感情には蓋をしてしまうより、潔く認めてしまった方がずっといい。辛いのに「辛くない」、悲しいのに「悲しくない」、そうやって押し込めた感情は見ないふりをしただけで無くなったわけじゃない。それでいつか溢れてしまうくらいなら、「辛かったんだね」と受けとめてあげた方が安心して消化できるから
人の失敗には寛容になろう。 ついでに自分の失敗も大目に見てあげよう。 失敗から学ぶこともある。 失敗しないと学べないこともある。 失敗したその時は痛いけど、 成長痛くらいに思っておけばいい。 とりかえしがつかない事に思えても 生きていると大体なんとかなるものさ。
自分が自分を責めているから、周りからも責められているように感じる。自分が誰かをバカにしているから、相手からもバカにされているように感じる。世界を透明に見れる人なんていなくて、皆自分というフィルターを通して世界を見ているんだ。自分がやさしくなれば、世界ももう少しやさしく見えるかもね
仕事でも恋愛でも、一番大事なスキルは「相手を尊敬できる能力」だと思う。 仕事で多少敬語が下手でも相手を尊敬する心があればわりと良好な関係を築けるし、敬語でも一切リスペクトを感じない人とはそれまでになる。 恋愛でも好きは冷めるけど、尊敬は冷めない。 付き合ったことないけど。
誰も傷つけずに生きる事はできないよね どんなに気をつけても人は人を傷つけるし、傷つけられて生きていく 悪意がなくても相手を傷つけてしまう事があるのは、自分も相手も同じ事 でも誰も傷つけない事は難しいけど 傷つけてしまったなら謝る事、 傷つけられた時にはきちんと癒す事が大切なんだね
「自分はどうなりたいか」を考えずに「他人から何を望まれているか」ばかり考えると空っぽになってしまう。親や教師の言うこと、上司や社会から望まれること。それを全く聞くなとは言わないけれど、他人の声を自分のものだと勘違いして生きないこと。線引きができなくなると自分がなくなってしまうから
親しい人にまで弱みを隠して強がる人がいるけれど。きっと相手は、あなたが強いから友だちになったわけじゃない。一緒にふざけて、くだらないことをして、時には喧嘩もして「このやろう」と思うこともあったけど。それでも今も友だちならば、きっとそういうことなんだろう。強いも弱いも関係ないよ。
機能不全家庭で育った人、自分はアダルトチルドレンかな、という人。たとえどんなに自信がなくても、今生きている事が一番すごい事だよ。子どもは大人に守られて育つもの、それでも周りに頼れる人がいなくたって必死に今まで生きてきたんだから、ものすごい事じゃないか。生きている事が一番の価値だ。
「頑張ったけどダメだった」 「できている人と比べて落ち込んでしまう」 「自分は落ちこぼれなんだ」 そうか〜 君はストイックだもんな〜 結果に満足できないのはその分頑張った証拠だし、挑戦しない人はできている人とも比べない 上手くいかないのは辛いけど、もがきは全て君の努力と挑戦の勲章だよ
怒りのコントロールって大事 頭にカーッと血がのぼった時ほど 「この人に怒っても仕方ないよな」 「自分を責めても変わらないな」 と心にひと声かけてみよう 相手も立場上仕方なかったり 状況環境タイミング、 人にはどうしようもない問題も沢山ある 怒りに振り回されると 自分が疲れちゃうからね
自分も辛い経験をした人が「でも私は乗り越えられたから今苦しんでいる人は皆甘え」って言うのは残酷だよね。同じ境遇でも辛さの尺度は人それぞれだし、それを支えてくれる存在が傍にいるのかいないのかでも大きく違ってくるのに。乗り越えられたなら、今苦しむ人を叩くより手を差し伸べられた方がいい
人がどんなに忠告しても、自分で転ばなきゃわからない人っている。 だから、そんな人に出会ったら「本人が死なない程度に痛い目みて学べますように」と祈るくらいで大丈夫。 誰が止めてもその道が正しいなら祝福されるだろうし、自分が相手を何とかしようと根詰めないことが大事。
自分の弱さに向き合える ってすごいこと ただし、向き合ったからといって すぐに解決できるとは限らない 向き合うまでにも葛藤があって 向き合ってからもひと悶着、 ふた悶着、何十悶着とあって なんやかんやをやっと乗り越えて 進んでいくもんなんだ 焦りは禁物、 まず向き合った事が大きいんだよ
