もうだめだ!って思っても ふんばらなきゃならない時もある。 ここでやめたら自分が後悔する、 諦めたら取り返せないものがある、 ふんばらなきゃいけない時は、 ふんばった先に希望がある時。 逆に無理してふんばり続けた先に 崩壊が見えていることなら 潔くやめておこうね。
ひとりじゃ背負えない荷物もあるよ お引越しする時も 片手で運べる荷物、 両手でやっと運べる荷物、 ひとりじゃどうにもできない荷物がある そういう時は、 ふたりで運べばいいんだよ 友だちでもいい、業者さんでもいい 大きな荷物もふたりなら大丈夫 心のお引越しにも 時には人手が大の切。
誰もがゆずれないものを持っていて、いいと思うんだ。 でもね、それで他人を傷つけたり、押し付けたりするのは、やめといた方がいい。 自分の信念は自分を支えるためにあるもの、他人を傷つけるために使うものではないんだよね。
自分の価値を分からないと捨ててしまう。たとえダイヤモンドだって価値を分からず放っておけばホコリを被って埋もれてしまうし、見つけて磨いて手入れをすればその時からは輝くようになる。宝石は世界中にあるけど、自分は1人だけ。何ができるとかじゃなく、同じものを2つと作れない時点で貴重なんだ。
自分の言うことを何でも聞いてくれて、無条件賛同してくれる人が大きいんじゃない。 本当に大切なのは、自分が間違えたことをしそうになった時、嫌われる覚悟で「それは違うよ」と止めてくれる存在だ。 ただし何の覚悟もなく、無責任に何でもかんでも否定してくる人は別。 そんな奴は気にせんとこ。
「そんなことするとモテないよ」 「そんなんじゃ出世しないよ」 とか言う人は、その人自身がモテだの出世だのがないと自分には価値がないというコンプレックスを抱えているだけなので、言われた側は「なるほど、これがコイツの弱みか」くらいに思っておけばいいと思います。
実際、私はそれなりに複雑な家庭で育ったし、そのコンプレックスを克服するまでは幸せそうな親子をみる度に嫉妬していた。今は人の幸せも喜べるようになったけど嫉妬していたあの頃を悪いとは思わないし、嫌な感情は「思っちゃダメ」と否定するより「苦しいんだな」って認めてこそ前に進めると思うんだ
「あの頃はよかったな〜」なんて言っていたら、いつまで経っても今を生きられない。 人生、いつだって今が一番大事な時だ。 50歳を超えてから水泳を始める人もいれば、勉強して医者になる人だっている。 100歳から見たら、70歳80歳だって青春だ。 生きている限り毎日がチャンスで、毎日が青春なんだ。
息をするまでが生きている時 息をとめれば終わりの時 愛するまでが愛している時 愛をやめれば終わりの時 今が永遠だと思っても いつか目の前の人にも終わりがきて 自分の時もやってくる 永遠のような今が終わる時 永遠のような愛が終わる時 その日を後悔なくするには 今を大切に生きる事だけなんだ
日本人はいつから「失敗は恥ずかしいこと」みたいな勘違いをし出しちゃったのかな〜 人間なんて、失敗して当たり前なのにさ〜 失敗そのものよりも、失敗を認めないことの方がずっと恥ずかしいのにさ〜 失敗したって、きちんと認めて改めて、前に進む道があるんだからさ〜 大丈夫、なんくるないさ〜🙋🌺
心配したところで心配事は解決しない。 それなら、心配するその時間に、一つでも自分にできることをすればいい。 もしできることが何もないなら、なるようになることだけ祈って、別のやるべきことをやればいい。 心配してもしなくても結果は変わらないなら、その心配、降ろしちゃえばいいよ。
自分の弱さを隠して張るプライドはもろいけれど、 自分の弱さ足りなさも全部ひっくるめて磨いていくプライドは輝くんだよなぁ。 弱いところは誰でもあるし、 人それぞれその内容が違うだけ。 全てを話す必要はなくても、 隠すことで苦しんでいるなら 打ち明けた方がスッキリすることもあるよ。
