今年は「扇風機だけで我慢」とかいって部屋で熱中症になった患者さんが急増していると聞いたんだけど、ほんと夏のエアコンは躊躇なくつけた方がいい。エコも節約も命にはかえられない。「昔はそんなに使わなかった」って昔は今ほど暑くなかったんだもの。環境が変わってるのに同じように耐えたらあかん
何をするにも、命と健康が最優先だ。 自分のために働くならもちろん、人や家族、社会のために働くなら尚更倒れたら意味がない。いや、意味がないは言い過ぎだけど、治療にはほぼ年単位で時間がかかるし、最悪取り返しがつかなくなる。健康でこそ働けるし、命があってこそできることが沢山ある。
「この人怖いな〜」と思ってた人が話してみたら案外いい人だったり、「この人めっちゃ素敵〜!」と思ってた人がどクズ野郎なこともある。 相手を見かけで判断したり決めつけるのは楽だけど、人間ってほんと接してみないとわからないよね。 確認してこそ騙されないし、接してみてこそ世界が広がっていく
疲れている時は、休むことが仕事。 倒れている時は、回復することが仕事。 疲れているのに「もっとやらなきゃ!」と限界を超えて働けば倒れるし、倒れているのに「こんなんじゃダメだ!」と他のことをやろうとすれば回復までの時間が増えてしまう。時には休むこと、回復に専念することも立派な仕事だよ
これは実体験なのだけど、食べる事に対して「おいしい」とか「栄養がある」とか一切考えられなくなって「とりあえず空腹を満たす」思考になっている時は危険信号。忙しくてつい…という時もあるけれど、常習的になると心身崩して当たり前状態になる。「おいしく」食べるってとても大事な感覚なんだよね
よく部下をけなす上司がいるけど、人ってけなせばけなす程実力がでなくなってしまうんだよね。人は怒られると脳が萎縮してしまうし、「できないやつ」のレッテルを貼られれば無意識にその認識に合わせて振舞ってしまうもの。相手をけなすよりも「いつもありがとう」って、プラスの言葉で人を動かせたら
就活に「受かる/落ちる」って言い方はやめとこう。就活は「相性」だから、合わないところはサッサと辞退するかお祈りしてもらう方が時間も手間も省けて良い。全くそりが合わない相手と結婚したら結婚生活地獄になるように、就職も同じ。 選んでもらった感謝は大事だけど、自分も選ぶ側だと忘れないこと
100人にほめられても1人に悪口を言われたら、その悪口が気になってしまうのが人間なんだ。悪く言う奴は目立つけれど、本当は大した事ないし大した数もいない。世の中思っているより優しい人は多くて、わざわざ他人を攻撃するほど暇じゃない。嫌な奴は「暇人なんだな」と思って優しさに目を向けられたら
他人が求める自分像なんて壊しちゃえばいいよ。 親でも恋人でも、相手の理想に縛られなきゃいけないルールなんてない。 人が押し付けた理想の型に自分をはめて、はみ出た部分を切って自分じゃないものをくっつけてたら、何者か分からなくなっちゃうよ。 ポンコツでも有能でも君の代わりはいないんだ。
ある時めちゃくちゃ体調が悪くて生きるのがしんどいレベルだったのに、誰も心配してくれなくて絶望した。 え、うそ、こんなつらいのに誰も何も言ってくれないの?と思ってたら気づいた事。 「あ、そもそも私が誰にも“つらい”って言ってないんだ」 人は言わなきゃわからないのにね。 伝える事も大切。
叱るのが上手い人っていうのは相手への愛情うんぬんより、相手が受け止められる範囲で叱れるかどうかが大きいんだよな。相手のキャパに合わせて叱れる人はたとえ事務的でもその人の為になるし、相手の耐えられる範囲を超えて叱る人は愛情があっても害になることがある。人によって耐えられる言葉は違う
何かに挑戦する時、「失敗したらどうしよう」じゃなくて「失敗はするもの」と考えたらいい。 失敗は90%するもの。しなければすごいけど、しても悪いことじゃない。 とりあえずやってみて、失敗して、次への手応えを感じたならまた挑戦すればいいし、これは違うなと思えば別のことをやればいいんだよ。
