みんな意外とだめな所もあるんだよ。自分以外の他の人は綺麗で完璧に見えたりもするけれど、それは表向きの顔をしているだけなんだ。会社では泣けなくても家に帰ったらワ〜っとクッションに飛び込む人もいるし、弱い所だめな所は見せないようにしているだけ。比べなくてもいい、みんなそんなものだから
人間、生きている限り落ち込まない事はできないから「落ち込む深さを小さくしていく」「落ち込んでも立ち直るまでを早くしていく」という方向で対処しておくと効果的。「落ち込んじゃダメ!」と思うとできない自分にまた落胆しちゃうから、辛い事はある前提で充電の仕方を身につけておくのがいいよね
誰かの為に頑張れる、というのは素晴らしいことだけど、自分の為にも頑張れるようにならないとその誰かを失った時に虚無になるので気をつけた方がいいよ。例えば「恋人の為に綺麗になる」だと別れて荒れたりするから「自分がテンション上がるからお洒落する」とか自分の為の理由も持てた方がいい
何もなくても自信をもって生きよう。お金がなくても、才能がなくても、今日まで生きてきたこの命がある。辛い事がなかった人はいないだろう、諦めたくなった事もあるだろう、それでも続けて生きてきたなら十分立派な事だ。生きている事が一番の功績で希望で最高の自負心だから、胸を張って生きられたら
叱るのが上手い人っていうのは相手への愛情うんぬんより、相手が受け止められる範囲で叱れるかどうかが大きいんだよな。相手のキャパに合わせて叱れる人はたとえ事務的でもその人の為になるし、相手の耐えられる範囲を超えて叱る人は愛情があっても害になることがある。人によって耐えられる言葉は違う
願っていることは一番いい時に成就する。だから今すぐに願うような結果が出なくても、落ち込まなくていいんだよ。春に蒔いた種は春ではなく秋に刈りとるように、自分が行なった通りに結果を刈りとる時が必ずくる。その時まで、水をやり肥料をやり、ゆっくり育てていけばいいんだよ
ガーッとがんばっていた人ほどバタッと倒れるのを何度も見てきた。 コツコツがいい。コツコツ、地味でも目立たなくても、一歩ずつ、最後まで。それが一番すごい。
全部人が決めてくれる人生は楽だ。楽だけど自由がないんだ。進路も何かを決断する時も「あの人がこういったからやった」って言えば失敗も誰かのせいにできる。でも、それは失敗から学べることも手放すことになっちゃうんだ。人が決めるなら人の人生。自分が考えて決心する時に自分の人生を生きられる
人生で「やっておいてよかったな」と思うこともあるけど「やらないでよかったな」と思うことも山ほどあるので、何かをやる選択と同じくらいやらない選択も大事にしたいなって。断らないと損する場面って必ずあるし、そういう時は人の体面とかどう評価されるかより自分の心優先でいいと思うの
自己肯定感がドン底だった私から言わせてもらうと、自分を大事にできるようになってきてから人も大事にできるようになりました。自分に厳しかった時は人を見ても「私は我慢しているのにあの人はずるい」と思ってしまったし、自分の為に紅茶を淹れられるようになってから人に淹れる方法がわかったなって
先日26歳の友人が「私はもう26なのに何もできないダメ人間だ…一生日陰で生きていくしかない」って言っていたんだけど、26なんてまだ人生の4分の1でしかない。春夏秋冬でいうならまだ初夏。春が上手くいかなかったからって「今年はもうダメだ」って諦めるようなもん。最後の一日まで人生に遅いはないよ
好きな人の全部を好きにならなくてもいい。「この人のこと好きだけど、ちょっと合わない所もあるな」って思えたらそれでいい。一個嫌いな所が見えたからって今までの好きを全否定する事もないし、自分を無理に合わせる事もない。逆に嫌いな人に「いい所もあるじゃん」って好きな一面があってもいいしね
