病気やアダルトチルドレンを克服したって、生きている限り落ち込むことは続けてあるよ。「克服したのになんで…」って自分を責める必要もない。健康な人だって落ち込む時は落ち込むし、もがきの中でも調子がいい時だってある。できない時も否定せず「今はそんな時」って認めてやれたらいいよね
好きでやっていたことが「やらなきゃ」と苦痛になった時は、一旦距離を置くか思い切ってやめてみるのがいいよ。本当に大事なことならまた「やりたい」と思えるし、実はもう必要ないものなら手放すいい機会になる。手放せば、また新しいものも掴めるしね。時には立ち止まるのも、悪いことじゃないんだ
誹謗中傷や悪口は、 ①趣味で言っている人 ②悪口だと自覚せずに言っている人 ③鋭いネタや大喜利と勘違いしてあえて口汚くコメントしている人 がいるけど、どれも相手から不快に思われた時点で負けなんだよな
「自分はどうなりたいか」を考えずに「他人から何を望まれているか」ばかり考えると空っぽになってしまう。親や教師の言うこと、上司や社会から望まれること。それを全く聞くなとは言わないけれど、他人の声を自分のものだと勘違いして生きないこと。線引きができなくなると自分がなくなってしまうから
「日本には奨学金があるから誰でも進学できる」「進学しないのは本人の努力不足」という人がいるけど ・虐待等で借りられない ・家にお金を入れるため就職せざるを得ない ・借りても親に使われてしまう(むしろ親が勝手に借りていて子供に返済させる) という人達がいることはもっと知られてほしいな…
「もっとつらい人もいる」って、自分には思ってもいいけど他人には言っちゃいけない言葉ランキング第一位だよね。「もっと」も何も、あなたはその人のつらさなんて一面しか知らないでしょって。勝手に優劣つけられる立場じゃないの。知らん誰かを引き合いに出すより、その人自身の話に耳を傾けられたら
承認欲求を満たすために寝る間も惜しんで勉強して学年一位になった経験があるのだけど、「一番になれば認められるはず」がそのうち「一番でなければ認められない」という恐怖に塗り替えられてしまったので、肩書きで自分を満たそうとするのはやめた方がいいと痛感した
「戦争反対」 「戦争嫌い」 そりゃ誰だってそうだし、好きで戦争する人なんてほとんどいない。でも、そう言うだけじゃ戦争は止められないんだよな。戦争の悲惨さを語り継ぐことも大事だけれど、「どうして戦争したのか」「どうすれば回避できたのか」を議論することが今にも繋がるんじゃないかなと
何があっても肯定してくれる存在は貴重だけど、道を誤りそうな時に「それは違うんじゃない?」って言ってくれる存在はもっと貴重だし、そう言われたらきちんと耳を傾けられる人でありたいな
今年は「扇風機だけで我慢」とかいって部屋で熱中症になった患者さんが急増していると聞いたんだけど、ほんと夏のエアコンは躊躇なくつけた方がいい。エコも節約も命にはかえられない。「昔はそんなに使わなかった」って昔は今ほど暑くなかったんだもの。環境が変わってるのに同じように耐えたらあかん
学費と生活費でお金に余裕がなかった学生時代、食費を削って3食パンとかそうめんにしていたら近所のお姉さんに「節約するにも食費だけは削っちゃダメ。栄養不足で体調崩したら結局医療費の方が高くつくんだから」と叱られたのを覚えてる。命、健康に関わることは削っちゃダメ。自戒。
人の評価って、あまり鵜呑みにせず「へーそういう人もいるんだ」くらいに受け取っておくのがいいと思うよ。他人が絶賛していたからといって自分にもアタリとは限らないし、酷評されていたからといって自分にもハズレになるとは限らない。人の言葉で自分の世界の幅を狭めちゃったらもったいないよね
冗談で人を傷つけてしまった時の最適解は「軽い冗談のつもりでしたが、不快にさせてしまい申し訳ございません」であって、「なんだよ笑いのわからない奴だな〜😁あんなの冗談だって(笑)」と開き直るのは一番火に油を注ぐことなんだよなぁ
