真面目な人ほど何でもかんでも自分のせいにしがちだけど、全部が全部自己責任で解決できるほど世の中単純にできてない。運もあるし、タイミングもあるし、相手の都合もその時の気分や環境も色々ある。自分は自分にできる事をやる、それでダメならそれはそれ。できない事まで抱え込まなくたっていいんだ
「うちの子が感染したら困るから医療関係者の子を保育園に預けさせないで下さい」って言う人、じゃあもしその大事なあなたの子がどこかで感染したら、誰が治療してくれるんですかという話。コロナが怖いのは分かるけど、今現場で死ぬほど尽力している方々への敬意を忘れちゃダメだ。差別と警戒は別物。
「この人のためにがんばろう」って思える存在が一人いるだけで人生は変わる。べつに命までかけなくても、笑ってほしいな、悲しませたくないな、幸せでいてくれたら嬉しいなって思えるだけでいいんだ。その心ひとつあれば間違った道も踏みとどまれるし、つらい時も諦めない力になってくれるから
人には段階に応じた目標がある。 もし生まれたばかりの赤ちゃんに「100m走りなさい」と言ったら無理な話で、赤ちゃんは寝て起きてハイハイができたら十分よく出来ていること。 小学生、中学生、高校生、大学生、成人後だって人にはそれぞれ段階があるから、無理な完璧は押しつけないのがいいよね。
人を避ければ避けるほど人が怖くなるし、人と接すれば接するほど人は怖くなくなる。私は周りと違う事が怖くて、誰かに否定される事が怖かったけど、父に引きずられてったカラオケスナックでアニソンを熱唱し続ける裸足のおっちゃんに出会い「あ、世の中自分以外にも変な人いるんだな」って楽になった。
今一番怖い事は自分がコロナに罹る事よりも、自分が無症状なだけで実は感染していて他の人に移してしまう可能性。だから自粛疲れした友人に会おうと言われても断ったし、今週予定していた帰省も中止した。会いたいけど万が一でも自分のせいで大切な人を失えば後悔してもしきれない。大切だから耐えよう
普段問題ばかり起こす不良がたまにいいことをしてほめられるのはいいんだけど(むしろそれも大事だと思うんだけど)、いつも真面目な人が一度間違えただけで「そんな人だと思わなかった」とかボロボロに責めるのはやめようよ。失敗に不寛容な社会が作るのは、失敗のない社会じゃなくて失敗を隠す社会だ。
承認欲求を満たすために寝る間も惜しんで勉強して学年一位になった経験があるのだけど、「一番になれば認められるはず」がそのうち「一番でなければ認められない」という恐怖に塗り替えられてしまったので、肩書きで自分を満たそうとするのはやめた方がいいと痛感した
できない事があると 「もう25歳なのにこんな事もできないなんて…」 と落ち込むんだけど、 おばあちゃんにそれ言うと 「あんたまだ25歳じゃないの〜」 って返されるし、 多分60歳とかになってもできない事は沢山あって、 100歳の先輩にしてみれば 「まだ60歳じゃろ〜ほっほっほ」 って感じなんだろな
お前が嫌いなものは嫌いなままでいい。 ただし、それが好きな人を否定するな。 奪おうとするな。 「自分が」嫌いなものを、 「教育に悪い」 「公共の利益に反している」って すり替えて潰そうとするのやめようなんだぜ。
自己肯定感がドン底だった私から言わせてもらうと、自分を大事にできるようになってきてから人も大事にできるようになりました。自分に厳しかった時は人を見ても「私は我慢しているのにあの人はずるい」と思ってしまったし、自分の為に紅茶を淹れられるようになってから人に淹れる方法がわかったなって
お腹を痛めて産んだから母親、ではない。 料理上手だから、家事育児が完璧だから母親でもない。 無痛分娩でも母親だし、血が繋がってなくても母親で、料理が下手でも、家事が不得意でも母親は母親だ。 病気でしてあげたくてもできない立場の人もいる。 ただ子供に愛をもって向き合ってくれれば母親だ。
悪意のない言葉が悪意あるように聞こえちゃう時は、つかれてるんだよね。 そんな自分が悪いって言うんじゃなくて、そんな時もあるよねって思えばいい。 つかれること、誤解することは誰でもある。 苦しいのに自分を責めたらもっと辛くなるから、よしよし少し休もうねって優しくしてあげたらいいよ。
