いい意味で失敗に慣れること。どんなに完璧に見える人でも失敗はするし、上手くいくことだけが人生じゃない。自分の失敗に厳しすぎると他人の失敗も許せなくなってしまうから、上手くいかない時にはまず責めるより挑戦したことをほめてあげよう。やってみたからこその失敗だし、経験は未来の糧になるよ
心も体も倒れてからじゃ遅い。 手遅れとまでは言わないけれど、倒れる前に治すのと倒れてから治すのとでは、圧倒的にかかる費用も時間も労力も違ってくる。 車も調子悪いなってうちに修理しておくのと、事故ってからなんとかするのとでは全く違うのと同じ。 お願いだから倒れる前に気づいてほしい。
痛かったこと。 辛かったこと。 悲しかったこと。 憎らしかったこと。 確かにいつまでもそれに囚われていたら、自分が苦しいだけだ。 でもかといって負の感情を全否定して「なかったこと」にすることはできない。 感情には蓋をするのではなく。 きちんと消化することが、自由のヒントだと思うんだ。
つらいことがあった時、 「もう嫌だ、もう終わりだ」と思えば 自分が苦しい 「ここから学べることがあるかもしれない」 「何か意味があるのかも」 「この経験を次にいかそう」 と思えば、自分が楽だ 痛いこと、つらいことに目を瞑って 否定はしなくても、 真正面から優しく向き合うことはできるから
なんていうか、こう、期待の仕方って間違えたくないよね。 自分にも他人にも期待したっていいんだけど、押しつけてはいけないんだよね。 勝手に期待して勝手にガッカリするんじゃなくて、どうせなら勝手に期待したんだし、努力した結果や本人がやりたいことを尊重しようってできたら。
私の罪は高校時代に友だちとファミレス行って「ドリンクバーなんでもいいよ」って言われたから「はい、コーラ」って言ってコーヒー出したことだけど、ある夏の夜後輩が辛いもの食べてヒーヒー言ってる先輩に「はい、麦茶」って言ってめんつゆ(原液)を飲ませたのを見て世の中大罪人がいるんだなと知った
「あの人みたいにがんばろう!」と目標を持つのはいいことだけど、自分とあの人は違うということは理解しておけたらいいよね。キャパも違えば個性も違うし、100%マネできないからって落ち込む必要もない。誰かを目標にするなら「その人の良いところを取り入れよう」くらいでOK。自分の個性も大切にね
自分を変えるには、「こうするべき」というルールを外してみること。「こうしなきゃ認められない」「愛されない」と思っていた自分ルールを外して、ハードルを飛び越えるのではなく下からくぐってみること。何かができなくても足りなくても自分は存在していていいんだと、認めてあげられたらいいよね。
批判される勇気って大切だよね。 「何か言われるかも…」と思って何もしないよりも「100人いれば100人が賛成してくれるわけないもんな」とわりきって受け止めたらいい。相手が優しい言葉を使ってくれるとは限らないけど、1の批判を100だと思い込まない事。批判してもらうほど自分を洗練できると思って
失敗した自分が全てじゃない。 成功できた自分も全てじゃない。 何かを失敗したからといって 自分は全くだめなやつだと思うこともないし 何かが上手くいったからといって 上手くできなかった過去を隠す必要もない。 よくできたこと、そうじゃないこと 全部ひっくるめて堂々と自分らしくあればいい。
前にフォロワーさんが「熱が37℃で吐き気がひどい…でもこれくらいで休んじゃダメだよな」みたいに呟いててちょ待ってェ!ってなったんだけど、個人というより社会の問題が大きいんだよな 故障した車をそのまま走らせれば事故が起こるし、故障させない/したらメンテナンスが当たり前にできたらいいよね
16歳の私へ お前は今、生きるか死ぬか迷っているだろうけど、とりあえず生きておけ 周りの人はアレコレ言うが、聞き流しておけ 1年後の秋、お前の人生は変わるから 生きててよかったと、心の底から言えるようになるから そして、こんな未来のお節介がなくても生きててくれてありがとう 25歳の私より
