許されたいと思うなら、まずは自分が許すことからだなぁ。 憎らしかった誰かを許すこと、自分自身を許すこと。 許すという言葉が負担なら、重たい荷物を手放すと考えたらいいのかも。 「ここまでよく背負ってきたね、おつかれさま」ってね。
世の中には一人で持てる荷物と、一人では持てない荷物がある。 それなのに、一人では持てない荷物を前に一人で戦い続けて、力尽きて、へたりこんで「自分は無力だ」なんて落ち込んだりする。 違う、違うんだ。 それは一人で戦うものじゃなかったんだ。 一人ではできないこと、一緒にやればいいんだよ。
恩を仇で返すのはダメだけど、仇を恩で返せる人はすごい。簡単にできることじゃないけど、敵のような相手にも恩で返せる人は絶対に損をしない。敵が味方になってくれることもあれば、敵は変わらないけどそれを見ていた周りの人たちが変わってくれることもあるし、何十年後に報われることもあるんだよね
みんなさ、ちゃんと充電してる? スマホだってさ、いくら平均2年は使えるって言ったって、充電なしには1日だってもたないでしょ。 人間もそれと同じ。 毎日あくせく頑張って生きてるのに、心の充電・体の充電もなしに走り続けたら、そりゃバッテリーも切れちゃうよ。 もっと自分を充電してあげよう。
どんな言葉でも基本的には「えっありえない!」と拒絶せずに「なるほど…」と一旦受け止めるようにはしているんだけど、そのあと受け入れるかどうかは別にする事も大事。受け止めもせずに相手の言葉を叩き落とせば争いになるけど、全部を受け入れていたら自分がなくなる。受け止めると受け入れるは別物
問題を乗り越えるという道があるのなら、問題を手放すという道もあるよね。「乗り越えなきゃ」と思っていた壁が実は立ち向かわなくてもいい壁で、ぐるっと方向を変えたら別の道が見つかる事もある。やらなきゃいけない事が上手くいかないなら方法を変える事、やらなくてもいい事なら手放すのも道なんだ
何事も完璧になってからやろうとすると何もできない。 できないながらもやってみて、足りないながらも進んで行く時に段々と道が開かれて、いつの間にかできるようになっているもの。 失敗も転ぶことも怖くない。 もがきながら、歌いながら生きていこう。
精神論は大事だけど、精神論だけで暴走するのは良くない。 例えば5km走って水分不足でヘロヘロの人に「気合いが足りん!あと5km頑張れ!」と押せば倒れるけど、「ここで給水しておこう!もう半分まで行ったから残りも大丈夫だ!」と水+応援をすれば走れる。 やるべきことをやった上での精神論が大事。
わざわざ「してやった」と言わなくても誰かにしてあげた事があるし、してもらった事が沢山ある。 当たり前の事、毎日の事、何気ない日常の事。 そんな小さな感謝に気づける人でありたいな。 気づいたらその場で感謝を口にできる人でありたいな。 いつか言おうと思ってる内、伝えられなくなっちゃうから
やりたくてもできないことはある。 淡水魚が海水で泳ぐことはできない。 でも、やればできることも沢山ある。 過去諦めたこと、 失敗したこと、 馬鹿にされたこと、 今やれば、できるかもしれない。 できない経験で沢山傷ついて、 傷つくのが怖くなって、 今できることまでやらないのは勿体ないや。
親がほめてくれない。 恋人がほめてくれない。 上司がほめてくれない。 それなら、自分が自分をほめてあげればいい。 「え?!誰にほめられなくても毎日こんなに頑張ってるの?!すごいよそれ!」って。 もしかして誰もほめてくれない上に 「こんな自分はダメなんだ」と 自分まで否定していないかな。
自己肯定感がド底辺だった時、人からほめられたり認められても「いや、そんな自分なんか…」って言っていつも謙遜してた。 でもそれって謙遜なんかじゃなくて、相手の好意を否定することなんだよね。 と、気づいてからは、まず「いや」というより「ありがとうございます」って言えるようになった。
