私は一度もTwitterで顔出したことないんだけど、それでも一時「ブス」とか「デブ」ってリプライする人に絡まれたことがあって、ほんと暴言吐く人って事実とか相手とかどうでもいいんだなぁ〜と逆にスッキリした。なら気にする必要もないんじゃんってなって。ありがとう、変な人。ごめんね、かわいくて
「高校生の時、駅で知らないおじさんに突然ブスって言われてから自分に自信が持てなくなった」というツイートを見かけてお怒りなんだけど、ブスって言われたら「私は貴方様の美しさを理解できないほど低脳な人間です」に変換しとけばいいと思うわ。ブスなんて言うような人はアイドルにだって言うからね
食事は基本の薬なので、薬を変えても体調良くならない人はせめて自炊が難しくてもお弁当とかは食べてほすぃ…「メンタル不調で…」と言いつつパンとかお菓子とか食べてたら良くなるものも良くならないし、メンタル系の病かと思ったら食事改善であっさり回復してただの栄養不足だったケースも多いから…
結局一番しんどい人間関係って嫌な時にも「大丈夫だよ〜!」とか「全然〜!」とか言わなくちゃいけない関係で、一番居心地がいいのは1%でも嫌な時はちゃんと「それは嫌」って気兼ねなく言える関係だな、と思った。自分も言える人でありたいし、言ってもらえる人になりたいよね
(いい意味で)もっと好き勝手に生きよう、と思った。それが自分にとっても人にとっても楽なんだよなと。あれこれ勘ぐりすぎ気遣いすぎよりスッキリ素直な反応して嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやる、の精神で生きた方がいい。「迷惑になるかも…」と思う人は大体たいした迷惑かけてない
他人に頼るのが苦手な人って、そもそも苦手というより「頼る」という選択さえ思い浮かばない人が多いんだよね。一人じゃ解決できない問題にぶつかった時も①諦める②永遠と苦しむ③できない自分を責める、みたいな選択しか出てこなくてさ。まずいつも見える所に④人に頼る、とか書いておくことが第一歩
100人がほめてくれても1人に悪口を言われたらその1人が気になってしまうのが人間だけど、わざわざ相手に悪意を伝えてくる人って意外と希少種なので、1人に悪口を言われたら実は100人くらいは私のこと好いてくれてるんだな、くらいに図太いメンタルで生きればいいと思うの
自分のがんばっていることは、自分がきちんと認めてあげなきゃならない。何かができたことはもちろん、上手くいかなくても努力したこと、何気なくやっている家事や習慣、ささやかに誰かを気遣ったことも全部ほめてあげたらいいんだ。誰かに認めてほしいという前に、自分が自分の努力に気づいてやれたら
友達にふざけて「もう私の手は汚れてしまった…」って言ったら「じゃあ洗えばいいじゃん」と返されてハッとしてしまった。何事もやっちまったなぁって後悔するだけならそのままだけど、洗えばおちる汚れも沢山あるように、今できることをやれば解決できる問題も山ほどあるんだよなぁって。大事なのは今
考え方なんてどんどん変わっていっていいと思うんだ。「お前、それ○年前と言ってること違うじゃんw」といっても、そりゃ時が経てば変わるのが当然で。PCだって10年前の物を使い続けたら、どこかでバグがくるもので。思考も「あ、これいいな」と思ったらどんどん取り入れてアップデートしたらいいよね
小学校時代の一番記憶に残っている授業は、新聞の授業。ある先生が「今日は色んな新聞を見比べてみましょう」って複数の新聞を持ってきてくれて、同じ出来事でも違う書き方(善評なり悪評なり)されている事に驚いた。先生は「どれが正しいか」の話はせず「色んな立場を見て考えてみてね」と教えてくれた
私は日本人だし日本に誇りを持っているけれど、「日本人であること」にしか誇りを持てない一部の方が他の国や人種を差別する発言を見るとかなしくなるなぁ。趣味でも何でもそうだけど、自分の立場を守るために他者を下げる必要なんてないのよね。他者を攻撃して守るプライドはもろい