人ってさ、感情の限界線を超えると、もうなんにも怒れなかったり、泣けなくなっちゃったりするんだよね。 でも、そんな時自分の代わりに「信じられない!!」って言って怒ってくれたり、ポロポロ泣いてくれたりする存在がいると、めちゃめちゃありがたいんだよね。
上手くいかない事があった時、「誰々のせいだ!」というより「私が悪かったのかな…」と考えてしまう人も多いけど、意外と“誰のせいでもない”事も沢山あるよね。自分に足りなさがあったならその分反省するのはOK、でも全てが揃っていてもダメになる時はダメになる。必要以上の自責他責は降ろせたら
何にもつらいことなさそうな人が、色んなもの抱えてたりするんだよね。 重いとか、可哀想とか、勝手に思われても困ってしまうし。 話題の一つとして消化されるのも、釈然としないし。 下手に晒してつっこまれるより、ヘラヘラ何も無いふりして笑ってた方がずっと楽。 なんかそういう人多そうだなぁ。
人は考えのドツボにハマると、何でもない事まで大きな問題に見えてくる。 目線が外れた相手に嫌われてると感じたり、名指しでもないTwitter上の呟きが自分を非難する言葉に見えてしまったり。 簡単な解決は、モヤモヤを紙に書き出してみること。 考えの波に溺れてるなら栓を抜いてあげればいいんだよ。
転んでもただでは起きない精神って大事。 転んだら誰でも痛いし、辛いし、へたりこんで諦めたくなるもの。 それは弱いからとかじゃなくて、ごく自然な事。 でも、転んだからこそ見える景色があって、学び、見つけられるものがある。 それを掴んで立ち上がれば、転ぶ前より素敵に生きれるようになるから
失敗しない人はいない。汚れない人は一人もいない。お風呂に入らなければ誰だって汚くなるし、お風呂に入ればきれいになる。誰でも自分を貴重に思って、磨いて、作って、よく管理してあげれば作品になる。汚くしようと思えばその時から汚くなるし、きれいにしようと思えばその時からきれいにできるんだ
子供の頃喧嘩すると「やーいバカ!」「バカっていう奴がバカなんだよ〜!」っていう言い合いしてたけど、これは真理だなと。 相手を馬鹿にする人は自分も馬鹿にされるし、「あの2人怪しくない?」とか根も葉もない噂する人に限って自分が問題抱えてたりする。 結局自分の中にあるものが口から出る。
悩むのはいいこと。 何も悩まずに生きる人より、悩みながらもがきながら試行錯誤を繰り返して生きてきた人は、宝物をじっくり磨いたように出てくる言葉も人生も深くなるもの。 でも悩みすぎると老けるから、時には気楽に、肩の力を抜いていこ🐧 人生バランスが大事なんだ。
世界中の富や名声をもらったって、自分の命を失ったら何にもならない。ごはんのおいしさだって命があるから感じられるし、お金だって命があるから使うことができる。自分の命は地球一個とも代えられないくらい貴重なのに、あるのが当たり前すぎて価値を忘れちゃうんだよね。今日も生きてるってすごい事
「努力家」「がんばりやさん」っていうと、すごく聞こえがいいでしょう。 でもね、実はがんばる人ほど、折れやすい。 そして折れた時のダメージも、人一倍大きい。 だからね、そんな人はいい意味で「力を抜く」ことを意識してみたらいいと思うよ。 人生は短距離走じゃなくて、長距離走だから。
「できるのにやらない」のか「できないからやれない」状態なのかは、本人かよっぽどその人に理解ある人しかわからない。 今は「できない」状態なら、周りが怠けだ甘えだズルだの言っても気にしない事。 その人たちが悪いわけじゃないし、とらわれても仕方ない事。 また元気になるためにも休息は大事。
映画やアニメに「面白かった」「つまらなかった」って言えるのは最後まで観た人だけ。途中までしか観ていないのに「つまらない作品だ」とは言えないように、人生もきっと同じなんだ。今が最悪だからって途中でやめたら何にもならない。最低でも最高でも、最後までいった時に言えたらいいんじゃないかな
人間にとって一番恐ろしいことは、知らないことだ。 ブラック企業に務める人や虐待家庭で育った子どもは、たとえその環境から抜け出す道があってもそれを知らなければ、苦痛の中で生きるか全てを諦めてしまうかの二択しかない。 知ればもっと自由に生きられるのに、知らないことはあまりにも損だよね。