逃げることは、言い換えれば「より良い環境へのお引越し」。 例えば今住んでる家が火事になったら、とにかく飛び出して引越しをするように。 誰もそれを「甘え」だとか「情けない」とは言わないように。 学校や会社、今の環境を変えることもそれと同じだと思うんだ。 逃げがプラスになる場面は沢山ある
親がほめてくれない。 恋人がほめてくれない。 上司がほめてくれない。 それなら、自分が自分をほめてあげればいい。 「え?!誰にほめられなくても毎日こんなに頑張ってるの?!すごいよそれ!」って。 もしかして誰もほめてくれない上に 「こんな自分はダメなんだ」と 自分まで否定していないかな。
できることなら、誰にも嫌われたくない 。 できることなら、誰にも傷つけられたくない。 けれども。 誰にも嫌われない人は、誰にも好かれない人。 傷つけられる覚悟のない人は、誰も救えない人になる。 嫌われること傷つけられることを恐れていたら、自分を必要としてくれる人まで恐れてしまうから。
何かを始める時、 中々第一歩が踏み出せない人は、 「よーし!やるぞー!!」 と気合いを入れてからやるより、 「やってみるか〜」 と肩の力を抜いてやる方がいい。 やってどうなるか心配なら、 「大丈夫、絶対上手くいく!」 と考えるより、 「大丈夫、失敗してもなんとかなる」 と思った方がいい。
人生、何一つ間違えずに生きられる人は一人もいない。 もし「自分はいつでも正しい」という人がいるのなら、その考え自体が間違いだ。 だから間違いのない人になろうとするよりは、間違える前に自分を点検できる人になることだ。 間違えたなら、すぐに過ちを認めて改める人になることが大切なんだ。
以前親しい人に連絡をしたら中々返事がなくて「私、実は嫌われてるのかな」と不安になったことがあった。 後になってから、当時その人は病気で連絡できない状況だったのだと知った。 それを聞いてものすごく恥ずかしくなった。 自分の心配ばかりする人ではなくて、相手のことを思える人になりたいね。
どんなにおいしい食べ物も、失恋して食べるとおいしくないように。 ただの水でも、一生懸命働いた後に飲むとおいしく感じるように。 人は考え次第で生きる。 環境も大事だけれど、それより大事なのは自分の考え方だ。 心配や不安は自分の考えから生まれ、希望や大胆さも自分の考えから生まれてくる。
「就職したら最低3年は続けろ」ってよく言うよね。 でも正直な話、必ずしも自分が3年いる必要はない。 3年後を知りたいなら、その職場で3年経った先輩を見ればいい。 その先輩方が輝いてるなら、今は辛くても続けた先の希望がある。 でも先輩の目が死んでるなら希望は薄い。 3年勤続がいないなら論外。
溺れている人は、溺れている人を救うことができないように。 貧しい人は、お腹のすいた人にごちそうしてあげることができないように。 大切な誰かを守りたいなら。 まずは自分が救われること、自分の心を満たすことが大切だ。 ないものは与えられず、持っていてこそ与えることができるから。
自己肯定感がド底辺だった時、人からほめられたり認められても「いや、そんな自分なんか…」って言っていつも謙遜してた。 でもそれって謙遜なんかじゃなくて、相手の好意を否定することなんだよね。 と、気づいてからは、まず「いや」というより「ありがとうございます」って言えるようになった。
これだけは言っておきたい。 たとえあなたがどんなに立派な人間で、どんなに素晴らしいことをしようとしても、アレコレ言う人は必ずいる。 それは必ずしもあなたが悪いから言われるんじゃなくて、何やってもケチつけたい人達もいるというだけだから。 本当にやるべきことなら、気にしなくていいよ。
弱音吐いちゃいけないなんて誰が言ったのか。 そんなの吐いちゃえばいいよ。 それでも抵抗があるなら、弱音を吐いた後に一言ポジティブを付け加えればいい。 「しんどい…から今日はもう寝てスッキリしよう」 「つらい…から美味しいものでも食べて元気出そう」 ってさ。 溜め込むのが一番よくないよ。
