「幸せが怖い」状態を抜け出すには、とにかく幸せに慣れるしかない。幸せからのドン底、幸せからの裏切りを繰り返し経験している人は幸せそのものに恐怖して遠ざけてしまうことがあるけれど、過去の幸せと不幸をセットで考える必要はない。幸せになってもバチは当たらないし、幸せに権利とかも必要ない
SNSでは言ってないけどリアルではしんどい状態の人、わりといるよね。普段趣味のツイートしかしてないからここで愚痴ってもキャラが違うかな…とか、フォロワーさんもそんなの聞きたくないかな…とか気をつかっちゃってさ。よしよし。私はあなたのこと何も知らんけど、よしよしパワーだけ送っておくぞ
病気や障害になったことがない人より「それくらい大したことなかったですよ〜」という元当事者が厄介だったりするんだよね。あなたにとっては「それくらい」だったとしても、そうじゃない人もいるんじゃがとなる(たとえ同じ病でも)。自分が経験した痛みと他人の痛みは別物として理解するのが大事だなと
元々できる人より、できない人の方が有利だ。初めからできた人は「できない」感覚が分からないから人に教える事が難しい。一方できなかったところからできるようになった人は「できない」感覚もわかるし、どうやったらできるか、できるまでどれだけ大変かも知っているから道標になれる。できないも個性
批判を悪口とひとまとめにして聞き入れない人も困ったさんだけど、悪口を批判と正当化して殴る人も困りものなんだよね。個人的には、たとえ批判的内容でも相手をけなす言葉が入ってしまえば、それは悪口になると思うの。真水も一滴でもトイレの水が混ざれば汚水になるのと同じ。汚水にしたら飲めない
悪意に対して善意で応えるのは最高の防衛術なんだよね。悪意に悪意で対抗しようとすると少なからず相手の悪意の影響を受けてしまうわけだけど、善意で対抗すれば「まあ、あなたの悪意は全く利いていないわけですが」っていうスタンスで臨む事ができる。卑劣な攻撃に対して自分まで堕ちてやる必要はない
傷ついた日のきみへ 嫌なことがあったら、その3倍は好きなことをしてくれ。傷ついたことに蓋をしないでくれ。「もっとつらい人いるし…」っていうのは一番言っちゃいけない言葉だ。痛みは人と比べるものじゃない。つらかったらその気持ちは受けとめて、存分に自分をよしよししてやってくれ
アルコール依存症者を甘えだなんだと責めるのはダメだけど、依存症者の家族を「あなた達の愛情不足」「止められないのは家族の責任」って叩くのも絶対に違うんだよな。依存症は脳の病気だし、真面目でも円満家庭でも誰でもなる病気。理解とサポートはできても、何もしない外野に叩く権利はないよ
アルコール依存症を叩く人に伝えたいのは、この病気に必要なのは責める事ではなく理解と治療だという事。私も母がアルコール依存症でバトルしちゃった過去があるけど、病気は責めたところで良くはならない。アルコール依存症は甘え等の精神論じゃなく脳の病気だし、戦うより支える方が圧倒的に改善する
悪口を言われた時に知っておくといい豆知識 ・悪口は言われた人より言った人の評価を下げるという研究結果がある ・悪口は自分が言われて一番嫌な言葉を選ぶので「自己紹介おつかれさま」と受け流すといい ・充実している人は悪口を言わない ・悪口を言われたら自分ではなく相手に問題がある事も多い
少子化対策は必要なんだけど、これから結婚する家庭の支援も悪くないんだけど、今日本の子どもたちの7人に1人が貧困だったり、半数近くの子が奨学金という名の借金を背負って社会人スタートしなくちゃならない現状をみて、新しく増やそうとする前に今生きている子どもたちをもっと支えてほしいと思うな
最近やってよかった事は憧れの人リストを作ってみた事。2次元3次元を問わずにまず「好きだなぁ」「憧れるなぁ」と思う人の名前を書いていって「その人のどんな所に憧れるか」を書き出してみるの。そうして文字化すると自分の目指すものが見えてきて「私もこう意識してみよっかな」って目標が近くなった
