教師が不祥事を起こすと 「最近の教師はヤバい奴ばかり」 警察絡みの問題があると 「やっぱり警察は信用ならない」 若い世代の事件には 「ゆとり世代はうんたら〜」 高齢者の事件には 「老害はかんたら〜」 ってシリーズの発言をみるたび、 腐った木を見て森を見た気になるのはやめようぜと思う。
私の母はアルコール依存症で昔はすったもんだあったけど、娘を愛してくれる母だった。足りない所もあったけど、そんな母が好きだった。 でも、母が生前口癖のように「こんなダメなお母さんでごめんね」って言うのは嫌だった。 謝ってほしいんじゃない、これから楽しい思い出を一緒に作っていこうって。
承認欲求を満たすために人助けをする人は、相手が願った反応を返さないと腹を立てる。 「してやったのになんだ」「やって損した」あるいは「こんな奴にもしてあげた自分」に酔いしれる。 でも本気で誰かを救おうとする人は、泥を被ってでも相手を守る。 誰に理解されなくともその人の幸せを願うんだ。
いじめてる側が1だと思ってしてることは、いじめられてる側からは1000として受け取られてる。 「そんなつもりなかった」は通用しない。 いじめの定義は加害者が決めるものでも周りの大人たちが決めるものでもなく、いじめられた被害者だ。 本当の主導権を持っているのはされた側だよ。
努力は誇ってもいいけど、人を貶す材料にしちゃいけないよ。 「こんなにがんばって○○ができた!」 「すごい!えらい!」 とかならどんどこ言っていいけど、 「○○もできない人はダメ」 「努力が足りない」 なんて言えば、かえって品位が下がる。 世の中にはやらない人・できない人もいて当たり前
ショックな出来事に遭遇した時、それがトラウマになってしまうPTSDは有名だけど、それをきっかけにポジティブな変化をするPTSG(心的外傷後ストレス成長)は意外と知られていない。バカにされた経験をバネに成功したとか人に優しくなれたとか。過去は変えられないけど、どんな未来に繋げるかは変えられる
自己肯定感が低いと何も言われていないのに周りから嫌われているように感じたり、もう過ぎたことを何度もフラッシュバックしては自分を責めてしまったりする。結局、自分で自分を許さないことが一番つらいんだ。全てを許せなくても、自分にかける言葉を「ダメだ」から「大丈夫」に変えてあげられたら。
日本で言う「タンスの角に足の小指ぶつけろ!」は、英語では「裸足でレゴ踏め!」だと聞いて腹抱えて笑ったんだけど、なんかこのシリーズで新作作れないかなと模索した結果「自分で自分のギャグを解説しろ!」を一時採用したいと思います。新しい案、どしどし募集中です(平和な悪口かわいくてすこ…)
大人が子どもにできることって、「あれダメ!これダメ!」「あれしなさい!これしなさい!」って縛ることじゃなくて、「世界にはこんな可能性もあんな可能性もある」「もしきみが失敗した時には俺たちが支えてやるから心配するな。やりたいことをきみが選べ」って背中を押すことじゃないかな、と。
ある夏の日、母と数ヶ月ぶりに会った。 「体調は大丈夫?」 「何か食べたいものは?」 「これお土産に」 次から次に色んなものを持たされて、お金もないはずなのに、人生で一番母親らしくしてもらって。 1ヶ月後に、母は倒れた。 最後の時になるとは思わなかった。 後悔ない別れほど難しいものはない
「この人怖いな〜」と思ってた人が話してみたら案外いい人だったり、「この人めっちゃ素敵〜!」と思ってた人がどクズ野郎なこともある。 相手を見かけで判断したり決めつけるのは楽だけど、人間ってほんと接してみないとわからないよね。 確認してこそ騙されないし、接してみてこそ世界が広がっていく
べつに嫌いな人っていてもいいと思うんだけど、個人的には「嫌い」と考えると気分が悪いから「自分には合わない人」と思うことにしてる。相手が悪いとか自分が正しいとかじゃなくて、ただ自分には合わないだけ。相手を否定する必要もないのですごく楽。おすすめ。
