最近ごっそりと落ち込んで「私は何もできていない」「こんなんじゃダメだ」とか悶々としてたんだけど、友人に話したら返ってきた衝撃の言葉。 友人「え?でもあんたTwitterやってるじゃん。すごいよ」 _人人人人人人人人人人人人_   >Twitterやってるってすごい<    ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
やっぱり落ち込んでる時に必要なのは「そんなんじゃダメだ!」という叱責より「それでもがんばってきたじゃない!すごいすごい!」ってまず認めることなんだな。たとえ足りなかったとしても努力したことは事実だし、全てを否定しちゃ苦しくて前に進めない。弱さも努力も認めること。自分にも、他人にも
子供が水をこぼしたなら「何かふくものを持ってこようね」と言えばいいのに、反射的に叱る親は多い。 そうすると子供は小さな失敗さえ犯さないようにと萎縮して、狭い世界で生きるようになる。 本当にしちゃいけない間違いには気をつけて、他の小さな失敗はどんと受け止められる器があればいいよね。
弱さを隠せるほど器用じゃなくて、弱さを晒して頼るほど勇気もない。 「これも自分だ」と弱さを抱いてやることもせず「こんなのダメだ」と否定ばかり。 弱さが辛い本当の理由は、見ないふりをするからだ。 得体の知れないものは誰だって怖いけど、時間をかけて向きあってやればなんてことないかもね。
母親なのに、先輩なのに「なんでこうしてくれないんだ」とか、子供なら、後輩なら「こうあるべきだ」とか、相手の役割に期待しすぎ。その役割がある以前に、人は人。親や先輩なら何でもできるわけじゃないし、後から生まれた人も同じこと。弱さも失敗も足りなさも、お互いさまと思えたらいいよね。
悩めば悩む分お金がもらえるとか問題が解決するならともかく、どうしようもない問題は10分悩んでも10時間悩んでも結果は同じ。考えてこそ解決することもあれば行動して初めて解決することもあるし、時間や思わぬ助っ人が解決してくれることもある。悩んでも仕方ないことは気楽にいこうね。
大人が子どもを完全に守ろうとしたって100%にはなれないから、子どもが自分で打ち勝っていけるようにすることが教育だし、自分だけでは乗り越えられない時手を貸し休ませ背中を押すのが大人の役割だと思う。そこで依存させずに、いつでも巣立てるよう見守ること。子どもを縛りつけるのは大人のエゴ。
一番沢山失敗するのは、下手な人でも不器用な人でもなく、その道で熱心になれる人。 一度上手くいかなかったくらいで諦められる人は失敗の数も1度だけ、本気の人は何度失敗しても諦めきれない。そうして挑戦し続けるうち本物になるから、プロの失敗数は素人の数百数千倍だ。人は失敗してこそ成長する。
大事なことほど「なんて伝えよう…」と悩みに悩んでいるうちに伝えるのが遅くなると相手からあらぬ誤解を受けたりすれ違いが生じるので、とりあえず言ってみた方がいい。口下手でもなんでも、過剰な気遣い装飾語を省いて必要なことだけ伝えればいい。伝えてみてこそ一緒に解決することもあるよ。
「私はもっと頑張らなきゃいけないのに」 と焦ってた。誰に言われたわけでもなく、自分が勝手に人と比べて落ち込んで。「このままじゃいけないのに」と追い込んで。 でも人にはそれぞれ段階がある。1段登ってこそ2段目を踏むように、瞬間移動で屋上に飛ぶことはできない。自分らしく踏み出せばいいんだ
休むことに罪悪感を持っていると、 休む→癒しポイント+100 罪悪感→癒しポイント-100 くらいでプラマイゼロになってしまうので、休む時は「今から存分に休むぞ!!」と割り切って休むことが大事。 ギリギリメンタルで働いたり、限界を超えて倒れるよりも効率的だよ。 休むことも大切なお仕事。
白鳥が優雅に泳いでいるように見えるのは、水面下で必死に足をばたつかせているからだ。 それを知らない人は「ああやって楽に浮いてるだけで様になるからずるい、羨ましい」と言う。 人間も知らない人ほど努力する人を妬み陰口を言うし、知っている人ほど誰かを蔑むことはしないんだね。
