「叱ること」は人間の脳を萎縮させ、能力を低下させることが証明されているんだって。 とはいえ、叱ることも時には必要。 でも命に関わることや緊急事態ならともかく、叱って抑圧して相手を支配する教育を常とするのは時代遅れだよなぁ。 家庭も職場も自分自身も、もっとほめてのばせばいいと思うよ。
ものすごく嫌なヤツがいたとしても、それは〈自分〉という立場から見た相手の一面にすぎない。 どんなに悪いヤツだと思っても、ある人の立場から見たら恩人かもしれないし、なくてはならない存在のこともある。 人を決めつけるほど自分は偉くないし、自分も人に決めつけられる義理はないんだ。
みんなさ、ちゃんと充電してる? スマホだってさ、いくら平均2年は使えるって言ったって、充電なしには1日だってもたないでしょ。 人間もそれと同じ。 毎日あくせく頑張って生きてるのに、心の充電・体の充電もなしに走り続けたら、そりゃバッテリーも切れちゃうよ。 もっと自分を充電してあげよう。
人から悪く言われても気にするな。 たとえ100人中100人があなたのことを「無価値だ」と言っても、気にするな。 相手が自分の何を知っているというんだ。 あなたのもがき、涙、努力、葛藤、その一部だって知らないやつに、あなたを決めつける権利なんてあるのか。 人を決めつける権利なんて誰にもない。
子どもの頃から私が失敗する度におばあちゃんが言ってくれた言葉が「よかったじゃない、これで次は間違えないね☺」だった。確かに一度失敗したことは次からはもっと気をつけられるようになる(や、それでも失敗することもあるけど)。無闇に責めるより勉強になったねと肯定するスタイル積極的に使いたい
人は、意識し過ぎるとうまくいかない。 物事は、あまりに力み過ぎるとうまくいかない。 何事も「うまくやろう」とする心ばかりが先走って、力が入り過ぎないように。 力まず、そっと、やさしくやってこそ、うまくいく。
めちゃめちゃめちゃしんどい時はさ、アドバイスなんていらないから、ただ話を聞いてくれるだけでもありがたいんだよね。 「そんなこと言っちゃダメだよ!」とか、「こうしたらいいよ!」とか言わなくていいからさ。 一緒にご飯とか食べながら、うんうん、そかそかってしてくれるだけでいいんだ。
迷惑をかけたくなくて、「助けて」を求められない人が沢山いる。 でも迷惑って、かけてかけられて当然じゃない。 そもそもSOSと迷惑って別物じゃない。 あれこれ考え過ぎて「助けて」の一言さえも言えなくなるくらいなら、腹をくくって話してみた方がいい。 助けられた人は助けてあげられる人になる。
休むことってさ、よく怠けとか言われるじゃん。 でも、私は偉いことだなって思うよ。 ズル休みは別として、きちんと自分の体調と状況を省みた上で「ここは休んでおいた方がいいな」ってしっかり判断できるなら、それは立派なマネジメント力だと思う。 大きく見れば、休むことも仕事だからね。
人ってさ、感情の限界線を超えると、もうなんにも怒れなかったり、泣けなくなっちゃったりするんだよね。 でも、そんな時自分の代わりに「信じられない!!」って言って怒ってくれたり、ポロポロ泣いてくれたりする存在がいると、めちゃめちゃありがたいんだよね。
一度で上手くいった人よりも、二度、三度、何度も失敗して、何度も試行錯誤してやり遂げた人の方がずっと強い。 だから、できないことがあっても、自分をあまり責めないで。 今はできないことも、あとにはもっとよくできるようになるから。 どうしてもできないことなら、別の道で輝けばいいから。
生きていれば、誰かとぶつかることは必ずある。 100人いれば100人みんなが味方になることはなくて、敵になる人もいて当然だ。 でもね、誰かとぶつかることではじめて気づくこともあれば、時には敵の一言でハッと学ぶこともある。 だから、広い意味では敵も人生の味方かもしれないね。
例えば車のタイヤがパンクしちゃったら、タイヤだけ交換して直すでしょう。 タイヤだけ直せばいいのに車ごと捨てちゃったら、あまりにももったいないでしょう。 でも、人は自分の足りないところ一つをみて、自分を丸ごと諦めようとする。 それって車よりもずっと、もったいないことなんじゃないかな。
