最近やってよかった事は憧れの人リストを作ってみた事。2次元3次元を問わずにまず「好きだなぁ」「憧れるなぁ」と思う人の名前を書いていって「その人のどんな所に憧れるか」を書き出してみるの。そうして文字化すると自分の目指すものが見えてきて「私もこう意識してみよっかな」って目標が近くなった
人は事故にあって救われたら感謝するけれど、もし事故にあうはずだった道を偶然通らなければ感謝もしないし気づかない。 偶然予定が変わって、偶然違う道を通って、起こらなかった事も沢山ある。 起こった事だけじゃなくて知らずに避けた困難にも感謝するようになれば、毎日感謝が尽きない人生なんだ。
よくできなかった一部だけを切り取って、「私は全部ダメだ」「あの人は全部ダメだ」と決めつけるのは誤解だ。 違う。全部じゃない。 間違っているのは、その一部だけだ。 だから、全部を否定して辛く思わないで、その一部分だけを直せばそれでいいんだ。 短所を直す時、長所がもっと輝くようになるから
倒れたって、いいと思うよ。 一度、二度、三度、四度…何回倒れたって、いいと思う。 そりゃ、一度も倒れずに生きてきた人は強いのかもしれないけれど。 でも、一度倒れたらもっとよく立て直して、二度倒れたらさらによく立て直して。 結局、そうして生きた人の方が、もっと素敵になれると思うんだ。
捨てる人もいれば、拾う人もいる。 ある人はそれをゴミだと言って捨てるし、またある人は宝だと言って全財産をはたいてでも買っていく。 人も、自分自身も、そうだ。 ある人から捨てられ、傷つけられたのか。 誰も信じられなくなったのか。 捨てる人もいれば、拾ってくれる人も必ず、必ずいるものだ。
めちゃめちゃ気を使ってくれる人にはこっちもめちゃめちゃ気を使ってしまうし、いい意味で気を使わない友人にはお互い気を使わないでいられるので楽。関係性もある。「この人のココは踏み越えちゃだめ」って分かってるからこそ自由にできるのであって、知らない相手に自由を振りかざすと地獄を見るよね
お金持ち皆が弱者から搾取したわけじゃないし、貧しい人皆が怠けて働かなかったわけじゃない。むしろその人たちは極一部なのに、その一部が全体であるかのように富裕層VS低所得層の構図を煽っても仕方ないんだよね。 煽られて敵じゃないものと戦うより、協力してお互い豊かになる方がずっといい。
安心できる人なんて、一人もいない。 人はみんな弱くて、脆い。 どんなにお金があったって一度の失敗で無一文になることもあれば、どんなに健康だって事故に遭って死ぬこともある。 「またね」と言って別れた人が、二度と会えないこともある。 だから、今生きてるって、やっぱり意味があると思うんだ。
人生、だめな時も必要なんだなぁ。雨がなければ穀物は育たないように、上手くいかない事を経験してこそ成長できる時がある。ちょっと道を間違えて、痛い目をみたから学べたこともある。間違えたままじゃ困るけど、それを通して学べた事、反省してより良くなれた事があるならそれもいいんじゃないかな
最近何としても謝らない、間違いを認めない人のニュースが多い気がするなぁ。間違いは無いに越した事はないけど誤ってしまうのは人として当たり前の事で、それを認めない、正さない事の方が問題なんだよな。批判する側も“その問題”だけ指摘せず相手の存在まで否定するのは気をつけた方がいいのかもなぁ
お節介にも2種類ある。 ①本当に相手を思いやった上で、自分なりに力になろうとする人 ②実は相手なんてどうでも良くて、ただ自分の善意と幸福論を押し付けたいだけの人 前者はたとえお節介でもその気持ちには感謝したいし、後者には「あなたのため」なんて言われても騙されないようにしたいよね。
「ここでやっていけないならお前なんてどこにいっても上手くいかない」っていうブラック上司。笑っちゃうよね。 日本だけで何百万の企業があると思ってるのか。国外を含めたらその数はもっと膨大だし、企業に属さない働き方だってある。 その全部も知らない人間に、人の可能性を否定する権利はないよ。
