願っていた機会が来たなら、裸足でも駆けていかなければならない。 「私は足りないから」 「まだ準備できていないから」 と言ってる内に、機会は瞬間通り過ぎてしまう。 全てを揃えてから進もうとするより、足りなくても一歩ずつ踏み出してみることだ。 足りないものは行きながら揃えればいいから。
自分に直したい癖・習慣・考え方がある時は「こんなんじゃダメだ!!」といって自分を責めるより、「それをしなくたってもいいんだよ」と自分を許してあげる方が抜群に効果的。 さらに「それする代わりに、こっちがもっと好きだな〜」っていうものを見つけられるとなお良し最高超絶えらいです🙆
無理して背伸びなんてしないで。 本当は泣いてるのに笑わないで。 大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ」って言わないで。 なんで、ありのままの自分じゃいけないのか。 時には泣いてわめいてへこたれて、みっともなくたっていいじゃないか。 もがきながらも今を生きてる姿が、何よりかっこいいんだ。
できることなら、誰にも嫌われたくない 。 できることなら、誰にも傷つけられたくない。 けれども。 誰にも嫌われない人は、誰にも好かれない人。 傷つけられる覚悟のない人は、誰も救えない人になる。 嫌われること傷つけられることを恐れていたら、自分を必要としてくれる人まで恐れてしまうから。
どんなにおいしい食べ物も、失恋して食べるとおいしくないように。 ただの水でも、一生懸命働いた後に飲むとおいしく感じるように。 人は考え次第で生きる。 環境も大事だけれど、それより大事なのは自分の考え方だ。 心配や不安は自分の考えから生まれ、希望や大胆さも自分の考えから生まれてくる。
失敗する原因には、実力の他に時と相性もあるよ 例えば冬にスイカを収穫するのは難しいけど夏になれば簡単だし、 馬に水泳はできないけど陸上レースなら実力を発揮できる 何事も努力は必要だけど、上手くできるタイミングとそれぞれの分野がある 人と比べず、今できる事を積み重ねていけばいいんだ
批判を悪口とひとまとめにして聞き入れない人も困ったさんだけど、悪口を批判と正当化して殴る人も困りものなんだよね。個人的には、たとえ批判的内容でも相手をけなす言葉が入ってしまえば、それは悪口になると思うの。真水も一滴でもトイレの水が混ざれば汚水になるのと同じ。汚水にしたら飲めない
生きているうちにやりたいこと100リストを書き出してみたら、 ・ペンギンカフェにいきたい ・猫カフェにいきたい ・ハリネズミカフェにいきたい ・ペンギンカフェにいきたい ・ふくろうカフェにいきたい ・爬虫類カフェにいきたい ・どうしてもペンギンカフェに となってきた辺りで傾向がわかった。
人はどう頑張ったって間違えるものだ。 一生一度も間違えないで生きられるなら良いけれど、それは無理なんだ。 それだけ自分は無知で未熟な生き物で。 だからせめて、間違えた時には「間違えました」と認められる人でありたい。 「間違ってません」なんて我を張らず、過ちを改められる人でありたいな。
子どもは親が望む子どもになんてならなくていいし、親だって完璧な親じゃなくたっていい。 お互い勝手な理想と期待を押し付け合う必要なんて、どこにもないんだ。 私たちは子である前に、親である前に、それぞれ一人の人間だから。
生きていれば、誰かとぶつかることは必ずある。 100人いれば100人みんなが味方になることはなくて、敵になる人もいて当然だ。 でもね、誰かとぶつかることではじめて気づくこともあれば、時には敵の一言でハッと学ぶこともある。 だから、広い意味では敵も人生の味方かもしれないね。
私には君の痛みがわからない。 私は君と同じ体験をすることができないし、たとえ同じ苦痛を受けても感じ方はそれぞれだから。 だから、安易に「わかるよ」なんて言いたくない。 でもね、たとえ100万分の1さえわからなかったとしても、ただ君の話に耳を傾けて「そかそか」ってくらいはしたいんだ。
