人を避ければ避けるほど人が怖くなるし、人と接すれば接するほど人は怖くなくなる。私は周りと違う事が怖くて、誰かに否定される事が怖かったけど、父に引きずられてったカラオケスナックでアニソンを熱唱し続ける裸足のおっちゃんに出会い「あ、世の中自分以外にも変な人いるんだな」って楽になった。
憧れのあの人も聖人君子じゃない。 憧れてもいい、 期待してもいいけど、 押し付けたり、 思い通りにしようとしないこと。 ガッカリしてもいい、 なんでと思うことがあってもいい。 でも、その心で相手を攻撃しないこと。 大切な人の自由な姿を、 応援できるようになれたらいいよね。
昔ある番組で観た日本とフランスの授業の違い 【日本】 先生「この絵画の名前と作者と作者の出身地を覚えなさい」 生徒「「はーい」」 【フランス】 先生「この絵をみてどう感じた?」 生徒A「僕は○○だと思った!」 生徒B「え〜!私は××な感じがしたなぁ」 上は暗記、下は感性を伸ばす教育だなと
最近ごっそりと落ち込んで「私は何もできていない」「こんなんじゃダメだ」とか悶々としてたんだけど、友人に話したら返ってきた衝撃の言葉。 友人「え?でもあんたTwitterやってるじゃん。すごいよ」 _人人人人人人人人人人人人_   >Twitterやってるってすごい<    ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
できない事があると 「もう25歳なのにこんな事もできないなんて…」 と落ち込むんだけど、 おばあちゃんにそれ言うと 「あんたまだ25歳じゃないの〜」 って返されるし、 多分60歳とかになってもできない事は沢山あって、 100歳の先輩にしてみれば 「まだ60歳じゃろ〜ほっほっほ」 って感じなんだろな
好きでやっていた事が義務になっちゃうと苦しくなるんだよね。趣味であれ何であれ純粋に楽しんでてきる時間ってものすごく貴重。でもその熱が冷めたって事は、燃え尽きるほど打ち込んだ証拠でもある。もう満足なら手放してもいいし、「ちゃんとやろう」から「楽しくやろう」って原点回帰してもいいよね
守るものがある人ほど、逃げる時は逃げた方がいい。 休む時は休んだ方がいい。 残念ながら今の社会は豊かじゃないところもあるけど、「家族のため」「仕事のため」と限界まで超えて走って倒れたら意味がない。 守るものがあるからこそ、守る体である自分の命が大切だよ。
これは耳が聞こえにくい人が言われる言葉ベスト2だと思うんだけど、「集中力が足りない」とか「ちゃんと聞こうとしてるの?」って言われてもほんっとに聞こえないもんは聞こえないんだよね。病気レベルじゃないから中々理解されにくいし、1~2回なら聞き返せても3回目には聞こえたフリをしてしまうな…
間違っていいんだよ。 「間違っちゃいけない」と思うから挑戦できないし、何も言えなくなるし、あげくの果てには間違っても「間違ってない!」なんて意地を張ることになる。 偉人だって天才だって間違えるんだから、間違えることは当たり前。 間違ったら謝る、許す、学ぶ、次に活かせばそれでいいよ。
「自分の時はこんなに大変だったのに!」 という負の連鎖を他人にも押しつけちゃいけない。 って話をすると、よく年配の方を思い浮かべる人がいるんだけど、実は年齢関係ないんだよね。 玩具・経済・才能etc. 自分にはなかったものを持つ人に嫉妬してしまうのは、大人にも子どもにも自分にもある現象
誰も傷つけずに生きることはできない。 どんなに気をつけても人は人を傷つけるし、傷つけられて生きていく。 悪意がなくても誰かを傷つけてしまうことがあるのは、自分も相手も同じこと。 大事なのは“絶対”がないと認めた上で配慮すること、傷つけてしまったら謝ること、傷つけられたら癒すことだ。
誰かを許す事も大切だけど、 自分を許す事も大事だよ タイミングが悪かった 状況環境が悪かった 相手にも都合があった… そんな自分にはどうしようもなかった事まで 自分のせいにはしていないのか 何もかもを思い通りにできないのは当たり前 自分の分だけ潔く反省して、 次に繋げられたらいいよね
