自分が嫌いでも、自分とは一生つきあっていかなきゃならない。それなら「嫌いだから」と背を向け続けるより、足りない部分は「そんなとこもあるよね」と受け止め、できた部分は「いいとこもあるじゃん」って認めてあげた方がいい。時には休ませてあげて、機嫌もとってあげて上手くつきあえたらいいよね
味が嫌いで体にも良くないものを食べるより 自分が好きで健康にも良いものを食べる方がいいように 気にくわない人の事をグルグルネチネチ考えて病むくらいなら 好きな人や好きな物を考えて幸せに過ごす方がずっといいよね 体は食べるものによって作られるように 考えは考えた通りに作られていくから
最近特に思うけど、全人類に必要な能力は「助けて」を言う能力。ヘルプの声に「そんなこともできないの」とか「恥ずかしい」とか、何も言うな考えるな。勇気を持って助けを求める声を押し潰すな。芽が出る前から摘もうとするな。できない時には助けを求めて、助けてもらった分誰かを助けてやればいいよ
昔、「人に悪く思われるのが怖い」といってメソメソしていた頃、お世話になっていた先輩がYouTubeで世界的ピアノ奏者の演奏を紹介してくれて「こんな素晴らしい演奏でも低評価がついているでしょ?ケチつける人は誰にでもケチつけるんだから気にしなくていいのよ」と。それからちょっと心が軽くなった
「どんな仕事をするか」と同じくらい、「どんな人と働くか」って大事なんだよなぁ。どんなに好きなことでも嫌な人と一緒にやるとなると苦しいし、多少しんどい仕事でも好きな人とやると苦しくない。嫌いな人と食べる高級料理より、好きな人と食べる塩むすびがおいしいのと一緒
「もっとつらい人がいる」って言葉は、あんまり好きじゃない。 「つらい」に大きいも小さいもなくて、みんなそれぞれ、もがいているからさ。 できれば人や自分のつらさを比較しないで、一人一人のもがきを認めて、向き合っていけたら。
「自分に厳しく他人に優しく」って言うけど、自分に厳しいと無意識に他人にも厳しくなってしまうんだよね。「自分は我慢しているのになんで」とか「あいつだけズルい」とか。不平等な優しさ、犠牲になる優しさよりも、お互いがハッピーでいられる優しさでいいんじゃないかな。自分にも他人にも優しくね
悪口を言うメリット ・一時的にスッキリする 悪口を言うデメリット ・周りから「悪口を言っている人」という目で見られる ・反撃があるとスッキリした以上のストレスがかかる ・相手が想像以上の苦痛を受けて命に手をかけたら責任取れない デメリットが大きすぎて あえて言うものでもないなぁとなる
色々あった家庭で育った身としては、子どもの頃町で両親と笑いながら手を繋いで歩く別の子とかを見ると正直切なかった。 でもこの間知人の子どものお誕生日会で、プレゼントもらって照れ笑いしてる子どもたちを見て、ほんとかわいいなぁ幸せになれよと思えた時大人になったなぁと実感した。
自分が嫌いなものでも、それを好きな人がいる。もし自分の大切な人がそれを好きだったとして、目の前で「嫌い」と言ったらきっと悲しい顔をする。だから好きなものはドシバシ宣言するけど、嫌いなものはあえて言ったりしない。誰だって自分の推しをけなされたら辛いもんね。私はペンギンが大好きです🐧
おはようございます🌞 なんとなんと…!! いよいよ来年から、尿検査でガンを発見できるようになるみたいですね(๑°ㅁ°๑)‼ しかも検知率は90%、費用も1万円弱、痛み無しと…! 日本はガンで亡くなる人が一番多いのに検診率は30%…そんな現状に希望となるニュースですね(*^^*) 今日も素敵な一日を🐧🍀
子どもの頃は毎日「生きてるだけでごめんなさい…」と思っていた自分が、今は歯を磨くだけで「偉い…!」お風呂入るだけで「すばらしい…!」ってわりとガチトーンで自画自賛しながら生きてるので、人ってほんと変えられるんだなと思います。自分にどんな言葉をかけて生きるかって大切よね。
だれかに嫌なことを言われた時は、「嫌な人だな」じゃなくて「嫌な時なんだな」と思えばいいよ。生きてれば何言われても気分が優れないことだってあるじゃない。事実かどうかはさておき、相手が今そんな時なんだなと思えば「よし、今関わらんどこ」って余計な衝突が避けられるからおすすめ。
