ある時気づいた。 自分、何気ない一言を重く受け止め過ぎ。 相手は「ちょっとお留守番お願いね〜」くらいの軽さで言ったことも「お前は寝ることも食べることも差し置いてこれをやれ。やらないとハラキリな」って重さで受け取ってた。 相手の意図とか全然考えてなかった。 もっとライトに生きよう。
私は、あなたの頑張る姿が好き。 一生懸命な姿が好き。 諦めない姿が好き。 でも、あなたが休んでも好きだし 足りなくても 上手くいかなくても 頑張れない時だって、やっぱり好きだ。 どうか、いいところだけ見せようとしないで。 あなたが大好きだからこそ、無理せず、ありのままでいてもらいたいな。
痛かったこと。 辛かったこと。 悲しかったこと。 憎らしかったこと。 確かにいつまでもそれに囚われていたら、自分が苦しいだけだ。 でもかといって負の感情を全否定して「なかったこと」にすることはできない。 感情には蓋をするのではなく。 きちんと消化することが、自由のヒントだと思うんだ。
思ったことをすぐ口に出すと後悔が多い。 「あの時なんであんなこと言っちゃったんだろう…」って一人反省会もいいけれど。 誰かを傷つけてしまった場合には、取り返しがつかなくなることもある。 言葉は薬にも凶器にもなるから。 「言うべきかどうか」「どう言うべきか」は考えてから話せたらいいよね
間違ったやり方を指摘した時に「自分もこのやり方で育てられたんだ」という人は、「自分は負の連鎖の継承者です」と言ってるようなもの。 それがもし後から考えたら理にかなっていて正当な方法なら、最初恨まれてでもやったらいいけれど。 理不尽なことだったなら、自分の代で断ち切った方がいい。
私は弱い。 弱いからちっぽけなことですぐ悩むし、毎日がもがきの連続だ。 でも、だからこそ、答えを探すしかない。 悩んで、もがいて、答えを探して、見つけて一歩ずつ前進していく。 だから、私は弱くて強い。 弱さがあるから人は強くなれるし、もがいた分だけ、前進できるんだ。
人を傷つけたくなる時は、実は自分が傷ついている時。 誰かにアレコレ言えば、その時はスッキリするかもしれないけれど。 傷つけたくなる時こそ、まずは人を見ないで自分をしっかり見てあげること。 自分の心を省みることが最優先なんだ。
倒れたって、いいと思うよ。 一度、二度、三度、四度…何回倒れたって、いいと思う。 そりゃ、一度も倒れずに生きてきた人は強いのかもしれないけれど。 でも、一度倒れたらもっとよく立て直して、二度倒れたらさらによく立て直して。 結局、そうして生きた人の方が、もっと素敵になれると思うんだ。
「お前に何ができるんだ」 「お前にはできない」 「お前は一生そのままだ」 あら、そうですか。 ところで、はじめから100%できると分かってることだけやる人生って、楽しいかな。 「難しい」「不可能だ」と言われていることに挑戦してみてこそ、人生面白いんじゃないか。
やったこともないのにアレコレ言う人が多過ぎる。 自分はやったこともないのに「そんなの無理だ」と人の夢を折ろうとする人、自分は体験したこともないのに「そんなのたいしたことない」と貶す人は山ほどいる。 でも、実体のない言葉に意味なんてないから。 そんな言葉に左右されなくたっていいんだ。
お節介にも2種類ある。 ①本当に相手を思いやった上で、自分なりに力になろうとする人 ②実は相手なんてどうでも良くて、ただ自分の善意と幸福論を押し付けたいだけの人 前者はたとえお節介でもその気持ちには感謝したいし、後者には「あなたのため」なんて言われても騙されないようにしたいよね。
「自分が嫌い」っちゅってもね。 ぶっちゃけこいつとは一生付き合わなきゃならないから、しょうがないの。 「あんたなんか嫌い!」って恋人みたいに別れられないしさ。 嫌いなところは直しちゃうか、いっそ個性として愛しちゃうか、「お前ってそういうとこあるよな」って割り切って付き合えばいい。
安心できる人なんて、一人もいない。 人はみんな弱くて、脆い。 どんなにお金があったって一度の失敗で無一文になることもあれば、どんなに健康だって事故に遭って死ぬこともある。 「またね」と言って別れた人が、二度と会えないこともある。 だから、今生きてるって、やっぱり意味があると思うんだ。
