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最近、写真をトレースし自分の絵に仕上げた人の話題に触れ、思い出したことがありまして、以前あるインタビューの依頼を受け、出来上がった記事に自分が回答していない内容が書かれていて「これ話しましたっけ?」と不思議に思って訊ねると「文字数が足りずweb記事で見た内容を苦肉の策で入れた」と。
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あっけらかんとトレースしたと回答され、ダメでしょ、その記事は作成元が私に謝礼を出して取材して作ったもので、あなたは自分が作った記事を同業者に勝手に使われてもいいのか、編集長の意見を聞いてほしいとお願いしたところ、「同業者への敬意に欠けた行為だった」と編集長からすぐ返事がきました。
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驚いたのは「オリジナルのコンテンツだという認識を部下が持っていなかった」、自分が基本を教えていなかったからだ、と編集長が謝罪したことでした。そんなの常識じゃないのか、それを教えるのも編集長の仕事なのか、と衝撃を受けたのですが、今後はスタンダードな仕事内容のひとつになるような。
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いっしょにコーヒーを飲んだことしかない相手が、箸を正しく持てるかどうか見極めるような難しさがあって、そんなのわかりっこないから、性悪説で「わかってるとは思うけど」と全員にひとまずレクチャーするのが、大事になる前に危険の芽を摘むためにも必要なんだろうな、管理職大変だなあ、と改めて。
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件の大怪獣映画の京極夏彦氏のコメントがパンチ効きすぎで、どうしたら「怪獣魂を天麩羅にして粉砂糖をまぶしたような快作」なるマリアージュを思いつけるのか、京極氏本人に思わずメールしてみたところ「魂をテンプラにするのは水木ファンにとっては当たり前」と返ってきて意味がわかりませんでした。
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あくまで京極さんは映画を誉めたつもりなのに、深読みされて悪目立ちしている、とおっしゃっていました。ちなみに4回ご覧になったらしいです。(仕事しながら、隣のディスプレイで映像作品を流し続け、鑑賞と執筆を両立させる特異能力を持つ御方です)
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「快作」ではなく「怪作」ですね。大事なニュアンス。失礼しました。
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鎌倉殿、びっくりした。完全にアウトレイジであった。
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かつて「森見登美彦氏が8割、僕が2割で京都を焼け野原にした」と発言した私であるが、「現代を舞台に小説を書く隙間がないので、戦国時代の物語を書いた」という文脈上での表現であった。されどその後、創作における「京都」はますますその世界を広げ、様々な書き手がそれぞれの京都を描き今に至る。
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稲垣吾郎の思い出の地下鉄とは・・・?【編集長 稲垣吾郎】文化放送|文化放送 joqr.co.jp/qr/article/538…
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書店の新潮文庫のコーナーで小学一年生か二年生くらいの女の子が、何度もずり落ちるメガネを戻しながら(それくらい頭が小さい)、食い入るように『八甲田山 死の彷徨』(新田次郎)を読んでいて、二度見してしまった。いったい何に導かれて、それを手に取るに至ったのか。非常に気になる。
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相手監督のコメントを読むに、ロングボールを吉田の裏に放り込む、遠藤をとにかく潰して中央を使わせない、サイドに出たら三笘は二人でケア、クロスを上げられても背の低い日本の前線が触れる前に背の高いDFでクリアという意図は明白で、結果枠内シュートゼロ。完璧な対策、決定的な敗戦ではないか。
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最近、喉に異物感があるような、ないようなで、念のため病院で内視鏡検査をしてもらったところ、まったく異常なしという結果だったのですが、漢方薬出しましょうかと言われ、処方箋をもらってきました。でも、そもそも気のせいなのに何の薬なのよと調べてみたら
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「病院で検査をしてもとくに体に異常は見つからないのに、のどに何かつまった感じがする方におすすめ」って、そんなピンポイントな薬あるのかよと。半夏厚朴湯。まるで夢の中で花が咲く、その種を薬で渡されたような不思議さです。
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伯山ラジオを聴いていたら新宿の末廣亭が深刻なレベルの経営ピンチであるとの由、ちょうど柳亭小痴楽氏がトリを務める末廣亭に行って参りました。ほどよく疲れた頭に落語が心地よい。一升瓶の酒を何のかんの理由をつけて飲み干すだけの噺なのに、これがおもしろい。明日は千秋楽。寄席オススメです。
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結婚式で二人の出会いの場を紹介する際、例えば合コンなら「友人のご紹介」とオブラートに包み表現されるわけだが、マッチングアプリならどう紹介されるのか。「AIのご紹介」になるのか。「広大なデジタルの海で運命的な邂逅を果たした」「スワイプする二人の指に神が宿った」あたりになるのか。
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『鎌倉殿の13人』のこれからの過酷な展開を楽しむために、薄ぼんやりとした知識のまま、あえて歴史のおさらいをせずに挑んでいたのに、先日鎌倉から江ノ電に乗ったら次の駅が和田塚で「ああ、和田殿! しかも塚が駅名になるなんて根こそぎやられるんじゃ」と一瞬暗くなりました。杞憂ならよいですが。
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『ごんぎつね』と言えば、小4の国語の授業で『ごんぎつね』の続きを書こうという宿題があり、作者の文章との温度差が出ないように意識して続きを書いて提出したら、後日先生に「本当に自分で書いたのか?」と訊ねられ、「何でそんなこと訊くのか」とムッとした記憶が。今となってはよい評価なのかな?