人間には、一部だけを見て全部を決めつけてしまう癖がある。 たった一つの失敗を見て「あいつはダメだ」「自分はダメだ」と決めつけて、たった一人の悪人を見て「男/女はみんなこうだ」とか「○○世代はみんな××だ」なんて思い込む。 でも結局、決めつけは自分の世界を狭めるから自分に損なんだよね。
「努力家」「がんばりやさん」っていうと、すごく聞こえがいいでしょう。 でもね、実はがんばる人ほど、折れやすい。 そして折れた時のダメージも、人一倍大きい。 だからね、そんな人はいい意味で「力を抜く」ことを意識してみたらいいと思うよ。 人生は短距離走じゃなくて、長距離走だから。
何もかも上手くいかない時に気をつけたいのは、自信を喪失して自分を軽んじること。 何もかも順風満帆な時に気をつけたいのは、感謝を忘れて他人を見くびること。 いい時も悪い時も、自分のこと相手のことを大切にできる人でありたいね。
心配をしたところで、心配事は解決しない。 心配する時間があるなら、その時間にできることをやればいい。 できることが何も無いなら、心配を委ねて休んで、次に備えて充電すればいい。 悩み、心配、ずっと抱えていると疲れちゃうからさ。 時には肩の荷を降ろす勇気を持とう。
病気を治すことや体質を変えることは、一朝一夕ではできない。 だから焦らず、じっくりやれば大丈夫だ。 必要な時間は、人それぞれ。 誰と比べることもなく、自分のペースでやればいい。 治療する期間は、治すことが仕事だ。 それを怠けだなんだと言う人は、気にするな。 やるべきことは人それぞれだ。
「誰かのため」と「誰かのいいなり」は全く違う。 「誰かのため」は自分が好きですること。 「誰かのいいなり」は自分の意思なくすることだ。 でもね時々「誰かのため」って言葉を使って、他人を「いいなり」にさせる人がいる。 自分は後者にさせられていないのか。 騙されず気づけるようにしたいね。
【自由になる為の3ステップ】 ①自分の中の固定概念(=こうすべき/してはならない)を書き出してみます。 ②それが本当に必要な考えなのか、客観的に振り返ります。 ③もしいらない考えがあったなら「そうじゃなくてもいいんだよ」と言ってあげましょう。 自分を縛るものは、結局自分の考えだから。
折れない人になるには、柔軟さが必要だ。 自分の芯があるのは、とてもとてもいいんだけれど。 「絶対にこうあるべきだ」 「こうしてはならない」と、 こだわりや固定概念が強い人ほど、いざという時にはボキッといってしまうから。 竹のようにしなやかに、やわらかく折れない人でありたいね。
自分に直したい癖・習慣・考え方がある時は「こんなんじゃダメだ!!」といって自分を責めるより、「それをしなくたってもいいんだよ」と自分を許してあげる方が抜群に効果的。 さらに「それする代わりに、こっちがもっと好きだな〜」っていうものを見つけられるとなお良し最高超絶えらいです🙆
結局さ、自分が気を使っちゃうと、相手にも気を使わせちゃうんだよね。 「どうする?何がしたい?あれがしたい?これがしたい?これは嫌?嫌じゃない?嫌ならごめんね?大丈夫?」なんて聞いていたら、相手もお腹いっぱいになっちゃうよ。 自分も肩の力を抜いてこそ、相手も気を楽にすることができる。
同じことをしてもらっても、ある人は感謝し、ある人は「当たり前」と思う。 そして人生得をするのは、圧倒的に前者の方。 感謝する人にはもっとあげたくなるし、与えても価値の分からない人にはそれ以上あげたくないものだ。 どんな些細なことにも、「ありがとう」を忘れない人でありたいね。
私には君の痛みがわからない。 私は君と同じ体験をすることができないし、たとえ同じ苦痛を受けても感じ方はそれぞれだから。 だから、安易に「わかるよ」なんて言いたくない。 でもね、たとえ100万分の1さえわからなかったとしても、ただ君の話に耳を傾けて「そかそか」ってくらいはしたいんだ。