという強い自負と、それを次代にスムーズに継承させたいという思いがうかがえた。だがそれは、代替わりによって平成流が変わってはならないという次代への注文でもある。
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明日の天皇の「お言葉」問題を考える上で、拙著『「昭和天皇実録」を読む』(岩波新書)の「あとがき」は参考になると思います。また午後3時という時間の政治的意味については、拙著『知の訓練』(新潮新書)の第一章「だれが日本の時間を支配しているのかー時間と政治」が参考になると思います。
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国事行為のような誰でも勤められるルーティンワーク的な行為は皇太子にまるごと譲り、慰霊や祈りのような、本当に自分たちがやりたい行為に専念したいと表明しているようにもとれる。生前退位することで、憲法で規定された枠組みから自由になりたいという意志を表明しているようにもとれるわけだ。
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またNHKが独自報道。天皇は、皇后とともに公的な活動を通じて皇太子夫妻をサポートしながら、新たな立場で国民を見守っていきたい気持ちを持っているという。生前退位しても、皇后とともに公的な活動は続けるということか。これだと改元しても、平成が続いている感覚が残ってしまうだろう。
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ここで私が玉音放送との対比をことさらに強調するのは、戦後70年に当たる昨年、新たに玉音盤が発見され、音質がより鮮明になった玉音放送を天皇自身が改めて聴いているからだ。
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玉音放送でも「米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」と言っただけで戦争に負けたとは明言せず、「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」で終わっている。今回も生前退位するとは明言せず、「国民の皆さん、どうか私の気持ちを汲み取ってください」という感じで終わるのだろうか。
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昭和天皇は、玉音放送の後の1945年11月、伊勢神宮に参拝し、御告文を奏して戦争終結をアマテラスに「奉告」している。今回も天皇が伊勢神宮に参拝するかどうかに注目している。その際には、8月8日の放送ではっきりと言わなかったことを、アマテラスにははっきりと「奉告」するはずだ。
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展開がいよいよ1945年8月15日に似てきた。午後3時からの放送告知は正午に重大放送があることを告知した8月15日のラジオ放送に似ている。そして放送の後に首相がコメントを用意するのは、玉音放送の後に鈴木貫太郎首相の名で内閣告諭が発表されたのと似ている。全く信じがたい事態だ。
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おそらく8月8日は、マスコミ各社の矜持が試される日になるだろう。もちろん私はNHKには呼ばれないし、取材に応じるつもりもない。新聞社、通信社、民放がどれだけNHKとは違った分析ができるか、天皇制というタブーを打ち破ることができるかが問われている。
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先日の週刊文春といい今日のテレビ朝日といい、あらかじめ社が用意している「ストーリー」に私のコメントが利用され、都合のいい部分=全体のコメントのなかでは枝葉にすぎない部分だけが切り貼りされている。もちろん一般の読者や視聴者はその部分でしか私のコメントを評価できないわけだ。