「もっと頼っていいんだよ」って言われても今さら頼り方なんて分からなくて、じゃあどうやって頼ったらいいんだよ分かんないよもうわかんないようおおおおああああんんんってめちゃめちゃに泣いたらすごくスッキリした事があって、「なるほど、人に弱音を吐くことも頼ることなんだな」と悟った25の夜
誰も傷つけずに生きることはできない。 どんなに気をつけても人は人を傷つけるし、傷つけられて生きていく。 悪意がなくても誰かを傷つけてしまうことがあるのは、自分も相手も同じこと。 大事なのは“絶対”がないと認めた上で配慮すること、傷つけてしまったら謝ること、傷つけられたら癒すことだ。
お前が嫌いなものは嫌いなままでいい。 ただし、それが好きな人を否定するな。 奪おうとするな。 「自分が」嫌いなものを、 「教育に悪い」 「公共の利益に反している」って すり替えて潰そうとするのやめようなんだぜ。
昔ある番組で観た日本とフランスの授業の違い 【日本】 先生「この絵画の名前と作者と作者の出身地を覚えなさい」 生徒「「はーい」」 【フランス】 先生「この絵をみてどう感じた?」 生徒A「僕は○○だと思った!」 生徒B「え〜!私は××な感じがしたなぁ」 上は暗記、下は感性を伸ばす教育だなと
別に答えとかは求めてないんだけどただ今抱えてるものをどあああって誰かに話したい時は、「私は今からとにかく話したいから話すけど答えはいらないし『はいはい、あっ注文お願いしまーす』くらいのノリで聞いてほしい」と一言前置きするとお互い楽やで。
オタクには「そっ閉じ」という素晴らしい文化がある。ネット等で思いがけず相容れないジャンルや主義主張に出くわしてしまった時、反射で噛みつかずにそっとページを閉じて見なかった事にするという。私は自分の好みに合わない程度でカチコミかける人を見る度「時間勿体ないなぁ」とそっ閉じする。
これは耳が聞こえにくい人が言われる言葉ベスト2だと思うんだけど、「集中力が足りない」とか「ちゃんと聞こうとしてるの?」って言われてもほんっとに聞こえないもんは聞こえないんだよね。病気レベルじゃないから中々理解されにくいし、1~2回なら聞き返せても3回目には聞こえたフリをしてしまうな…
心がつかれた時にオススメなのが、 おいしいものを食べて「おいしい」 かわいいものをみて「かわいい」 綺麗なものをみて「きれい」 と口に出すこと(脳内でもOK)。 食べても食べた気がしない 好きだったものをみても無感情 みたいになると限界メンタルのサインなので、取り戻す作業が大事。
自分の好みに合わないことをする子ども、生徒、部下、他人にすぐキレる親、教師、上司、全人類にマジレスすると一言。 「たぶんそいつ、お前の好みのために生きてないで」
「余計な争いをしないこと」と 「都合の悪いことに蓋をすること」 って全く別の意味なのに、よくごちゃ混ぜになってしまうんだよなぁ。 争わなくていい問題、ぐっと堪えたりスルーした方が上手くいくことはそうしたらいい。 でも放っておけば膿になるような問題は面倒でも向き合わなきゃならないんだ。
最近一番自分の無知に気づかされた言葉 「日本の識字率は100%じゃない」 自分には理解できないことをする人を見て「おかしい」だとか「常識はずれ」だなんて言う前に、自分には見えていなかった背景で生きてる人がたくさんいるんだよなぁ
生きてることが、ものすごい。 今日まで生きていく中で、辛いことが一度もなかったわけじゃないんだろう。 一度も危険な目にあわなかったわけじゃないんだろう。 一歩ずれたら死ぬかもしれなかったその可能性を何度も何度も踏み越えて、今を生きているんだ。 私もすごいしあなたもすごい、皆がすごい。
Twitterをやるまで知らなかった病気の名前が沢山ある。 何となく見かけたツイートのプロフに飛んでみて「ん?なんだこの病気?」と軽い気持ちで検索かけて、自分が考えた事もなかった重い闘病生活をしている方々を知って衝撃を受けた事が何度もある。 全ては知れないから、大事なのは知る努力だと思う