落ち込むことがあった時は、「自分はダメ人間だから」じゃなくて「今はそういう時だから」と思えばいいよ。 どんなに立派な人でも間違えることがあるし、失敗して落胆することもある。 たとえ極悪人でも良いことをすることがあるし、幸せだと思うこともある。 気分や失敗で人の価値は変わらないよ。
人は自分が思っているほど余裕がない。みんな自分の人生で手一杯で、他人を見ている余裕なんてないんだ。誰がミスしたとか、ちょっと変わってるとか、少し気にしたところで明日には忘れてしまうもの。つまらないことですぐ口出しする人は暇人なだけ。自分の人生に一生懸命な人には誰かを貶す時間もない
生まれたての雛鳥は最初に見たものを親だと思い込むように 子供の頃に聞いた話は、たとえ嘘や非正論でもその人の基準として刷り込まれる 「お前はダメな子だ」 「こんなこともできないの」 否定的な言葉は否定的な価値観を育てる けれども親がしてくれなかった事は、自分が自分にする事で克服できる
子供の頃周りの大人に頼れない環境で生きてきた人は、大人になっても「頼る」という選択を持ちにくくなる。頼るのが苦手というのはまだいい方で、そもそも頼る事を思いつかなくなってしまうのが一番恐ろしい事。大人になってからでもいい、自分でどうにもならない時には「頼る」という選択を持てたら。
どんな人だって波はあるものだ。健康な人も鋼メンタルな人も落ち込むことはある。よくできる日もあれば何もしたくない日もある。そんな時は「今日はダメな日だ」と思わずに「今日は充電の日だな」と思えばいいんだ。「なんでできないの〜」と落胆せずに「今は備えよう」と割り切れば過ごしやすくなるよ
できないことまで「できる、できる」と暗示をかけると負担になる でも何でもかんでも「できない、できない」と思っていても辛くなる 「やってみたらできるかもしれない」 「できなくても死にはしない」 「できなかったら次の経験値にしよう」 言葉のかけ方を変えるだけで 人生楽になるんだなぁ〜
できない人に「なんでできないんだ!」と怒っても仕方ない。 「なんでお前は背が低いんだ!」と怒ったら無意味で「そこの踏み台を使えばいいよ」と教えれば解決する。 感情のままに責めるよりも、「どうしてできないのか?」「どうしたらできるのか?」を考えてあげる事は自分にも他人にも大切だよね。
日本では当たり前だと思っている事が世界から見たら恵まれている事だったり、日本では常識だと思い込んでいる事が世界では非常識だったり。 ウチの当たり前がヨソでもそうだとは限らないし、自分が見ている社会は世界の一部に過ぎない。 まだ知らない世界は沢山あって、生きていく場所は多様にある。
人の痛みと自分の痛みは比べられない。 「自分はもっとつらかった」 「それくらいなんでもない」 と言ったって、痛みも耐久度もそれぞれなんだ。 100%わかってあげたくてもできないし。 きっと私たちにできるのは1%の理解と、補う分の尊重と思いやりくらい。 完璧じゃなくても、その心が大事なんだね。
「がんばらない」=「サボる/怠ける」とは限らない。まだできる力はあるけど、これ以上やったらキャパ超えちゃうな…って時は、がんばらない選択をするのも賢いこと。ついがんばりすぎちゃう人は、「がんばれない」になる前に「がんばらない」を意識するようになれば大成長だよね。
何かに挑戦する時、「失敗したらどうしよう」じゃなくて「失敗はするもの」と考えたらいい。 失敗は90%するもの。しなければすごいけど、しても悪いことじゃない。 とりあえずやってみて、失敗して、次への手応えを感じたならまた挑戦すればいいし、これは違うなと思えば別のことをやればいいんだよ。
自分を責めるより、自分をほめて生きていこう。 人を貶すより、人を応援して生きていこう。 泣くな、責めるな、人を恨まず愚痴も悪口も一切言うなってわけでもない。 泣いてもいい、責めてもいいけど、泣く必要も責める事もない場面でまでそうするな。 人に対しても同じこと。 笑いながら生きよう。