「この人の言うことなら絶対!」 なんてありえない。 地位や肩書きがあるから、有名人だから、フォロワーの数が多いからって正しいとは限らない。 昨日まで褒められてた人が今日にも狂うこともある。 たとえどんなに付き合いのある人でもそれは同じ。 間違ってもいいから自分の意見を持つことが大事。
人の痛みと自分の痛みは比べられない。 「自分はもっとつらかった」 「それくらいなんでもない」 と言ったって、痛みも耐久度もそれぞれなんだ。 100%わかってあげたくてもできないし。 きっと私たちにできるのは1%の理解と、補う分の尊重と思いやりくらい。 完璧じゃなくても、その心が大事なんだね。
自己否定型の人は何でも自分に都合悪く考えるより、時には都合良く考えてもいいんじゃない? 既読スルーされたら「嫌われてるかも…」じゃなくて「今忙しいのかもな〜」と思えばいいし、世の中大体自分1人の原因より相手の都合や環境タイミングで動いてるもの。 考えを軽くして生きるのもアリなんだ。
Twitterやってるとたまに「最近リプできてなくてごめんね」ってくるんだけど、全然〜〜〜自由にやっておくれ〜〜〜と思うよ。 やりたくない時はやらなくていいし、なんなら1年以上ほったらかして何事もなかったかのようにまた絡んでもらえても嬉しいし気楽にできたらいいよね。
自分が嫌いなものでも、それを好きな人がいる。もし自分の大切な人がそれを好きだったとして、目の前で「嫌い」と言ったらきっと悲しい顔をする。だから好きなものはドシバシ宣言するけど、嫌いなものはあえて言ったりしない。誰だって自分の推しをけなされたら辛いもんね。私はペンギンが大好きです🐧
昔、「人に悪く思われるのが怖い」といってメソメソしていた頃、お世話になっていた先輩がYouTubeで世界的ピアノ奏者の演奏を紹介してくれて「こんな素晴らしい演奏でも低評価がついているでしょ?ケチつける人は誰にでもケチつけるんだから気にしなくていいのよ」と。それからちょっと心が軽くなった
一番沢山失敗するのは、下手な人でも不器用な人でもなく、その道で熱心になれる人。 一度上手くいかなかったくらいで諦められる人は失敗の数も1度だけ、本気の人は何度失敗しても諦めきれない。そうして挑戦し続けるうち本物になるから、プロの失敗数は素人の数百数千倍だ。人は失敗してこそ成長する。
本当に自分を大事にできる人は、人の悪口なんて言わない。 自信家のように見せかけて人を貶したり見下したりする人間は、実は隠した心の乏しさを埋めるために誰かを否定し、相対的に自分を高めたり正当化させようとしているに過ぎない。 自分を大切にする人は相手も大切にし、人を貶す自己愛は崩壊する
“友達価格”っていうのは「我が友の最高な作品や働きっぷりには友達価格を上乗せしてでも支払いたい…!」と心から認めてくれる相手に対して「そこまで思ってくれるなら値引きでも無料でもやらせてほしい」と成立するものであって、「便利な生産工場にまけても〜らお♪」と考える輩は縁切られるのじゃよ
人ってされた事はねちっこく覚えているのに、してもらった事は簡単に忘れてしまうもの。家族でも友人でも、長く一緒にいる人ほど嫌なところも見えてきて、段々と不満がたまってぶつかってしまう事もある。でもさ、してもらった事も忘れたくないよね。一時の不満で過去の恩まで忘れないようにできたら
がんばることはえらいけど、がんばれないことを責めないようにしようね。がんばってる人、努力してる人をひがむ必要はないし、今がんばれない状態の人を叩く必要もないんだ。「がんばらない」と「がんばれない」も別ものだしね。きっとがんばれない時は、それだけ沢山努力した証拠。休むことも仕事だよ
だれかに嫌なことを言われた時は、「嫌な人だな」じゃなくて「嫌な時なんだな」と思えばいいよ。生きてれば何言われても気分が優れないことだってあるじゃない。事実かどうかはさておき、相手が今そんな時なんだなと思えば「よし、今関わらんどこ」って余計な衝突が避けられるからおすすめ。
誹謗中傷って、もう比喩でも何でもなく本物の凶器なんだよな。 刃物と同じで、相手が上手くかわすか防いでくれない限り、本当に人に刺さって命を奪ってしまうんだから。 その場で奪うか、後で自分の見えない所で奪うかの違いだけ。 刃物で人を傷つけたら言い逃れできないように、言葉にも責任がある。