失敗すれば、何が悪かったのかを学べる。次どうしたらいいのかヒントが見える。失敗は何もしないことに比べたらずっと素晴らしいことなんだ。何もしなければ残るものもないけれど、失敗は挑戦した分残るものがある。できなかった自分を責めるより、一歩踏み出してみた努力を認めてやれたらいいよね。
始めから大きくやろうとしないで、小さくやってみる事が大事。 どんな人でも最初からうまくできる事はほとんどないから、1回目から完璧にやろうとすると失敗も大きく期待も裏切られる。 だから、始めは小さな目標でやってみること。そうすれば失敗も小さく、希望が見えるから大きな事に繋げられるんだ
「すべきこと」は、その時その時、人によって違うものだ。 ある人にとっては汗水たらして熱心に働くことが今すべきことでも、ある人にとってはゆっくりしっかり休んで健康を回復することが今すべきことだ。 休むことは怠慢じゃない。人と比べる必要もない。 自分には自分の今すべきことをすればいい。
わかっても、学んでも、悟っても、一朝一夕で自分を変えることはできない。 頭で理解することと体がついてくることとは、また別の話だ。 だから焦らず、一歩ずつ、一歩ずつ。 人と比べず、落胆しないで、階段を一段ずつ上がるよう段階ごとに成長していけばいいんだよ。
自分の信念を貫くために他者を攻撃する事ほど、みみっちい事もない。 べつに信じたいものがあるなら信じればいい。 ただし人に押し付けない事。 それを武器に他者を傷つけない事。 その信念が本当に正しいものなら、異なるものを排他しなくても残るだろう。 他者を攻撃すれば、品位を落とすだけだ。
自分には理解できない人も馬鹿にはできない。たとえ自分とは全く別の意見だったとしても、馬鹿にしたら衝突しかない。相手の話を受け入れて自分を変える必要はないけど、「なぜそうするのか」「そこに至った背景は何だろうか」って考えるのは大事な事だと思うんだ。無理解は争いを加速させるだけだから
ちゃんとやることも大事だけれど、楽しくやることも大事なんだ。無理をしてやることは続かないし、過度なプレッシャーはミスを生む。楽しくやることは続けられるし、継続できることは上達もできる。無理に苦しくやって倒れるより、楽しくコツコツマイペースに生きる意識を持てたら。
できないことは悪いことじゃないんだよ。 できなかったことは挑戦した証拠。 できなかったから学ぶことがある。 できなかった悔しさはバネになるし、1度やってダメでも2度3度繰り返せば成長できる。 それに、完璧じゃない姿の方が愛嬌を感じることもあるもんね。 これはあんよが下手で埋もれたペンギン
友だちが…!!! すっっっっっっっっっっっっっっ っっっっごくかわいいマスクを作ってくれました〜!!!!! うれしいいいい〜!!! 感謝〜!!!!!(((o(*゚▽゚*)o)))
「これ、在庫余ってたからあげるよ」といって渡された時計と、 ずっとほしくて一生懸命働いてようやく手にいれた時計なら、 全く同じものでも後者をより大事にするのが人間の心理。 モノでも夢でも、 何かを得るためにもがく期間は、 得たものをより大切にするための期間なんだね。
ずっと続くように思えた小学生の頃の夏休みはもう二度と体験できないし、傍にいる事が当たり前だったあの人はもういない事が日常になった。人はいつか、と頭ではわかっていても身近な人がいなくなった日常はそうなるまで中々考えられないもの。コロナを通して「当たり前」の価値を再認識させられたなぁ
私は偉い人にも良いもん食べてもらいたいと思ってるし「貧しい人もいるのに高級食なんて食うな!」とは思わない。その人がきちんと栄養もとって休む時は休んで、元気に働いてくれたら有難い。ただ、社会には食に頓着する余裕もない人々がいる事に向き合って、皆で美味いもん食べれるようにしてほしい。
大事なことほど「なんて伝えよう…」と悩みに悩んでいるうちに伝えるのが遅くなると相手からあらぬ誤解を受けたりすれ違いが生じるので、とりあえず言ってみた方がいい。口下手でもなんでも、過剰な気遣い装飾語を省いて必要なことだけ伝えればいい。伝えてみてこそ一緒に解決することもあるよ。