誰かを叩ける人は、 自分と関係ないと思っているから。 もし自分が病気なら同じ病の人を 「怠けだ」「甘えだ」と叩けないし、 賢い人は 「いつ自分や大切な人に同じ事が起こるかわからない」 と知っているから叩かない。 人に優しくした事も厳しくした事も いつか自分にかえってくるんだよね。
「がんばれ」って言葉は、まだ頑張れる人にかける言葉であって、もう頑張れない人に言うものじゃない。そしてその人がまだ頑張れる人なのか今は頑張れない人なのかを決めるのは、他人ではなくその人自身だ。同じ言葉でも前者には背中を押す力になるし、後者には胸を刺すナイフになる。
上手くいかなくてよかったことも沢山ある。 高校受験に失敗して、第2志望の学校で親友ができた。 病気で倒れて、休むことの大切さを知った。 新卒ブラック企業で、健康と命以上に大切な仕事はないと知った。 上手くいっていたら学べなかったこと、出会えなかった人たちも自分の宝物だ。
私が適応障害だった時、「薬なんて使わない方がいいよ!病気だって思うから病気になっているだけだよ!」と言っていた友達が5年後自身も適応障害になっていた。「こんなにつらいと思わなかった…あの時力になれなくてごめんね」と言われて、人生いつ他人事が自分事になるかわからないんだなと実感した
それぞれ我慢してきたことがある。 辛かった。大変だった。頑張った。 でも、もし今その我慢がもう必要ないものなら、人には押しつけちゃいけない。 「俺の時代はこんなに大変だった!」 「アタシはこんなに苦労してきたのに!」 時代は変わる。 過去を押しつけるより、今を良くする方がずっといい。
私が初めてメイクをしたのは、尊敬する人の為だった。 それまでずっとお洒落なんて興味なくて、いつも親戚のお古か、黒とかグレーの目立たない服ばかり着てた。 でも大切な人に出会って、その人の隣を歩くことを考えたら、恥をかかせちゃいけないと思った。 誰かを大切にする心は自分を綺麗にする。
Twitterとかやってるとさ、 思いがけずドギツイ意見に出くわす事ってあるでしょ 意見というか もはや呪いのような暴言とか そんな言葉に出会った時には 「この意見が全てじゃない」 と一言はっきり思う事が大切 人は99の賞賛より1の悪口が大きく聞こえるもの そのちっぽけな1を飲み込まないようにね
メンタルを健康に保つにはある程度のスルースキルが大事。他人の言葉や感情に振り回されず、期待を押し付けず、「なんであの人は」ではなく「そういうもの」としての割り切りを持つこと。でもこれが行き過ぎると何されても無感情・無関心・無気力に陥った人間で社会がディストピアになるので痛みも大事
人は知らないから残酷になれる。 相手の努力ともがきを知らないから「才能ある人は羨ましい」なんて言えるし、悩みと葛藤を知らないから「お前は気楽そうでいい」なんて言ってしまう。 もがきのない人は一人もいないし、誰が大きい小さいもない。 みんながそれぞれ闘って生きてる事を大事にできたら。
最近ごっそりと落ち込んで「私は何もできていない」「こんなんじゃダメだ」とか悶々としてたんだけど、友人に話したら返ってきた衝撃の言葉。 友人「え?でもあんたTwitterやってるじゃん。すごいよ」 _人人人人人人人人人人人人_   >Twitterやってるってすごい<    ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
嫌いなものは嫌いでいいんだよ。 でも、それが好きな人にまで 「嫌い」を押しつけないこと。 受け入れる必要はないけど、 否定しないこと。 そして嫌いなものだけど ちょっと良い一面が見えた時には、 「なんだ良いとこもあったのか」 と心変わりできる柔軟さを持てたなら 人生豊かになるかもね。
人の命よりお金が大事な人たちのためにあえて嫌な言い方するけど、人は金の成る木だよ。 ちゃんと食わせてちゃんと育てて才能も伸ばして能力発揮できる環境さえ整えてやれば、バリバリ素晴らしい文化も経済も作っていける。 そんな黄金の種にかける水と肥料をケチってたら世界は腐るよ。