失敗する原因には、実力の他に時と相性もあるよ 例えば冬にスイカを収穫するのは難しいけど夏になれば簡単だし、 馬に水泳はできないけど陸上レースなら実力を発揮できる 何事も努力は必要だけど、上手くできるタイミングとそれぞれの分野がある 人と比べず、今できる事を積み重ねていけばいいんだ
食事は時間の無駄、5~10分で片付ける。 睡眠はもっと時間の無駄、3~4時間で済ませる。 趣味やショッピングは時間とお金の無駄、削れるものはとことん削る。 学生時代そんな生活をしてたらぶっ倒れて何ヶ月も動けず病院代もかさんだので、心身の健康を削るのは人生最大の非効率だと思い知ったよね👴
何かに挑戦する時、「失敗したらどうしよう」じゃなくて「失敗はするもの」と考えたらいい。 失敗は90%するもの。しなければすごいけど、しても悪いことじゃない。 とりあえずやってみて、失敗して、次への手応えを感じたならまた挑戦すればいいし、これは違うなと思えば別のことをやればいいんだよ。
押しつけるのは良くないけど、好きなものは当たり前に好きって言える社会になればいいなぁ 赤が好きな人もいれば青が好きな人もいて「赤じゃないといけない」とか「赤が好きなんておかしい」とかそんな基準どこにもない その好きが人を傷つけるものでない限り、他人に口出す権利も傷つく価値もないんだ
君をよく知りもしない人の暴言に傷ついてやる価値はない。萎縮する必要もない。相手に人格や良心があるなら、暴言じゃなくきちんとした言葉で指摘すればよかったことだ。汚い言葉を使った時点で、その言葉は薬ではなく毒だ。差し出されても飲み込まず、薬になる話だけ苦くても受け止めればいいんだよ。
失敗するのが怖いから、何もしない。 踏み込まれるのが怖いから、踏み込まない。 そうやって自分を守るため閉じこもる。 傷つけるのが怖いから、何も言わない。 裏切られるのが怖いから、誰にも関わらない。 でも恐れを前提にしてたら何も始まらないんだ。 勇気を持って踏み出す時、傷も癒される。
どう考えても今生きているのが奇跡。こんなポンコツなのにこれまで死ななかったのは誰かが助けてくれたからだし、今日食べたものを作ってくれた誰かがいて、これを運んで販売してくれた誰かに感謝して、雨や太陽を注いでくれるものにも感謝してたらきりがない。今日も見えない人や何かの上に生きている
子どもの頃、蝶は可愛いもの蛾は汚いものと教えられた。 ある日とても綺麗な虫を見つけて「見て!綺麗な蝶!」といったら「あれは羽を広げて止まるから蛾だよ」といわれた。うげっ蛾だったのかとショックを受けるのと同時に、でも綺麗だなと。 種別への偏見なんてきっと自分の世界を狭めるだけなんだな
自分のことは二の次で、大切な人のため自己犠牲を選ぶ人。 自分の幸せより相手の幸せが何よりな優しい人。 もし相手もあなたを想ってくれてるなら、相手の幸せもあなたの幸せだし、「きみのため」と犠牲になられるほどその人の心を踏み潰すことになるよ。 自分も相手も幸せになる道が一番。
人の目なんて気にすれば気にするだけ気になるし、自分さえ気にしなければ何にもならないものだよ。「変だと思われないかな…」「笑われないかな…」とか一度考え出したら他人の笑い声一つにも敏感になるし、しまいには誰も何も言ってないのに怯えるようになる。人よりも自分に恥じない生き方を大切に。
もっと休んでいいし、遊んでいいと思う。 「休むのは怠慢!」「遊ぶのはもっと怠慢!」って風潮あるけど、休むから健康に働けるし、遊ぶからまた頑張ろうと思えるもの。 休みも遊びも極端に削るから“休まざるをえない”状態になってまた叩く負の連鎖。 働くのと同じくらい、適度な休みと遊びは大事。
何かプレゼントや食事をご馳走してもらった時、きっと正解は「わあ、ありがとう!嬉しい〜!」なんだろうなと思いつつ「(申し訳ない…)」が先にくる人種なんだけど、これを克服するには“相手が望む反応をするスキル”ではなく“自分がもらって享受するのを許す心”なんだよなと思う今日この頃です
忍耐は美徳。でも、我慢して潰れるくらいなら人に頼った方がずっといいよ。潰れたらどうせ嫌でも人の手を借りなきゃいけなくなる。それなら潰れる前に頼っておく方が賢い選択だ。行き過ぎた我慢は「自分はこんなに頑張ってるのに」「あの人はずるい」なんて、人を謙虚より高慢にさせてしまうから。