ストレスに強い人とストレスに鈍い人は全く別。 ストレスに強い人は、ストレスを受けてもプラスに変換できたり、上手く発散して適度に調整できる人のこと。 ストレスに鈍い人は、ストレスを受けているけど気づいてないだけで、無自覚にストレスが蓄積されてるから要注意。
「誰かのために生きられる人」は、誰かのために自分を殺す人ではない。 「自分のために生きられる人」が、誰かのためにも生きられる人なんだ。
お金がなければ、人に施すこともできない。 できたとしても、限界がある。 だから、まずは自分をいっぱい幸せにしよう。 お金じゃなくてもいい、まずはこの心をいつもいっぱいに満たそう。 そうしたら大切な人も幸せにして、その周りの人も幸せにして、いつか遠くの人たちまで幸せにできたらいいよね。
今年も一年、みんなよく生きてきたね。 できない事足りない事もあったかもしれないけど、できないなりにやってきて、足りないながらも生きてきたから今がある。 終わりにするのは簡単だけど続ける事は楽じゃない。 来年もきっと色々あるけど大丈夫。 一人一人にとって、もっといい年になりますように。
体の死と、心の死。 体が死んだら、もう二度とかえってはこれない。 けれども、この体さえ生きていれば、心は必ず生き返らせることができる。 それが今日か明日か何年後か何十年後かはわからないけれど。 諦めないか、諦めてももう一度決心するか。 そうすれば、そのいつかは必ず掴めるから。
もし今辛い状況にあるのなら、人生の雨だと思えばいい。 今は雨の時だから、無理して外に出ようとしなくてもいい。 雨の時には家の中でできることをして、晴れになったら外でできることをすればいい。 良い時には良い時なりに行って、悪い時には悪い時なりに行えばいいんだ。
相手に距離を取られた時に、すぐ「私、何か悪いことしちゃったのかも」「私、嫌われているのかも」と自己否定する人は要注意。 何でもかんでも自分のせいにする癖は、人生を生きづらくする。 そういった時は自己否定するのではなく、タイミングややり方がまずかったんだなと思って改めるといいよ🙆
知らないところで自分の悪口を言われていた時の不快度が10ポイントなら、自分がいないところで褒められていた時のご機嫌度は5000億ポイントくらいなので、その場にいない人の賞賛は積極的にしたらええと思う🙋
何でも人のせいにするのも問題だけど、何でも自分のせいにするのも問題だ。 優しい人ほど色んな事を自分のせいにして、負わなくてもいい責任まで負ってしまうけれど。 全部が全部、一人で背負い込んだところで解決するとは限らない。 何でも自分のせいにすることで、解決しようとしなくていいんだよ。
親が金持ちで偉大な人だからといって、別にあなたは偉くもなんともない。 親がクズでろくでなしだからといって、別にあなたも腐ってるわけじゃない。 親を言い訳にして自分を縛りつけないこと。 親は親、あなたはあなただ。
日本人はいつから「失敗は恥ずかしいこと」みたいな勘違いをし出しちゃったのかな〜 人間なんて、失敗して当たり前なのにさ〜 失敗そのものよりも、失敗を認めないことの方がずっと恥ずかしいのにさ〜 失敗したって、きちんと認めて改めて、前に進む道があるんだからさ〜 大丈夫、なんくるないさ〜🙋🌺
何でもかんでも「上手くやること」「失敗しないこと」ばかり考えていると、人生面白くない。 あ、それ私だなっていうちょっぴり真面目なあなたは、「楽しくやること」を目標にしてみたらいいよ🙆 上手くいってもいかなくても、楽しくできればそれでOK。 たまには肩の力を抜いてみてね。
人は弱くて当たり前。 間違えて当たり前。 足りなくて当たり前。 失敗して当たり前。 こんなありふれた当たり前なのに、当たり前として受け入れられないから辛いんだよね。
もう「○○のくせに」っていうのはやめませんか。 「男のくせに」「女のくせに」「子どものくせに」「親のくせに」。 あれこれと相手の立場や肩書きを問う以前に、みんな誰だって一人の人間じゃないか。 フィルター越しの期待と偏見を押し付けるのはやめて、人と人として認め合えたら。
人を叩いて優越感に浸るのって、あれ、錯覚だよね。 人って相手を落とすと、相対的に自分が高くなったような気がしちゃうものなんだけどさ。 でも、そんなのは、全部錯覚なわけで。 実際は人を貶したところで1mmだって偉くはなれないんだから、それならお互いのいいとこ見つけてこって。
自分に自信がない人は、毎日必ずやる日課を設定するのがオススメ。 何も筋トレ100回とかじゃなくて3回でもいいし、5分ストレッチするでも、植物に水をやることでも何でもいい。 自分にできることを日課にして、毎日必ず実践してみること。 小さくても「やるべきことをやった!」という積み重ねが大事🙆
自分に価値がないと思う人は、その環境のせいで価値が見失われていることがほとんどだ。 どんなに高級な食材でも、料理がド下手な人に任せると消し炭にされてしまうように。 本当は価値ある人でも、なんでもない人に振り回されこき使われていると、その価値を発揮できなくなる。
「逃げてもいい」っていうけど、逃げるのも簡単じゃないんだよね。 逃げるには手放さなきゃいけないものもあるし、逃げた先も絶対安全とは限らないし。 でもね、それらを全部ひっくるめた上でも、自分を殺すような環境からは抜け出した方がいい。 多少のリスクは負ってでも、生きる道を選ぶんだ。
「私は誰々より上手くやろう!」 「私はこの中で一番にやろう!」 という考え方は、他の人を見くびるようになる。 そうやって人と比べるよりも、 「私は私なりに最善を尽くそう」 と思えればそれでいいんだ。
ただ強いだけの人よりも、 弱さを乗り越えた人の方がずっとかっこいい。 弱くたっていいじゃないか。 弱いからいいんじゃないか。
「愛が重い」って言われる人は、相手のためといいつつ自分の気持ちを押し付けていないか確認すること。 例えば、相手がお腹いっぱいなのに「あなたのために作ったの」とご馳走を振舞うなら、それは相手にとって負担になる。 相手が望んでもいないことを押し付けるなら、それは愛ではなくて自己満足だ。
「失敗」や「できなかったこと」は大した問題じゃない。 それよりもっと深刻なのは「自己嫌悪」だ。 できなかったことはまたやり直すか、別の機会に活かせればそれでいい。 けれども自己嫌悪の沼にはまると、その先の機会まで見失ってしまうようになる。 乗り越えるべきは失敗ではなく、自己嫌悪だ。
自分が人の為に100%してあげようと思わない方がいい。人の為にしてあげられる事はせいぜい5%、残り95%は本人が決める事。相手の人生は自分が決められるものじゃないし、自分がしてあげられるのはほんの5%支えてあげたり、応援したり、提案してあげる事くらいなんだ。人の分まで背負いこまない事、大事
自分が今すべきことと、あの人が今すべきこととは違う。 自分にとっては走る時でも、あの人にとっては休む時の場合もあるし、あの人にとっては走る時でも、自分にとっては休む時の場合もある。 だから、誰が何をしているからと言って流されず、いつも自分のすべきことをすればいい。
一番苦しかった時。 来る日も来る日も、死ぬことばかりを考えては、結局死にきれなかった。 そんな死に損ないの自分が、今笑って生きている。 生きてるって、それだけでも奇跡なんじゃないかな。