人は追い詰められると視野が狭くなるもの 「この道しかない」と思う時こそ、一歩止まって深呼吸しよう 「自分にはこの会社だけ」 「この人に愛されなかったら終わり」 「これができなかったら全てダメ」 多分、そんなことない 一つしか見えなくなる時こそ「他の選択もあるかも」と言ってあげられたら
これは忠告なんだけど、 ・好きなものを食べても美味しいと感じない ・好きなことをしても楽しいと感じない ・好きな映画を観ても感動しない ・好きな人といても嬉しくない と、情緒が死に始めた時はメンタルの限界サインです。 好きを楽しめなくなったらしっかり休息をとるか病院に行こう
人と同じ方法でできないからって落ち込むことはないんだ。勉強一つとっても皆で勉強会をする方がいい人もいれば一人で自習する方が伸びる人もいる。同じことでもやり方は人それぞれだし、自分にあったやり方がある。人と比べず「私にはこのやり方は合わないんだな」と思ったら別の方法でやればいいんだ
休むことに罪悪感がある人へ 神様だって7日目には休んでんだから、休むことが罪なわけないんじゃよ。疲れているならがんばった証拠。充電も無しに動き続ける機械がないように、人間だって休みが必要だもの。今日もおつかれさま(っ´∀`)っ🍵
「差別をするのも多様性」って言い出したら「人をナイフで刺すのも多様性」って言うのと同じになる。人の自由を加害するものまで権利やら自由やら多様性って言い出したらひっちゃかめっちゃかになるんだよね。多様性って合理化しやすいし、自由の意味を履き違えないようにしたいなぁ、と思う今日この頃
ブラック企業にいた頃、上司の口癖が「仕事は美しく」「依頼された通りに仕事をしたらダメ、依頼された以上をしてこそプロ」だったんだけど、お給料は時給換算すると学生時代のバイト以下だったし「プロの仕事に相応の対価を払えない会社は美しくないな」と思って転職した思い出。辞めて大正解だったな
復讐はするかしないかで言えばガッツリする派だし、自分がとことん幸せになることで見返すタイプですね。わざわざ相手のことを攻撃したり執着するのは自分の時間がもったいないのでしません。アンタに使ってやる時間、ないから〜🙋‍♀️🙋‍♀️🙌
「あなたのため」と言う人に限ってエゴを押し付けてきたりするから、気をつけなはれや。本当に相手を思っている人は何も言わずにコソッとサポートしてたり、憎まれ役になっても叱ってくれたりする。
ちょっとくらい間違えたって大切な人は嫌いにならないよ。間違えることがあっても大丈夫。そりゃ相手の心を踏みにじっちゃいかんけど、長い付き合いならズレが出ることもあるし傷つけちゃうこともある。間違えたらきちんと認めて謝ればいいし、少しの間違いも許せない関係ならそれまでなんだと思うな
「大胆な人というのは怒鳴ったり武器を持って戦う人のことではなく、そのように攻撃されても柔和で笑顔で接して打ち勝つ人のことだ」と聞いて、深いなぁと共感した。外面ばかり強そうに見せて相手を脅すのは実のところ弱くて怯えている人で、何があっても揺れない芯のある強さを持つ人になりたいなって
最近何としても謝らない、間違いを認めない人のニュースが多い気がするなぁ。間違いは無いに越した事はないけど誤ってしまうのは人として当たり前の事で、それを認めない、正さない事の方が問題なんだよな。批判する側も“その問題”だけ指摘せず相手の存在まで否定するのは気をつけた方がいいのかもなぁ
何にもなさそうな子に限って何かを抱えながら生きているんだ。元気そうに見えるのはそう見せているだけ。間違っても「○○って悩みとか全然なさそうだよね〜」とか言っちゃいけないし、言えばその子の悩みは一層深いところに落ちていくし、そんな子が打ち明けられる場所を作ろうとする方がずっといい
人生、だめな時も必要なんだなぁ。雨がなければ穀物は育たないように、上手くいかない事を経験してこそ成長できる時がある。ちょっと道を間違えて、痛い目をみたから学べたこともある。間違えたままじゃ困るけど、それを通して学べた事、反省してより良くなれた事があるならそれもいいんじゃないかな