痛みは隠すより、逃げるより、戦うよりも、認めてあげる事が大切 今、目の前で怪我をした人がいるのに、「痛くない痛くない」と目を覆っても治らない 「何も知らない」と見ないふりしても残酷で、「そのくらい何とかしろ!」と言っても辛いだけだ 「そっか、痛いんだね」と認めてこそ治療できる
慣れない職場は慣れるまで踏ん張ってみてもいいけど、合わない職場は転職検討してもいい。「お前ここでやっていけないなら他でもダメだぞ!」とか言われても「いやあなた日本だけで420万企業ありますけど全部内容知ってるん?」って感じだし、まして人権踏みにじる職場なら待ったナシ。
休む時は「仕方なく」「申し訳なく」休むんじゃなくて、「せっかくなら満喫するぞ」と思って休んだ方がいいよ。罪悪感や中途半端な気持ちで休むと充電力も半減しちゃうから。満喫といっても無理して有意義に過ごそうとしないで、いつもよりちょっと美味しいものを食べてよく睡眠を取るのでもえらいぞ◎
わからない事が恥ずかしいのではなく、わからない事を認められない事が恥だ。知ったかぶりして、知ろうともしない事が恥だ。何年生きたって、わからない事は沢山ある。わかった気になって、実は知らない事も沢山ある。自分はこういう人、あの人はあんな人だと決めつけた瞬間から世界は狭くなる。
好きなものは誰が否定しても好きでいいんだよ 自分が大切にしているものを 「バカらしい」「それ嫌い」と言ってくる人もいる でも、それがなんだっていうんだ 誰もが好き嫌いを持っているのは当たり前 それをわざわざ他人に口出しする暇人につき合うくらいなら、 その時間好きなものに使う方がいい
過去に散々「お前のせいだ」と言われて育った人は、何でもかんでも自分のせいにして生きる癖がつく。 たまに友人に「ごめん」と言うと「え?何が?」と全然気にされていない事もあれば、逆に突然謝られて「別にいいのに」と驚く事もある。 過剰な自己否定に気づいたら、少しずつ直していけばいいよね。
誰かを許す事も大切だけど、 自分を許す事も大事だよ タイミングが悪かった 状況環境が悪かった 相手にも都合があった… そんな自分にはどうしようもなかった事まで 自分のせいにはしていないのか 何もかもを思い通りにできないのは当たり前 自分の分だけ潔く反省して、 次に繋げられたらいいよね
つかれたら休む、そんな当たり前のことに罪悪感を感じてしまうなら、「また走るために休もう」と思えばいいよ。“休む=怠け”じゃなくて、“休む=充電”と考え方を転換してみること。充電しないまま使えるスマホはないし、給油しないまま走り続ける車もない。自分もおんなじなんだ。
5月に結婚予定だった友だちから「明日空いてる?」ってLINEきて、くだらない内容なら断ろうと「何かあったの?」と返信したら「結婚やめた」と返ってきてこれはくだらなくないやつだ…!!と心配して会いに行ったら「でね、新しい彼の写真がコレで〜!」と惚気話をされてメロスは激怒した。
自分を嫌う人のために自分を変える必要はない。「嫌われないようにしなきゃ」なんて会う人会う人の要望全てに応えて自分を変えていたら、本当の自分がどこにもいなくなってしまうから。変わりたいなら誰かのための自分じゃなくて、もっと自分らしく素敵になるために変わればいいんだよ。
結局一番しんどい人間関係って嫌な時にも「大丈夫だよ〜!」とか「全然〜!」とか言わなくちゃいけない関係で、一番居心地がいいのは1%でも嫌な時はちゃんと「それは嫌」って気兼ねなく言える関係だな、と思った。自分も言える人でありたいし、言ってもらえる人になりたいよね
拙者、休むの苦手侍だったので「もっと頑張ってる人もいるんだ!」とか「私も怠けてられない!」とか言って毎日AM3時起き毎食5分で終わらせて、ドライヤーや歯磨きしながらもテキスト読んで、睡眠も削りに削ってたら案の定倒れたのでござる。治すのに約2年。お金も時間もかかった。健康が一番効率的
これは忠告なんだけど、 ・好きなものを食べても美味しいと感じない ・好きなことをしても楽しいと感じない ・好きな映画を観ても感動しない ・好きな人といても嬉しくない と、情緒が死に始めた時はメンタルの限界サインです。 好きを楽しめなくなったらしっかり休息をとるか病院に行こう