いやさ、悪口を言う人はいるよ。 鬼の首取ったように人の欠点を指摘して「おかしいんじゃないですか」ってさ。 でも完璧な人なんていないから、そんなの当たり前なわけ。 でもってそういう人とは戦う必要もない。 「自分が完全じゃないように、悪口を言う相手も完全じゃないんだな〜」と思えばいいよ。
人は結局、100%わかり合うことはできない。 だからこそ、言葉を伝える時には「自分はあなたのことを100%わかるわけではないけれど」という謙虚さが必要だし、聞く時には「相手は自分が期待する言葉を100%くれるわけではない」という割り切りが大事。 「わかったつもり」が、一番無知でこわい。
リアルでもネットでも、相手に対して「思ってたのと違う」と叩く人がいるけれど。 人には基本、期待しない方がいい。 自分には自分の人生があるように、相手もその人の人生や生き方がある生身の人間なんだからさ。 思い通りにならないのは当然。 相手は自分の理想を叶えるためのフィクションじゃない。
「ここでやっていけないならお前なんてどこにいっても上手くいかない」っていうブラック上司。笑っちゃうよね。 日本だけで何百万の企業があると思ってるのか。国外を含めたらその数はもっと膨大だし、企業に属さない働き方だってある。 その全部も知らない人間に、人の可能性を否定する権利はないよ。
私は弱い。 弱いけど、強い。 弱いから、強い。 弱さのない人間なんて、いるものか。 本当は弱さもあるくせに、 強がって、ふんぞり返って、 弱さに蓋をして生きるなら、 それほど虚しい生もない。 自分の弱さに向き合える人こそ、 本当に強い人なんだ。
【心安らかにTwitterをする秘訣】 ・リプやDMの返事は絶対あるものと考えない ・リプやDMの返事はできる時だけでOK ・不快なツイートは静かにミュート 悪質なものはさっぱりブロック&通報 ・異なる意見には脊髄反射でかみつかず「色んな人がいるんだな〜」と受け流す ・やりたくないならやらない
自分の信念を貫くために他者を攻撃する事ほど、みみっちい事もない。 べつに信じたいものがあるなら信じればいい。 ただし人に押し付けない事。 それを武器に他者を傷つけない事。 その信念が本当に正しいものなら、異なるものを排他しなくても残るだろう。 他者を攻撃すれば、品位を落とすだけだ。
大切な人には、 「大丈夫だよ」って言われるより、 「助けて」って言ってほしい。 心配させたくないなんて、思ってほしくない。 ひとりで抱え込ませるくらいなら、迷惑でも心配でもかけてほしい。 これって余計なお世話かな。 でもひとりじゃ潰れてしまうなら、その荷物、片方くらいは持たせておくれ。
いい子でいれば、ほめてもらえる。 いい子でいれば、認めてもらえる。 でも、それが行き過ぎると。 本当の自分が、わからなくなる。 キレイなお面を被っている内に、外し方を忘れてしまわないように。 たまにはお面を外して、ふぅーっとひと息つくことを忘れないでね。 案外そっちの方もいい顔しとるよ
「ごめんなさい、ごめんなさい」 いつも謝っては、人の顔色を伺って生きてきた。 悪いことは全部、自分のせいにすればいいんだと思ってた。 そうすれば誰も傷つかないし。 でもさ。 それって、自分は傷ついているんだよね。 なんであなた一人が犠牲になるのか。 いいんだ、一人で背負わなくたって。
強さって、何なのか。 弱さが一つもないことが、強さなのか。 弱みをみせないことが、強さなのか。 それは、強さじゃなくて、強がりだよ。 本当の強さっていうのはね。 死ぬほどもがいて、みっともなく涙と鼻水を流しても、それでも自分の弱さに向き合える人のことなんじゃないかな。
捨てる人もいれば、拾う人もいる。 ある人はそれをゴミだと言って捨てるし、またある人は宝だと言って全財産をはたいてでも買っていく。 人も、自分自身も、そうだ。 ある人から捨てられ、傷つけられたのか。 誰も信じられなくなったのか。 捨てる人もいれば、拾ってくれる人も必ず、必ずいるものだ。