無感覚になってはいけない。 痛いこと、辛いこと、悲しいことに対して「こんなの当たり前」とかいって耐え続けていると、人は段々と感覚が麻痺して何も感じられなくなっていく。 でも、それは感じられなくても確かに心身を蝕んでいるから危険だ。 生きるためには、無感覚になる前に抜け出すことだ。
人は本当に好き勝手あれこれ言う。 人の気も知らず、何も分からないくせにね。 だからさ、そんな言葉に振り回される必要なんてないんだ。 身勝手な言葉を鵜呑みにして後悔したところで、相手は責任なんてとってくれやしない。 自分の人生、自分が選択するんだ。
10万円の給付かぁ〜ありがたいなあ〜と思ってたら10万円を超える住民税の請求が届いて、うん…そうか…元々自分が納めたもんか…ってなった…
自分と異なる立場の人をみて「どうしてそう考えるんだろう?」と思えるのは大事な事。でも話も通じないレベルの相手には「変な人もいるんだなー」と割り切る事も大切なんだ。脈絡のない悪意や誹謗中傷は、考えたところで意味も中身もない事が多い。「どうして」より「はいはい」が有効な事もあるよね。
自分が笑えば、相手も笑う。 自分が怒れば、相手も怒る。 悪いことをすれば悪いことが返ってくるし、 良いことをすれば良いことが返ってくる。 林檎を植えれば林檎が実り、 梨を植えれば梨が実るように、 人生は自分がまいたとおりに刈り取るようになる。
今コロナ対策でできる事 ・こまめな手洗いうがい ・マスク、ティッシュ、食材等を買い占めない (物流は止まっていないので買い占めなければ物は無くならない。買い占めるから補充が間に合わない) ・不要不急の外出、帰省をしない (他国では都市封鎖前に帰省する人が急増した事で地方まで感染拡大した)
過去できなかったことは、今やればいい。 崩れたなら、また立て直せばいい。 遅れたなら、今からやればいい。 まだ終わってもないことを、勝手に終わったと思い込まないで。 落ち込まないで。 大事なのは過去何をしたかではなく、今何をするかなんだ。 おはようございます🌞 今日も素敵な一日を🐧🍀
完全な人はどこにもいないんだ。自分には足りないところがあるし、あの人にも足りないところがある。それは罪なんかじゃなくて、当たり前のことなんだ。大人になってもおじいちゃんになっても100歳になったって、皆足りないところがあって当たり前。自分や人の足りなさを認めて生きていけたらいいよね
いつになったら自分を認めてあげられるのか。「まだダメ」「全然できてない」「こんなの当たり前」そうやってハードルばかり上げて飛び越えられない事を責めるか、飛び越えられたら「でもまだ」と次のハードルを考える。それじゃいつまでも報われない。小さくても今できている事を認めてあげられたら。
白鳥が優雅に泳いでいるように見えるのは、水面下で必死に足をばたつかせているからだ。 それを知らない人は「ああやって楽に浮いてるだけで様になるからずるい、羨ましい」と言う。 人間も知らない人ほど努力する人を妬み陰口を言うし、知っている人ほど誰かを蔑むことはしないんだね。
「ごめんなさい」より「ありがとう」を意識してみよう。よっぽどやらかした時には謝罪も必要だけど、基本的には「ごめん」より「ありがとう」の方が言われて嬉しいもの。「迷惑をかけて申し訳ない」と思うより、「おかげさまで良くなりました!」「次この人が困っていたら自分も力になろう」と思えたら
思い込みの力は良い意味でも悪い意味でも大きい。「私はダメ人間だ」と思えばよりダメ人間らしい行動をしていくし、「私は愛されてる」と思えばより肯定的な事に目が向くようになっていく。もし自己肯定感の低い人がそうなりたい時は「私は愛されてもいいんだ」と許可型の思考を繰り返していくといいよ
誰かに愛されようとする前に、まずは自分が自分を愛すること。認めてあげること。 何かができるから自分を認めるんじゃなくて、何も無くて何もできなくて、足りなくて矛盾だらけでも、弱さも全部ひっくるめて「これも今の自分なんだな」って認めてあげること。 それが第一歩なんじゃないかな。