できる人って、はじめから完璧なように見えちゃうんだよね。できない時もあったんだとか、頭ではわかってるんだけど、つい羨ましくなっちゃったり。それで苦しくなっちゃう時は、人の成功談じゃなくて失敗談を沢山聞いたらいいよ。見せないだけで、1できる人は100失敗してたりするものだから
人は99%知らずに生きていく。知ってさえいればできた事も多いのに、知らなくてできなかった事が一番もったいない。できなかった事さえ気づかずに生きていくから悔しがる事もできない。 「私は知っている」という人ほどそうやって生きるし、「私は知らないから学ぼう」と言える人が賢く生きていくんだね
どんなに順風満帆だとしても、どんなに理不尽な扱いを受けたとしても、謙虚さを忘れないようにしたい。 誰かを指摘したり物申したりする前に、ほんの一歩、立ち止まってみて。 人間、おかしくなるのは、大体自分が正しいとか誰が正しくないとか言い出した時からだから。
子どもの頃家の方針でテレビ禁止にされていた友だちが、今親元を離れてYouTuberになっていた…!人間あまりにも制限されると、手を離れた途端反動で真反対にぶっ飛んでいくこともあるんだよなって。ある程度の善悪を教えることは大事だけど、その先必要かどうかを決めていくのは本人なんだよね
溺れている人には、同じく溺れている人を助けることができない。 大切な人が溺れているなら、まずは自分が船に引き上げられてこそ、手を伸ばしてあげられるように。 今、大切な人が苦しんでいるなら、もしその人を助けたいなら、まずは自分が救われることが大事なんだ。
雨が降ってこそ作物が実り、冬になってこそ害虫がなくなるように、困難を通してこそ成されることがある。 その時はつらく苦しくても、過ぎてみれば意味があったことも沢山ある。 「あの時のせいで」というより、「あの時のおかげで」といえるような今を生きられたらいいよね。
体の死と、心の死。 体が死んだら、もう二度とかえってはこれない。 けれども、この体さえ生きていれば、心は必ず生き返らせることができる。 それが今日か明日か何年後か何十年後かはわからないけれど。 諦めないか、諦めてももう一度決心するか。 そうすれば、そのいつかは必ず掴めるから。
手は作ろうと思っても作れない。 足は作ろうと思っても作れない。 心臓だって人の手では完全に作れないし、一度失ったら同じ命も作れない。 何ができるとかできないとか関係なく、一つしかない命は生まれた瞬間から貴重なのに、辛い時はそんなことさえ見失ってしまうんだよね。 私もあなたも貴重なんだ
差別というのは必ずしも悪意から始まるとは限らず、全くの無意識から生まれる事も多いんだよね。人種とか性別とか障害とか、「この人が」という目線を離れて「○○人が」とかカテゴリーで人を語るようになったら注意だなと。自分にも差別はあるかもしれないと思う事が差別をなくす一番の近道なんだよね
最近一番自分の無知に気づかされた言葉 「日本の識字率は100%じゃない」 自分には理解できないことをする人を見て「おかしい」だとか「常識はずれ」だなんて言う前に、自分には見えていなかった背景で生きてる人がたくさんいるんだよなぁ
間違ったやり方を指摘した時に「自分もこのやり方で育てられたんだ」という人は、「自分は負の連鎖の継承者です」と言ってるようなもの。 それがもし後から考えたら理にかなっていて正当な方法なら、最初恨まれてでもやったらいいけれど。 理不尽なことだったなら、自分の代で断ち切った方がいい。
人生、今戦っても勝てない敵からは、逃げた方がいい。 まだレベル10の戦士なのに、運悪くレベル50の敵に遭遇したら戦わない方がいい。 ゲームオーバーになるくらいなら戦略的撤退をして、他のところでレベルを上げるか、その敵と関わらないルートを取るか、敵を味方にするスキルをつければいいんだよ。
人生、我慢しなくちゃならない事もある。 理不尽で、耐え難くて、それでも歯を食いしばって我慢して、誰も気づいてくれなくて。 でも自分はその我慢を知っているんだからさ、自分の事ちゃんとほめてやってもいいと思うんだ。 By 昨日22時の食欲に耐えた私 おはようございます🌞 今日も素敵な一日を🐧