本当につらい時に冷たくされたことは多分一生忘れられないし、苦しい時やさしくしてもらったことも普段の100倍くらいの強度で覚えてる。人の印象って、ハッピーな時のことよりつらい時の方が記憶に残るものよね。逆境の時こそ本質が出る、ともいえるかもしれない。
私が適応障害だった時、「薬なんて使わない方がいいよ!病気だって思うから病気になっているだけだよ!」と言っていた友達が5年後自身も適応障害になっていた。「こんなにつらいと思わなかった…あの時力になれなくてごめんね」と言われて、人生いつ他人事が自分事になるかわからないんだなと実感した
ほしいものが手に入るまではず〜っと考えてるのに、手に入った瞬間から興味がなくなっちゃう癖、なんとかしたいなぁ…。高校生まではウッキウッキして抱えてたのに、いつからか手に入れる事自体が目的になってしまっていた。大事なものは手に入れてからがもっと大事なんやで、と自分に言い聞かせている
心配するな。 心配事は、心配してもよくならないから。 できることがあるなら、やる。 できることがないなら、あとはゆだねる。 それだけだ、それだけでいいんだ。 これまでたくさんあたま使ってがんばったね、よしよし。
同じことをするにも、人に言われてするか自分がやりたくてするかって大きな違いよね。せっかく自分がやりたくて始めたことでも、人から「やれ」と言われたら苦しくなったりするもの。だから他人の声は参考にしても、ハンドルまでは握らせないこと。最後に決めるのは自分なのだと忘れないようにできたら
上手くいかない事があった時、「誰々のせいだ!」というより「私が悪かったのかな…」と考えてしまう人も多いけど、意外と“誰のせいでもない”事も沢山あるよね。自分に足りなさがあったならその分反省するのはOK、でも全てが揃っていてもダメになる時はダメになる。必要以上の自責他責は降ろせたら
合わない会社は早く辞めるのが吉。“合わない”のか“慣れない”のか様子見する期間は必要だけど、前者なら早めに決断する方が負担も少ないので次にも繋げやすくなる。私は新卒の超ブラック企業で「ここで辞めたら根性なしでは…」というプライドを殴り捨てて倒れる前に転職した自分に拍手喝采を送ってる
「有難い」って、本当に素敵な言葉だな。「有ることが難しい」=「それだけ貴重だ」と思えるからこそ人は感謝できるのであって、「有って当たり前」と思ってしまった瞬間から価値を忘れて感謝もできなくなってしまう。物質も人の想いも当たり前と思わずに、いつも感謝できる人でありたいよね
人の悩みを聞くのは自分が元気な時にした方がいいし、余裕がない時に人のものまで背負おうとすれば結局一緒に倒れてしまう。そういった意味でも、自分が健康であること、自分を大事にしてあげることは大切だなって。人に冷たく、じゃなくて、まずは自分を大切にしてこそ相手も助ける力がつくよね
ちょっと調子がいい時にやっておくとオススメなのは、自分が好きなこと・ご機嫌になれることリストを書いておくこと。趣味でも食べ物でも、好きなことでいっぱいのメモを作っておくこと。そして落ち込んだ時には、それを見て好きを充電してあげること。落ち込んでから考えようとするのは大変だものね
できる人って、はじめから完璧なように見えちゃうんだよね。できない時もあったんだとか、頭ではわかってるんだけど、つい羨ましくなっちゃったり。それで苦しくなっちゃう時は、人の成功談じゃなくて失敗談を沢山聞いたらいいよ。見せないだけで、1できる人は100失敗してたりするものだから
過去を乗り越えるまでは、なんでこんな家に生まれてきたのかと何度も思った。もっと別の家に生まれていたら、この辛い記憶を消してしまえたら、トラウマが思い浮かぶ度何度ももがいた。でも乗り越えてからは「この過去があったからこそ今がある」と思えるようになった。過去を変えるのは今なんだなって
できるあなたじゃなくて、できないあなたにも価値があるんだよ。学校では成績優秀な事が価値なのかもしれない。会社では有能な事が評価されるのかもしれない。でも人間としての価値は全く別ものだ。できる・できないじゃなくて、ただそこにいるだけで価値がある。今を生きている事はそれだけ貴重なんだ