人は見た目じゃわからない。自分の狭い視野に見える範囲で相手を決めつけることはできない。優先席に座っている学生が見えない疾患を抱えていたり、忘れっぽいあの人は障害にもがいていたり、いつも元気な子どもが服の下に痣を隠していたり、何にもなさそうな人ほど何かを抱えて生きている。
成功する人は生まれた時から才能があって、努力家で、周りの人みんなから応援されて、一度も失敗することなく成功するんじゃなくて。 自分の才能もわからないし、サボりたい時もあるし、めちゃくちゃ反対してくる人も沢山いて、何度も挫折と失敗を繰り返して、それでも諦めなかった人がなるんだ。
なんと…! この度、Webメディアsoarさんに取材していただきました! ・アダルトチルドレンとして生まれ育った経緯 ・克服のきっかけ ・Twitterで発信をするようになった理由など 今まで書ききれなかったことを記事にしていただきました! 読んでもらえたら嬉しいです🐧 soar-world.com/2019/09/04/nan…
目に見えない疾患を持つ方が優先席座ったらおばさんに睨まれたとか、道で困ってる人がいたのに皆写真撮るだけだったとか嫌な話もあるけど、私が電車で倒れた時は隣の女性がすぐ支えて駅室まで連れてってくれたし、自転車で転んだ時はおじさんがめっちゃ心配してくれたりでいい人も多いし転び癖直したい
それぞれ我慢してきたことがある。 辛かった。大変だった。頑張った。 でも、もし今その我慢がもう必要ないものなら、人には押しつけちゃいけない。 「俺の時代はこんなに大変だった!」 「アタシはこんなに苦労してきたのに!」 時代は変わる。 過去を押しつけるより、今を良くする方がずっといい。
自分が当たり前にできていることをできない人がいると、「非常識だ」とか「礼儀がない」とかケチをつけたくなる。 でも「これくらい家で教えてもらうでしょ?」って言うのは違う。 当たり前のことを、家で教えてもらえない人は、確かにいる。 ケチをつけるより理解を示すか教えてあげる人になれたら
何をするにも、命と健康が最優先だ。 自分のために働くならもちろん、人や家族、社会のために働くなら尚更倒れたら意味がない。いや、意味がないは言い過ぎだけど、治療にはほぼ年単位で時間がかかるし、最悪取り返しがつかなくなる。健康でこそ働けるし、命があってこそできることが沢山ある。
人生、今戦っても勝てない敵からは、逃げた方がいい。 まだレベル10の戦士なのに、運悪くレベル50の敵に遭遇したら戦わない方がいい。 ゲームオーバーになるくらいなら戦略的撤退をして、他のところでレベルを上げるか、その敵と関わらないルートを取るか、敵を味方にするスキルをつければいいんだよ。
「自分の時はこんなに大変だったのに!」 という負の連鎖を他人にも押しつけちゃいけない。 って話をすると、よく年配の方を思い浮かべる人がいるんだけど、実は年齢関係ないんだよね。 玩具・経済・才能etc. 自分にはなかったものを持つ人に嫉妬してしまうのは、大人にも子どもにも自分にもある現象
自分がメンタル絶好調な時に鏡見ると「はぁ〜〜今日もわしかわいいなぁ最高かよ〜〜」ってなるし、絶不調な時に見ると「うわ…ぶっさ…」ってなる。同じ顔なのに。人は結局自分の考えを通して世界を見る。なんでもない人や自分が嫌に見える時は余裕がない時、満たされていれば人も自分も大事にできる。
人には段階に応じた目標がある。 もし生まれたばかりの赤ちゃんに「100m走りなさい」と言ったら無理な話で、赤ちゃんは寝て起きてハイハイができたら十分よく出来ていること。 小学生、中学生、高校生、大学生、成人後だって人にはそれぞれ段階があるから、無理な完璧は押しつけないのがいいよね。
私が初めてメイクをしたのは、尊敬する人の為だった。 それまでずっとお洒落なんて興味なくて、いつも親戚のお古か、黒とかグレーの目立たない服ばかり着てた。 でも大切な人に出会って、その人の隣を歩くことを考えたら、恥をかかせちゃいけないと思った。 誰かを大切にする心は自分を綺麗にする。