食べ放題に行った時、隣の席の子供がほほえましくて思わず見てしまった 店員「お済みのお皿をお下げ致しますね」 小学生「どうぞ!」 次々とお皿を持つ店員さん 小学生「あっ!それはまだいいです!(空のお皿)」 店員「?」 小学生「あの…あまり無理しないで…」 重たくないか心配だったんだね
16歳の私へ お前は今、生きるか死ぬか迷っているだろうけど、とりあえず生きておけ 周りの人はアレコレ言うが、聞き流しておけ 1年後の秋、お前の人生は変わるから 生きててよかったと、心の底から言えるようになるから そして、こんな未来のお節介がなくても生きててくれてありがとう 25歳の私より
「あんなの簡単だろ」 って思える相手は 自分が考える100倍は努力していて 「何も辛いことなさそうだ」 って見える相手は 自分に見える1000倍は 痛みを隠して生きている。 「あなたは強いね」 って言いたくなる相手は 誰も知らないところで 弱さと闘い続けているだけなんだ。
親しい人にまで弱みを隠して強がる人がいるけれど。きっと相手は、あなたが強いから友だちになったわけじゃない。一緒にふざけて、くだらないことをして、時には喧嘩もして「このやろう」と思うこともあったけど。それでも今も友だちならば、きっとそういうことなんだろう。強いも弱いも関係ないよ。
愛する仲で一番つらいのは、裏切られること。 二番目につらいことは、頼ってもらえないことだ。 その荷物を二人で背負うために、一緒にいるんじゃないか。
私は「しんどかった〜」とか「辛い事あった〜」みたいなツイートにもいいねを押しちゃうんだけど、それは断じて「苦しんでるさまがいいねw」というのではなく、「そうだったのか…!」「気の利いたリプとかできないけど、お前の苦労しかと読んだで…!」的な意味で押してる事を一度言っておきたかった
偽物ばかり。騙されてばかり。 疑心暗鬼の人生を生きてると、そのうち本物まで分からなくなる。 自分を救ってくれる人まで拒絶して、差し伸ばされた手を振りほどいて、そうして自分からひとりになったのに「ほらやっぱり誰も助けてくれない」と。 信じる心は容易く傷つくけど、癒すには時間がかかる。
メンタル弱ってる時に思いつく不安や心配事は80%くらい妄想だと思った方がいい。 一言も喋ってない相手に対して「私はあの人に嫌われてる…」とか「バカにされてる…」とか思い始めるし、後で話してみると全然普通だったりする。 そして残りの20%は、自分が思ってるより大したことないと思えばいいよ。
別に誰に笑われたっていい 昔からの顔なじみや名前も知らない赤の他人まで、色んな人から指をさされてバカにされたっていい ただ一人、 何をしても笑わないでいてくれて、自分を真っ直ぐな目で見てくれる人 本当に間違えた時には恨まれてでも止めてくれる人 そんな一人がいれば人は真っ直ぐ歩ける
普段問題ばかり起こす不良がたまにいいことをしてほめられるのはいいんだけど(むしろそれも大事だと思うんだけど)、いつも真面目な人が一度間違えただけで「そんな人だと思わなかった」とかボロボロに責めるのはやめようよ。失敗に不寛容な社会が作るのは、失敗のない社会じゃなくて失敗を隠す社会だ。
なんで偉い人たちは悪い事を隠すんだろうなぁと思ってたけど、それって結局当人たちの問題以上に失敗を許さない社会の問題だと思う もちろん罪には罰が必要だし、許されるからって何してもいいわけじゃないけど 罪を犯したら潔く切腹というより、潔く認めて償って前に進むのを応援できるようになれたら
「元気?」と聞かれて「元気じゃない!」って言える時は疲れてるけどわりと元気な時で、本当に元気じゃない時は「元気?」って言われても「うん、元気」と答えて心配も詮索も回避するよね。 ただ相手が本当に詮索マンなら避けた方がいいけど、本気で心配してくれてる人には泣き言でも話した方がいい。