お金がなければ、人に施すこともできない。 できたとしても、限界がある。 だから、まずは自分をいっぱい幸せにしよう。 お金じゃなくてもいい、まずはこの心をいつもいっぱいに満たそう。 そうしたら大切な人も幸せにして、その周りの人も幸せにして、いつか遠くの人たちまで幸せにできたらいいよね。
目が腕よりも小さいからといって役立たずなわけじゃない。 心臓が足のように表で見えないからといって必要ないわけじゃない。 小さくても、見えなくても、それぞれが大事な存在だ。 人も背が高いとか低いとか目立つ目立たないだとか、外見や立場に関わらず、それぞれ自分だけの価値を持っているんだ。
100階の建物は、100階だけでは建てられない。99階までつくらなければ建てられない。これと同じように、今できている人は積み重ねてきたものがあるからできているし、できていない人はまだ積み上げている過程だからできていないんだ。比べて落ち込むよりも、できた時を希望にして過程も楽しめたら。
小学校時代の一番記憶に残っている授業は、新聞の授業。ある先生が「今日は色んな新聞を見比べてみましょう」って複数の新聞を持ってきてくれて、同じ出来事でも違う書き方(善評なり悪評なり)されている事に驚いた。先生は「どれが正しいか」の話はせず「色んな立場を見て考えてみてね」と教えてくれた
もう「○○のくせに」っていうのはやめませんか。 「男のくせに」「女のくせに」「子どものくせに」「親のくせに」。 あれこれと相手の立場や肩書きを問う以前に、みんな誰だって一人の人間じゃないか。 フィルター越しの期待と偏見を押し付けるのはやめて、人と人として認め合えたら。
手が足を羨む必要がないように、自分と他人を比べて羨む必要もないんだ。手には手の役割、足には足の役割があるように、自分と他人の役割は全く個性が別のもの。足がはやいからって手がなくていいわけじゃないように、それぞれの位置だからこそできることがあるんだ。自分にできることを大切にできたら
風邪薬の広告が左から右に変わったあたり、この国も価値観が変わりつつあるんだなと希望を感じた一方、当たり前のことを言ってるだけなんだよなとも思った。右側のキャッチフレーズが言うまでもないくらい本当の当たり前になるのが次の段階なのかもなぁ
世の中なに言っても反省しない人もいるけどさ、放っておけば自分で勝手に反省してくれる人も多いじゃん。相手は怒ってないし、なんとも思ってないのに謝っちゃう人とかさ。そういう人がミスした時は追い討ちのように責めたりしないで、見守ってあげられたらと思うのよね
失敗には「テヘペロ精神」が大事。 何か重大な失敗を犯してしまったなら誠心誠意謝る必要があるけれど、日本人は大した問題でもないのに切腹する勢いで謝り過ぎてることが多いんじゃないかと。 だから、そんな時には「やらかしちゃってごめんなさい😝💦次から気をつけます!」くらいで丁度いいんだ。
掃除は放っておいて部屋が荒れ果ててからまとめてするよりも、毎日その都度きれいにする方がずっと楽だ。 人の心もそれと同じ。 悩みや心配不安、あれもこれも抱え込んでパンク寸前になってからなんとかするよりも、心のモヤモヤはその都度解消しておく方がいい。
愛されたいなら、まず誰かに愛されようとするより、自分を愛することからだ。
振り返ると思春期の頃までは母親に理想を押しつけて「親なのになんで」とか「親ならこうあるべき」みたいに思っては苦しくなっていたけど、Twitterをすると色んなママさんがいて、元気にオタ活してるママもいれば自分と同い年で育児にもがいてたり当たり前に怒ったり泣いたりしてて親も人なんだよなと
世の価値観は「コンプレックスがあるから綺麗になりたい」から「自分がかわいくなりたいからなるだけ」にどんどん変わっていってるのに、YouTubeの広告は相変わらずコンプレックスから不安を煽る商法なの時代遅れ過ぎて笑っちゃうな。中身がないからすぐ弱みにつけこもうとするんだよな。絶対買わん。