肩の力が入りすぎると、かえって上手くいかないこともあるよね。「絶対に間違えないようにしよう!」と思うほど視野が狭くなって、見えるはずのものまで見えなくなって、しなくてもいいミスまで犯してしまうもの。大事な時こそ深呼吸、「大丈夫、間違っても死にはしないさ」と自分を後押ししてやれたら
「誰かのために生きられる人」は、誰かのために自分を殺す人ではない。 「自分のために生きられる人」が、誰かのためにも生きられる人なんだ。
親の言葉に縛られてる時は「子」としての人生だけど、外の世界に出て新しい価値観に触れて「親の言葉は絶対じゃないし親は世界の全てじゃないんだ」と解放されてからは「個」として生きられるようになる。ポンと抜け出す事もあれば頭でわかっても時間がかかる事もある。でも別の生き方は身近にあるんだ
苦しい時には、自分一人でやろうとしていないか振り返ってみて。 誰だって自分の力だけでやることには限界があるもの。 一人で運べる物は一人で運べばいいし、二人で運ぶ物なら二人で運べばいいんだ。 一人で耐えることよりも、誰かを頼ることも立派な手段だよ。
クリエイターにとっての創作物は絵でも歌でも文章でも何にせよお腹を痛めて生んだわが子と同然なので、貶されれば「おたくの子、ブサイクですね」って言われるくらいショック(or激おこ)だし、褒められれば「お子さんめちゃめちゃにかわいいですね!」って言われるくらい喜んじゃうんだよね。
勘違いしている男性も女性も多いけど、タダでできる美人なんていないんだよね。「美人に生まれて得したね〜笑」なんて揶揄する人いるけど、美人は肌の手入れやら食事やら化粧品やら時間もお金も労力もかけて自己管理している。人の努力を「生まれ持ったもの」で片付けようとするの好きじゃないんだよな
自分がよくしてあげてこそ、相手もよくしてくれる。 恩には恩で報いたいと思うのが人間だし、たとえ仇で返されても自分に後悔がなければ問題ない。 人によくする時は見返りを求めずに、見返りがなくても大丈夫なくらい自分を満たしておけたらいいよね。
つらいこと大変なこと、何でもかんでも“今あるもの”と“自分一人”で解決しようとしなくていいんだよ。 分からないことは調べればいい、聞いてみたらいい。足りないものは作ったらいい、頼ったらいい。 頼っても冷たい人もいるけれど、皆が皆そうじゃない。 誰かに頼れる人が頼られる人にもなれるから。
休むことってさ、よく怠けとか言われるじゃん。 でも、私は偉いことだなって思うよ。 ズル休みは別として、きちんと自分の体調と状況を省みた上で「ここは休んでおいた方がいいな」ってしっかり判断できるなら、それは立派なマネジメント力だと思う。 大きく見れば、休むことも仕事だからね。
たまに「医者でも間違った事を言うのか!驚き!」みたいな発言を見かけるけど、職業や肩書きを信用し過ぎてる人って多いよなと。医者や弁護士、マスコミも人間なんだから間違える事もあるし悪意ある人もいる。「じゃあ何を信じればいいの」って言うより何事も正しいかどうか自分で考える事が大切だよね
思ったことをすぐ口に出すと後悔が多い。 「あの時なんであんなこと言っちゃったんだろう…」って一人反省会もいいけれど。 誰かを傷つけてしまった場合には、取り返しがつかなくなることもある。 言葉は薬にも凶器にもなるから。 「言うべきかどうか」「どう言うべきか」は考えてから話せたらいいよね
17世紀にペストが蔓延した時、大学生だったニュートンは無期限のキャンパス閉鎖の期間をチャンスに自宅での研究に没頭した。なんとこの期間にあの万有引力の理論を立てて、微分積分学を発見したんだとか。 今のコロナも良いとは言えないけれど、この期間を通して発展できることが必ずあると思うんだ。
落ち込むことがあったなら 落ち込んだ分の2倍は楽しい時間を作ること 自分を責めてしまったなら 責めた分の3倍は褒めてあげること それさえ負担に感じる時には 充電100%になるようしっかり休んであげること 0%じゃ何もできなくてあたりまえ 何をするにも充電が大切だよ amazon.co.jp/%E4%BD%95%E3%8…