他人が自分のものさし通りに動いてくれると思ったらいけないよ。 自分がダサいと思ってることをカッコイイと思ってる人もいれば、ありえないと思ってることを常識として生きてる人もいるのが当たり前。 相手がそれを押し付ける権利もないし、自分のルールを相手に押し付けることもできないんだよね。
つかれたら休む、そんな当たり前のことに罪悪感を感じてしまうなら、「また走るために休もう」と思えばいいよ。“休む=怠け”じゃなくて、“休む=充電”と考え方を転換してみること。充電しないまま使えるスマホはないし、給油しないまま走り続ける車もない。自分もおんなじなんだ。
上手くいかなくてよかったことも沢山ある。 高校受験に失敗して、第2志望の学校で親友ができた。 病気で倒れて、休むことの大切さを知った。 新卒ブラック企業で、健康と命以上に大切な仕事はないと知った。 上手くいっていたら学べなかったこと、出会えなかった人たちも自分の宝物だ。
自己肯定感が低いと何も言われていないのに周りから嫌われているように感じたり、もう過ぎたことを何度もフラッシュバックしては自分を責めてしまったりする。結局、自分で自分を許さないことが一番つらいんだ。全てを許せなくても、自分にかける言葉を「ダメだ」から「大丈夫」に変えてあげられたら。
過去に散々「お前のせいだ」と言われて育った人は、何でもかんでも自分のせいにして生きる癖がつく。 たまに友人に「ごめん」と言うと「え?何が?」と全然気にされていない事もあれば、逆に突然謝られて「別にいいのに」と驚く事もある。 過剰な自己否定に気づいたら、少しずつ直していけばいいよね。
叱るよりほめた方がいい。 そりゃもちろん怒ると叱るは違うけど、それでもほめた方がずっといい。 できないところを叱って萎縮させて実力を出せなくするより、できたことをほめてエネルギー注いでやる気にさせたらいい。 ほめて調子に乗る人より、もっと頑張ろうって思える人が多いんだ。
謙虚さ=自己否定ではないよ。 謙虚さはあくまで慎ましさであり、 おごらないこと、高ぶらないこと。 「そんな私なんて…」と言うよりも、 「おかげさまで」を忘れないこと。 誰かを引き立てるために 自分を貶すことはないし、 自分を高めるために 誰かをバカにする必要もないんだ。
「今の自分はダメだ」と思う人は変わることができるけど、「自分は何も間違っていない」と思う人は変わることができない。 一番恐ろしいことは自分がダメであることよりも、無自覚でいることだ。 痛いから治せるし、悪いから良くすることができる。
以前「なんだか最近攻撃的なツイートが多くなりましたね?」ってリプがきて「いやそんなまさか〜どれどれ…ほ、ほんとだ…」ってなったんだけど、何でかなと考えたらその時期攻撃的なツイートを沢山読んでいたからだった。目に入れ耳に入れる情報は自分を作り、無意識下に使いたくなる。怖。気をつけよ
「今、ちょっと限界がきてるな」と思う時は無視しない事。とにかく多少強引にでも休む事。やるべき事は時間を決めて切り上げる、やらなくていい事からは一旦手を離してみる。そして「休んじゃダメなんだけど…」と思わずに「よし、休もう」と意識して充電する事が大事。 自分を置き去りにしないでね。
自己肯定感が低いのは本人だけの問題というより、親や周りの人の影響が大きいんだ。頑張って認められようとしてもボコボコに叩き潰されて、否定的な考えが当たり前になっていって。そうして認めてくれる人が現れても否定してしまったりするんだけど、それを受け入れる時が転換期になると思うんだ。
「もっとつらい人もいる」って、自分には思ってもいいけど他人には言っちゃいけない言葉ランキング第一位だよね。「もっと」も何も、あなたはその人のつらさなんて一面しか知らないでしょって。勝手に優劣つけられる立場じゃないの。知らん誰かを引き合いに出すより、その人自身の話に耳を傾けられたら
自分が当たり前にできていることをできない人がいると、「非常識だ」とか「礼儀がない」とかケチをつけたくなる。 でも「これくらい家で教えてもらうでしょ?」って言うのは違う。 当たり前のことを、家で教えてもらえない人は、確かにいる。 ケチをつけるより理解を示すか教えてあげる人になれたら