私の尊敬する先生は、たとえどんな失敗をしても何があっても絶対にへこたれない。 なんでこの人は落胆しないんだろうと不思議に思って、ある日「失敗した時何を考えていますか?」と聞いたら恐ろしい答えが返ってきた。 「次に成功することを考えてワクワクしている」 この考え方は最強だと思った。
一番成長が早い人は「自分は必ず間違える」ということを認めている人だ。 認めているからこそ、失敗したり間違えた時にはすぐに改めて、どんなことでも成長に繋げることができる。 「自分は絶対に間違えない」「失敗したらいけない」と思い込むのは、自ら成長の芽を摘んでしまうことだから。
何か弱音を吐かれた時、相談事をされた時に「自分の方が××」とか「みんなも同じだよ」とか言ったらアカンのだよね。 今みんなの話とかじゃなくて、私の話を聞いてほしかったのにってなるだけだもの。 ただ耳を傾けて「そうだったんだね」って一言で十分だったりするのよね。
お別ればかりの人生だ。 ある時は心がすれ違って、ある時は命の時がきて、みんないつかはさよならだ。 でもね、残念ながら、自分とは生涯お別れなんてできない。 どんなに嫌で大嫌いでも、恋人みたいに別れることはできないから。 自分が嫌いな人は、愛せるような自分に作っていけたらいいかもね。
誰かを救いたいなら、傷つく覚悟が必要だ。 人助けをするっていうと、ありがたがられて沢山感謝されると思うでしょ。 違う。 本当の意味で誰かを助けるっていうのは、それだけ命懸けだ。 救おうとしても手を振り払われることなんてざらにある。 傷つけられても、最後まで愛せるかどうかだ。
騙されないようにしたいなら、言葉よりも行いで確認するのがいい。 キレイな言葉は誰にでも吐ける。 でも、行いにはボロがでる。 本物かどうかを見極めたいなら、いつまで続くのか確認したらいい。 ニセモノは続かない。 でも、本物の軸がある人はブレないから。
上を見たらキリがない。 優秀な人に出会った時、妬み、嫉妬し、比較し、落胆したところで、得るものなんて一つもない。 そういう時には、その人から何か一つでも学べるものを学んで、自分のものにしてこそためになる。 そうして「学ばせてくれてありがとう」って、妬みを感謝に変えられたらいいね🙋
自分の幸せに、人の目は関係ない。 「あの子、片親なんだって」 「あの人、重い病気なんですって」 「かわいそうに」 「お気の毒ですね」 人の言うことがなんだ。 誰がなんと言おうと、自分が幸せなら関係ない。 幸せかどうかは他人が決めることではなく、自分が決めることだ。
これまで、上手くできなかったことが沢山あったね。 人の期待に応えられなかったこと、思い通りにいかなかったこと、悔しくて情けなくて人知れず泣いたこと、数え切れないくらいあったよね。 本当に、本当に、おつかれさま。 そのもがきは、君が一生懸命だった証だから。 人生はもがきの傑作品なんだ。
世の中には一人で持てる荷物と、一人では持てない荷物がある。 それなのに、一人では持てない荷物を前に一人で戦い続けて、力尽きて、へたりこんで「自分は無力だ」なんて落ち込んだりする。 違う、違うんだ。 それは一人で戦うものじゃなかったんだ。 一人ではできないこと、一緒にやればいいんだよ。
もし自分の大切な人が「本当は辛い」と話してくれたら、なんて声をかけるだろうか。 「弱音を吐くな!もっと頑張れ!」なんて言うだろうか。 それなのに、自分の心が「苦しい」と呟けば、同じようなことを言ってはいないのか。 人にかけるその優しさを、自分にも分けてあげたっていいんじゃないかな。
何でもかんでも自分のせいにしちゃう優しい人がいるけれど。 実際、世の中全てが自己責任では成り立たない。 自分が100%よくやっても相手がちゃんとしてくれなきゃできないこともあるし、相手が上手くできないことまで自分のせいにする必要はない。 責任の切り分けと割り切る心、結構大事だよね。
人は失敗すればするほど、心が弱くなるものだ。 1回目失敗した時には「また頑張るぞ」と思い、 2回目も失敗すれば「次はきっとできる」と言って、 3回目以降も失敗し続ければ「こんなにやってもできないなんて」と苦しくなる。 でもね本当に大事なことなら、できる時まで何回失敗したっていいんだよ。