人生の希望は、変化できること。 人の希望は、いくらでも作れること。 今がつらくて、みじめで、一生そのままなら苦痛だけれど、 人生は変化できるから希望がある。 ゴツゴツとした石も何億年と水に流されてスベスベになるように、 人も数ヶ月、何年、何十年とかけて削り磨けるから希望なんだ。
自分の人生の主役は自分自身。学校で目立たなくても、会社で大きな功績がなくても、自分の人生は自分のもの。あの人にとっては脇役でも自分にとっては人生の主役なんだ。通行人Bにみえる人も、その人にとっては主役の人生を生きている。だからこそ、自分の人生も他人の人生も、大切にできたら
やさしくしたいのに やさしくなれない時は 自分にやさしくできてない時
自分に自信がない人は、毎日必ずやる日課を設定するのがオススメ。 何も筋トレ100回とかじゃなくて3回でもいいし、5分ストレッチするでも、植物に水をやることでも何でもいい。 自分にできることを日課にして、毎日必ず実践してみること。 小さくても「やるべきことをやった!」という積み重ねが大事🙆
人を叩いて優越感に浸るのって、あれ、錯覚だよね。 人って相手を落とすと、相対的に自分が高くなったような気がしちゃうものなんだけどさ。 でも、そんなのは、全部錯覚なわけで。 実際は人を貶したところで1mmだって偉くはなれないんだから、それならお互いのいいとこ見つけてこって。
春に咲く花があれば、夏に咲く花がある。 秋に咲く花があれば、冬に咲く花がある。 秋に咲く花が春に咲く花を羨む必要がないように、人もそれぞれ花開く時が異なるから。 だから、隣の人が成功したからといって焦るな。 落胆するな。 あなたにはあなたの時がある。 誰かと比べる必要なんてないんだよ。
強さって、何なのか。 弱さが一つもないことが、強さなのか。 弱みをみせないことが、強さなのか。 それは、強さじゃなくて、強がりだよ。 本当の強さっていうのはね。 死ぬほどもがいて、みっともなく涙と鼻水を流しても、それでも自分の弱さに向き合える人のことなんじゃないかな。
休む時は 「休んじゃダメなのに…」と 思いながらだとむしろ疲弊するから 潔く 「今は腹くくって充電しよう! 休むことも仕事の一つだ!」と 思い切ることが大切 スマホも人間も0%じゃ動けない 休むことに罪悪感がある時は 「また走るために休もう」と 思えればいいんだよ 01w.me/rxte7
「私は誰々より上手くやろう!」 「私はこの中で一番にやろう!」 という考え方は、他の人を見くびるようになる。 そうやって人と比べるよりも、 「私は私なりに最善を尽くそう」 と思えればそれでいいんだ。
人を変えることはできないけど自分を変えることはいつでもできるし、自分が変わると周りの人も変わったりするんだよな。不思議。
年に1回だけ帰省している人なら、親があと20年生きるとしたら会えるのはあと20回だけ。子どもの頃毎日一緒にいたことを考えると、大人になってから会える機会は意外と少ないよね。なかなか会いにくいこのご時世だけど、電話やおくりものはいつでもできる。生きている時を大切にできたら。
私は弱い。 弱いからちっぽけなことですぐ悩むし、毎日がもがきの連続だ。 でも、だからこそ、答えを探すしかない。 悩んで、もがいて、答えを探して、見つけて一歩ずつ前進していく。 だから、私は弱くて強い。 弱さがあるから人は強くなれるし、もがいた分だけ、前進できるんだ。
これまで、上手くできなかったことが沢山あったね。 人の期待に応えられなかったこと、思い通りにいかなかったこと、悔しくて情けなくて人知れず泣いたこと、数え切れないくらいあったよね。 本当に、本当に、おつかれさま。 そのもがきは、君が一生懸命だった証だから。 人生はもがきの傑作品なんだ。