何かを止めたい時は「これはダメこれはダメ」って思い過ぎるとかえってやりたくなるのが人間なので、「これはやらなくてもいいもの」「今は必要じゃないもの」くらいに思っとくのが丁度いいかも。自分をコントロールしたい時は必ずしも理詰めじゃなくて、自分が従いやすい言葉選びをしてあげるのも大事
「○○しなくちゃ仲良しでいられない」関係なら、友だちでも恋人でも別れちゃえよって思うの。お酒で繋がった仲間はお酒がなきゃ別れるし、お金で繋がった人はお金がなきゃ別れるもの。自分に出せないものを出してまで保つ関係は不健全だし、それがなきゃ成り立たないものならそれまでだと思うのよね
自分も辛い経験をした人が「でも私は乗り越えられたから今苦しんでいる人は皆甘え」って言うのは残酷だよね。同じ境遇でも辛さの尺度は人それぞれだし、それを支えてくれる存在が傍にいるのかいないのかでも大きく違ってくるのに。乗り越えられたなら、今苦しむ人を叩くより手を差し伸べられた方がいい
今報われなくても、時間が経って報われることもたくさんある。今上手くいっていないように見えても、何年後かには今のもがきが成功の土台になっていることもある。目の前だけを見て落ち込まないこと、芽が土を破る前にも成長しているように、誰に見られなくても自分にできる努力を続けられたらいいよね
恩を仇で返すのはダメだけど、仇を恩で返せる人はすごい。簡単にできることじゃないけど、敵のような相手にも恩で返せる人は絶対に損をしない。敵が味方になってくれることもあれば、敵は変わらないけどそれを見ていた周りの人たちが変わってくれることもあるし、何十年後に報われることもあるんだよね
自分に余裕がない時は“ちょっと嫌なこと”も“ものすごく嫌なこと”に感じてしまうのが人間なので、余裕がない時に嫌いな人は作らない方がいい。実際その人が嫌なようでも、ただ自分に余裕がないだけのことも意外とある。ギリギリの時こそ人を攻撃することより、自分を満たすことを考えられたら
「どんな仕事をするか」と同じくらい、「どんな人と働くか」って大事なんだよなぁ。どんなに好きなことでも嫌な人と一緒にやるとなると苦しいし、多少しんどい仕事でも好きな人とやると苦しくない。嫌いな人と食べる高級料理より、好きな人と食べる塩むすびがおいしいのと一緒
「自分は弱い人間だ…」とか「自分はダメ人間だ…」と思うより、「今はそういう時なのかも」と思ったらいいよね。今はちょっと弱くなってる時。今はちょっとダメになってる時。その分きっとがんばった証拠だろうから、いつもより自分を労わってあげて、楽しい事をして、心身満たしてあげたらいいんだよ
差別というのは必ずしも悪意から始まるとは限らず、全くの無意識から生まれる事も多いんだよね。人種とか性別とか障害とか、「この人が」という目線を離れて「○○人が」とかカテゴリーで人を語るようになったら注意だなと。自分にも差別はあるかもしれないと思う事が差別をなくす一番の近道なんだよね
完璧な言葉なんてどこにもなくて。「大丈夫」って言われて安心する人もいれば「大丈夫じゃないのに」って苦しく思う人もいるわけで、誰かにとって薬になる言葉も別の誰かにとっては毒になったりもするもので。100%間違えない事は無理だけど、失敗は恐れなくてもいい。失敗したら学んで直せたらいいよね
「こんなことでイライラしちゃうなんて、自分性格悪いのかな」って思える人はすごい。自覚しようとしている時点でわりと性格がいい。本当にヤバい人は自覚せずにドンドコ突き進んでいくし、「迷惑かな…」「これ悪いかな…」と考えられる人はわりとまともだから、成長している証と思えばいいのじゃよ
実際、私はそれなりに複雑な家庭で育ったし、そのコンプレックスを克服するまでは幸せそうな親子をみる度に嫉妬していた。今は人の幸せも喜べるようになったけど嫉妬していたあの頃を悪いとは思わないし、嫌な感情は「思っちゃダメ」と否定するより「苦しいんだな」って認めてこそ前に進めると思うんだ
どんな言葉でも基本的には「えっありえない!」と拒絶せずに「なるほど…」と一旦受け止めるようにはしているんだけど、そのあと受け入れるかどうかは別にする事も大事。受け止めもせずに相手の言葉を叩き落とせば争いになるけど、全部を受け入れていたら自分がなくなる。受け止めると受け入れるは別物