何度、記憶喪失になればいいと思ったことだろう。 こんな過去に苦しまされるくらいなら記憶なんて無くなればいいと、飛び込もうとしたことが何度もある。 でも、今はそんな過去の上に生きている。 乗り越えてきた過去の発信で、誰かが勇気や何かを受けてくれるなら、もうお釣りが返って余るくらいだ。
痛みは隠すより、逃げるより、戦うよりも、認めてあげる事が大切 今、目の前で怪我をした人がいるのに、「痛くない痛くない」と目を覆っても治らない 「何も知らない」と見ないふりしても残酷で、「そのくらい何とかしろ!」と言っても辛いだけだ 「そっか、痛いんだね」と認めてこそ治療できる
生まれたての雛鳥は最初に見たものを親だと思い込むように 子供の頃に聞いた話は、たとえ嘘や非正論でもその人の基準として刷り込まれる 「お前はダメな子だ」 「こんなこともできないの」 否定的な言葉は否定的な価値観を育てる けれども親がしてくれなかった事は、自分が自分にする事で克服できる
休むのが苦手な人 ・休み方がわからない ・休むタイミングもわからない ・休んで何していいかわからない ・休むと落ち着かない ・休んでる時間損してる気がする ・休んでサボりと思われるのが嫌 ・むしろそう言ってくる人がいた ・休むことをがんばる(がんばるな) ・頭ではわかっているんだ…
拙者、休むの苦手侍だったので「もっと頑張ってる人もいるんだ!」とか「私も怠けてられない!」とか言って毎日AM3時起き毎食5分で終わらせて、ドライヤーや歯磨きしながらもテキスト読んで、睡眠も削りに削ってたら案の定倒れたのでござる。治すのに約2年。お金も時間もかかった。健康が一番効率的
おはようございます🌞 なんと今日、9月13日に… 25回目の誕生日を迎えました〜! 実は最近、自分のできない事ばかり考えて落胆しちゃってたんですけど、今朝25年間でできた事を考えてたら沢山あって自信が湧きました!💪 生きてる事が一番大きい事だ これからもゆるりとよろしくお願いします(*´︶`*)
やりたくてもできないことはある。 淡水魚が海水で泳ぐことはできない。 でも、やればできることも沢山ある。 過去諦めたこと、 失敗したこと、 馬鹿にされたこと、 今やれば、できるかもしれない。 できない経験で沢山傷ついて、 傷つくのが怖くなって、 今できることまでやらないのは勿体ないや。
幸せなだけの人生なんてどこにもない。 誰もが泣いて、もがいて、一生懸命生きていて、それぞれ抱える痛みも違くって。 あの人の方が辛いとか、自分より頑張っているだとか、そんな順位なんてどこにもなくて。 それぞれの場所で、みんなが今を生きているんだ。 泣いた分は、今と未来に笑って生きよう。
誰かに愛されようとする前に、まずは自分が自分を愛すること。認めてあげること。 何かができるから自分を認めるんじゃなくて、何も無くて何もできなくて、足りなくて矛盾だらけでも、弱さも全部ひっくるめて「これも今の自分なんだな」って認めてあげること。 それが第一歩なんじゃないかな。
日本で言う「タンスの角に足の小指ぶつけろ!」は、英語では「裸足でレゴ踏め!」だと聞いて腹抱えて笑ったんだけど、なんかこのシリーズで新作作れないかなと模索した結果「自分で自分のギャグを解説しろ!」を一時採用したいと思います。新しい案、どしどし募集中です(平和な悪口かわいくてすこ…)
父、この間お店で肉食べてたら電撃走ったような顔して店長を呼び止め「これ!!すごくおいしいよ!!あなたすごい!!素晴らしい!!」って絶賛し出し、始終「いや〜ウマい…絶対友だち連れてくる…ウマい…」って感動ダダ漏れし続け、店長もずっとほくほく顔してた。感謝する人は自分も周りもハッピーにする。
人を避ければ避けるほど人が怖くなるし、人と接すれば接するほど人は怖くなくなる。私は周りと違う事が怖くて、誰かに否定される事が怖かったけど、父に引きずられてったカラオケスナックでアニソンを熱唱し続ける裸足のおっちゃんに出会い「あ、世の中自分以外にも変な人いるんだな」って楽になった。
日本では当たり前だと思っている事が世界から見たら恵まれている事だったり、日本では常識だと思い込んでいる事が世界では非常識だったり。 ウチの当たり前がヨソでもそうだとは限らないし、自分が見ている社会は世界の一部に過ぎない。 まだ知らない世界は沢山あって、生きていく場所は多様にある。