以前、何気なく聞こえた 「自分にはまだできないけど、素敵だと思う」 という言葉、とても尊いと感じた。 「自分にはできない、だからできる奴が憎い」とか「自分にはできない、だから無駄だ」ではなくて、 自分ができる・できないに関わらず素敵だと思ったものは素敵だと認められる感性は尊いなと
枠から外れて自信を持って。 日本人はとても綺麗に整列できるけど、枠から外れることは中々できない。 べつにいい。失敗してもいい。一度ショックでも受けたらいい。 人に迷惑かけるとか、法の枠から外れたことじゃなければ、こんな同調圧力突き破ってもいいんだ。 同じ顔でなく自分の顔して生きよう。
本当につらい時に冷たくされたことは多分一生忘れられないし、苦しい時やさしくしてもらったことも普段の100倍くらいの強度で覚えてる。人の印象って、ハッピーな時のことよりつらい時の方が記憶に残るものよね。逆境の時こそ本質が出る、ともいえるかもしれない。
小学生の時目つきの悪い子がいて、別の子に「○○君ってよく目を細めてるよね〜笑」と言ったら「あいつ視力が悪いからそうしてるんだよ」と返されて物凄く恥ずかしくなった。知らないって怖い。知らないのにネタにした自分の非礼さがもっと怖い。以来よく知らない事はネタにしなくなったけど多分正解。
「この人の言うことなら絶対!」 なんてありえない。 地位や肩書きがあるから、有名人だから、フォロワーの数が多いからって正しいとは限らない。 昨日まで褒められてた人が今日にも狂うこともある。 たとえどんなに付き合いのある人でもそれは同じ。 間違ってもいいから自分の意見を持つことが大事。
人に優しくありたいな、と思っても、自分に余裕がないと難しいよなとも思うのです。 機嫌がいい時にお願いされたら快く受けられるけど、自分がバタバタしている時や疲れた時に言われると「ちょっと後にして!」ってなるのも当たり前で。 人に優しくする第一歩は、自分に優しくする事からかもしれないね
やっぱり落ち込んでる時に必要なのは「そんなんじゃダメだ!」という叱責より「それでもがんばってきたじゃない!すごいすごい!」ってまず認めることなんだな。たとえ足りなかったとしても努力したことは事実だし、全てを否定しちゃ苦しくて前に進めない。弱さも努力も認めること。自分にも、他人にも
失敗したらやり直せばいい。汚れたら洗えばいい。できないことがあるなら他のことをがんばればいい。できなかった過去を悔やむ時間もあっていいけれど、そこに溺れて今できることまで見失ったらもったいないんだ。時間は止まってくれないけれど、いつも新しい今を運んできてくれるから。
先日少し疲れていた時に引用RTで「いいこと言うな」ってきたんだけど「いいこと言うなよ(否定)」の意味で捉えてしょんぼりしてた。次の日よく寝てスッキリした後にもう一度みたら「いいこと言うなぁ(感嘆)」の方だったんだなと気がついて、言葉を健全に受け取るには健全な心身が必要なんだなと実感した
「あたりまえ」と思った瞬間、大切なものも大切に見えなくなってしまう。家族も、友だちも、大切な人もそう。「今さら失うはずもない」と思うと大切にできなくなって、大切にできなくなるといつの間にか手からこぼれ落ちてしまうもの。大事なものがそばにあることは、決してあたりまえじゃないんだね。
100人がほめてくれても1人に悪口を言われたらその1人が気になってしまうのが人間だけど、わざわざ相手に悪意を伝えてくる人って意外と希少種なので、1人に悪口を言われたら実は100人くらいは私のこと好いてくれてるんだな、くらいに図太いメンタルで生きればいいと思うの
コロナの影響で「体調不良でも出勤」がどれほどマズいのか浸透してほしいな… 必ずしも本人だけの問題じゃなくて、「出勤しないと経済的に苦しい」とか、「休んだら人手が足りない」とか原因は様々だけども、これを機に全職場環境や「無理して働くのが美徳」の価値観も変わったらいいなぁ…