ケチをつける人は責任を取ってくれない 真夏で水分補給しつつ働く人に「職務中に水飲むな!」と叫んでも、いざ水分不足で倒れれば「自己管理が足りない」と叱責する あれダメこれダメと言いつつ別の道に行けばまた否定する人は気にしないこと 夏には水を、冬にはコンポタ缶を持って働く景色もいいよね
「大胆な人というのは怒鳴ったり武器を持って戦う人のことではなく、そのように攻撃されても柔和で笑顔で接して打ち勝つ人のことだ」と聞いて、深いなぁと共感した。外面ばかり強そうに見せて相手を脅すのは実のところ弱くて怯えている人で、何があっても揺れない芯のある強さを持つ人になりたいなって
できるあなたじゃなくて、できないあなたにも価値があるんだよ。学校では成績優秀な事が価値なのかもしれない。会社では有能な事が評価されるのかもしれない。でも人間としての価値は全く別ものだ。できる・できないじゃなくて、ただそこにいるだけで価値がある。今を生きている事はそれだけ貴重なんだ
何でも負担に感じやすい人は、自分にできないことまでやろうとしてることが多い。 例えば「明日の運動会で1位になろう!」と思っても自分にできるのは練習くらいで、他の全生徒や天気まで心配しても仕方ない。 自分にできること、他人がやること、運に委ねるしかないことがあると分けるのが大事だよ。
【頑張り過ぎちゃう人の改善法】 ・「嫌われるのは当たり前」「完璧じゃなくても大丈夫」と考える ・「社会や他人は自分と対等である」と認識する ・不満や不安を声に出す ・自分を追い込まない ・「無理をしても大丈夫」と思わずに、効率化のためにも休息をとる
できる人と比べて落ち込んだり、 できない人と比べて見下したり、 そういうの全部潔くやめちゃおう。 大丈夫、それ止めても人間ダメにならないからさ。 どうせ比べるなら、 「この人みたいにがんばろう!」とか 「自分も気を引き締めないとな」とかで十分だよ。
大人が子どもを完全に守ろうとしたって100%にはなれないから、子どもが自分で打ち勝っていけるようにすることが教育だし、自分だけでは乗り越えられない時手を貸し休ませ背中を押すのが大人の役割だと思う。そこで依存させずに、いつでも巣立てるよう見守ること。子どもを縛りつけるのは大人のエゴ。
溺れている人は、溺れている人を救うことができないように。 貧しい人は、お腹のすいた人にごちそうしてあげることができないように。 大切な誰かを守りたいなら。 まずは自分が救われること、自分の心を満たすことが大切だ。 ないものは与えられず、持っていてこそ与えることができるから。
自分と他人が違うことに怯えないこと。 他人が自分と違うことに驚かないこと。 私とあなたは違っていて当たり前だし、「なんで」「どうして」「こうすべき」と戦う必要もないんだ。 守るものは法律と思いやりの範囲で十分、勝手な正義や“当たり前”の言葉で、自分や人を責めないようにできたら。
過去によく頑張ったことを忘れちゃいけないよ。つらくても乗り越えたこと、ここまで生き抜いてきたこと、努力して何かを得たこと、自分だけの経緯は全部他の何とも比べられないくらい大切な宝物。今は微妙だなと思っても、過去まで否定したらもったいない。やってきたことは何一つ無駄にはならないから
どんな事も、はじめの心を忘れない事。 はじめて大事なものをもらった時の喜び、はじめて助けてもらった時の感謝、はじめて発見した時のわくわく、はじめて決心した時のまっすぐな心。 時間が経つにつれて段々と忘れてしまうのが人間だから。 はじめの心が冷めたなら、また火を灯してやればいいんだよ
自分はだめだな、と思うことがある。 でもそんな時は、あの頃よりはマシだな、と過去を振り返ってみればいい。 5年前、10年前に悩んでいたことより、少しは成長しているだろうか。 0.1mmでも前に進んでいるなら上等だ。 悩んで、乗り越えて、また悩んでの繰り返しで人は大きくなっていくものだから。