苦しく生きるか楽しく生きるかは 自分がどう考えるかで左右する 雨が降ったら 「ジメジメして最悪だな…」 と思う人もいれば 「恵の雨だなぁ」 と感謝する人もいる だけども要注意なのが 大雨洪水警報レベルの台風がきたら話は別って事 考え方次第でどうにもならない環境は 抜け出す選択もアリだよ
「失敗しちゃいけない」 「間違えちゃいけない」 なんて、自分で自分を縛らなくたっていいんだ。 誰だって失敗だらけで、間違いだらけで、それでも今を生きているから。 失敗したって間違えたって、またやり直して前進すればいい。
天まで届くような名誉欲があっても 何にもならない。 人はやっぱりほめられたら嬉しいし 誰かに承認されるために がんばってしまう生き物。 でももっとほめられるために ほめられないことをしたら、 意味がなくなってしまうんだ。 そんな当たり前を忘れないように 謙虚さを大切に生きていきたいね。
背が低いなら踏み台を使えばいい。 悪い所があるなら直せばいい。 1人でできないなら一緒にやればいい。 今できない事をみてへたり込んでいたらそのままだけど、「どうしたらできるようになるか」と考えて研究すれば易しくできる。 人が徒歩から車を作ったように、自分も発展させて生きたらいいんだ。
皆体の不調だけじゃなくて精神的にしんどい時にも、もっと気軽に早く病院へ行ってほしい。 体だって倒れてから病院行ったら既に末期だったとかあるんだから「これくらい大丈夫」と思わないで早く受診しておくに越したことない。 行ってなんともなければOKだし、病気なら重症化する前に防げるんだから。
人は失敗すればするほど、心が弱くなるものだ。 1回目失敗した時には「また頑張るぞ」と思い、 2回目も失敗すれば「次はきっとできる」と言って、 3回目以降も失敗し続ければ「こんなにやってもできないなんて」と苦しくなる。 でもね本当に大事なことなら、できる時まで何回失敗したっていいんだよ。
毎日気分次第で生きることはできないけれど、理論じゃわからない気分や直感も大事よね。なんとなくやだな、やりたくないな〜と思ってたことがやらなくて大正解だったり、大きな事故を避けることに繋がってたり。自分の感覚を押しつぶして生きるのって、やっぱりもったいないなと。繊細さも長所だよね。
本当は頑張れるのに頑張らない理由を作ってるなら、それは言い訳。 でも、本当はもう頑張れないのに「こんなの甘えだ」「言い訳してる場合じゃない」って考えるのは違う。それは言い訳じゃない。 でも多分日本にはこの考えの人が多いし、自分だけじゃなくて人にも押し付けがちだから気をつけないとね。
もし自分の大切な人が「本当は辛い」と話してくれたら、なんて声をかけるだろうか。 「弱音を吐くな!もっと頑張れ!」なんて言うだろうか。 それなのに、自分の心が「苦しい」と呟けば、同じようなことを言ってはいないのか。 人にかけるその優しさを、自分にも分けてあげたっていいんじゃないかな。
どうにも体がうまく動かない時には、親指と人差し指をくっつけて、離して、と何度かぱちぱちしてみよう。 大事なのは、どんなに小さくても「動ける」と自覚する事。 沖縄から北海道まで動かなくたっていい、立派な事をしようと気負う必要もない、指先1つ、自分の意思で動かせるなら他の事も大丈夫さ。
私は弱い。 弱いけど、強い。 弱いから、強い。 弱さのない人間なんて、いるものか。 本当は弱さもあるくせに、 強がって、ふんぞり返って、 弱さに蓋をして生きるなら、 それほど虚しい生もない。 自分の弱さに向き合える人こそ、 本当に強い人なんだ。
「自分が嫌い」っちゅってもね。 ぶっちゃけこいつとは一生付き合わなきゃならないから、しょうがないの。 「あんたなんか嫌い!」って恋人みたいに別れられないしさ。 嫌いなところは直しちゃうか、いっそ個性として愛しちゃうか、「お前ってそういうとこあるよな」って割り切って付き合えばいい。