子どもの頃家の方針でテレビ禁止にされていた友だちが、今親元を離れてYouTuberになっていた…!人間あまりにも制限されると、手を離れた途端反動で真反対にぶっ飛んでいくこともあるんだよなって。ある程度の善悪を教えることは大事だけど、その先必要かどうかを決めていくのは本人なんだよね
何十年も木を育てている人の言葉が胸に響いた 「木は手をつければ手をつけるほど育たなくなる。まして人はもっとそうだ。人もあれこれ指摘してばかりいると萎縮して育たなくなってしまう。だから自由に育てる事が大切だ。誰かが言うからじゃなく自分がやりたいからやるように」 と。本当にそうだよね
自分には理解できない人も馬鹿にはできない。たとえ自分とは全く別の意見だったとしても、馬鹿にしたら衝突しかない。相手の話を受け入れて自分を変える必要はないけど、「なぜそうするのか」「そこに至った背景は何だろうか」って考えるのは大事な事だと思うんだ。無理解は争いを加速させるだけだから
「あの人みたいにがんばろう!」と目標を持つのはいいことだけど、自分とあの人は違うということは理解しておけたらいいよね。キャパも違えば個性も違うし、100%マネできないからって落ち込む必要もない。誰かを目標にするなら「その人の良いところを取り入れよう」くらいでOK。自分の個性も大切にね
何かに取り組む時、自己暗示をかけたい場合は「大丈夫…!!絶対にうまくいくから大丈夫だ…!!」と思うよりも、「大丈夫、失敗しても何があっても挑戦してるだけで花丸10000000点だぞ!生きていれば何とでもなる」って全てを肯定するスタンスをおすすめします🙋
何かができるあなたが大切なんじゃなくて、あなたの存在そのものが大切なんだよ。綺麗事のようだけどついつい忘れてしまったり、「できない自分は価値がない」って勘違いしてしまったりもするよね。晴れの日もあれば雨の日もあるように、人間できる時もあればできない時もあるさ。大切さは変わらないよ
かまわれないと死んじゃう人種はわりと認知されているけど、かまわれ過ぎるとしんどくなっちゃう人種もいるんだよな。お節介をやかれても善意からだとわかってるから断りにくいし、入られたくない領域にズカズカ踏み込まれているのに「してもらっている」側扱いされたり。距離感って難しいけど大事よね
よく部下をけなす上司がいるけど、人ってけなせばけなす程実力がでなくなってしまうんだよね。人は怒られると脳が萎縮してしまうし、「できないやつ」のレッテルを貼られれば無意識にその認識に合わせて振舞ってしまうもの。相手をけなすよりも「いつもありがとう」って、プラスの言葉で人を動かせたら
先日少し疲れていた時に引用RTで「いいこと言うな」ってきたんだけど「いいこと言うなよ(否定)」の意味で捉えてしょんぼりしてた。次の日よく寝てスッキリした後にもう一度みたら「いいこと言うなぁ(感嘆)」の方だったんだなと気がついて、言葉を健全に受け取るには健全な心身が必要なんだなと実感した
できなかったことは「だから自分はダメだ」とか「あの人はできているのに」と否定するほど苦しくなるけれど、認めてやると軽くなる。「今の自分には難しかったね」、「でもできないことがあるのは悪いことじゃない」と認めてあげること。今を認めてこそ「次はどうしよっかな」って未来に繋げられるから
ほんの15分、ただ何もせず好きな音楽をかけ、好きな紅茶を飲んでまったりとする時間。それさえも「もったいない」「何かしなきゃ」と思っていた大学生の頃、結果過労心労でぶっ倒れて2年間ほぼ何もできずに通院するはめになった過去があるので、全人類に適度な休息を全力でおすすめしたいです。。
たまに「医者でも間違った事を言うのか!驚き!」みたいな発言を見かけるけど、職業や肩書きを信用し過ぎてる人って多いよなと。医者や弁護士、マスコミも人間なんだから間違える事もあるし悪意ある人もいる。「じゃあ何を信じればいいの」って言うより何事も正しいかどうか自分で考える事が大切だよね