めちゃめちゃ気を使ってくれる人にはこっちもめちゃめちゃ気を使ってしまうし、いい意味で気を使わない友人にはお互い気を使わないでいられるので楽。関係性もある。「この人のココは踏み越えちゃだめ」って分かってるからこそ自由にできるのであって、知らない相手に自由を振りかざすと地獄を見るよね
毎日気分次第で生きることはできないけれど、理論じゃわからない気分や直感も大事よね。なんとなくやだな、やりたくないな〜と思ってたことがやらなくて大正解だったり、大きな事故を避けることに繋がってたり。自分の感覚を押しつぶして生きるのって、やっぱりもったいないなと。繊細さも長所だよね。
「警戒」は、コロナに気をつけて手洗いうがいを徹底すること。不要不急の外出を控えて感染リスクを下げること。 「差別」は、コロナ=医療従事者・○○人等、特定の人をウイルスのように扱うこと。 コロナを警戒しているつもりで、誰かをウイルス扱いして差別することがないようにしたいよね。
「誰かのため」と「誰かのいいなり」は全く違う。 「誰かのため」は自分が好きですること。 「誰かのいいなり」は自分の意思なくすることだ。 でもね時々「誰かのため」って言葉を使って、他人を「いいなり」にさせる人がいる。 自分は後者にさせられていないのか。 騙されず気づけるようにしたいね。
本当は頑張れるのに頑張らない理由を作ってるなら、それは言い訳。 でも、本当はもう頑張れないのに「こんなの甘えだ」「言い訳してる場合じゃない」って考えるのは違う。それは言い訳じゃない。 でも多分日本にはこの考えの人が多いし、自分だけじゃなくて人にも押し付けがちだから気をつけないとね。
何かを止めたい時は「これはダメこれはダメ」って思い過ぎるとかえってやりたくなるのが人間なので、「これはやらなくてもいいもの」「今は必要じゃないもの」くらいに思っとくのが丁度いいかも。自分をコントロールしたい時は必ずしも理詰めじゃなくて、自分が従いやすい言葉選びをしてあげるのも大事
もし自分の大切な人が「本当は辛い」と話してくれたら、なんて声をかけるだろうか。 「弱音を吐くな!もっと頑張れ!」なんて言うだろうか。 それなのに、自分の心が「苦しい」と呟けば、同じようなことを言ってはいないのか。 人にかけるその優しさを、自分にも分けてあげたっていいんじゃないかな。
できなかった1つを見て、全てを決めつけないこと。 失敗したことは反省して次にいかせばいい。謝る人がいるなら謝って償えばいい。 でも失敗したことで自分の価値まで傷ついたりはしないんだ。 子どもが水をこぼしたからって、その子が無価値になったりはしないでしょう。 命の価値は変わらないから。
クリエイターにとっての創作物は絵でも歌でも文章でも何にせよお腹を痛めて生んだわが子と同然なので、貶されれば「おたくの子、ブサイクですね」って言われるくらいショック(or激おこ)だし、褒められれば「お子さんめちゃめちゃにかわいいですね!」って言われるくらい喜んじゃうんだよね。
1回目やってみて全くダメだったことも、2回目やってみると少し感覚が掴めてくる。3回目、4回目には手応えが感じられてきて、5回目にはできる希望が見えてくる。6回目、8回目、10回目…それぞれ差はあるけれど、繰り返すうちに「できなかった」ことが「できるようになる」ことは沢山あるよね。
大切な人には、 「大丈夫だよ」って言われるより、 「助けて」って言ってほしい。 心配させたくないなんて、思ってほしくない。 ひとりで抱え込ませるくらいなら、迷惑でも心配でもかけてほしい。 これって余計なお世話かな。 でもひとりじゃ潰れてしまうなら、その荷物、片方くらいは持たせておくれ。
できることなら、誰にも嫌われたくない 。 できることなら、誰にも傷つけられたくない。 けれども。 誰にも嫌われない人は、誰にも好かれない人。 傷つけられる覚悟のない人は、誰も救えない人になる。 嫌われること傷つけられることを恐れていたら、自分を必要としてくれる人まで恐れてしまうから。
諦めって使いどころが肝心だよね。 生きることとか命に関することは 諦める前にちょっとストップね〜 と意地汚さが大事だけど、 行っても落とし穴しかない道を 「絶対に諦めない!」 と突き進むのはまた別の話。 ゴールを間違えてるなら 潔く来た道を引き返すことも大切。
折れない人になるには、柔軟さが必要だ。 自分の芯があるのは、とてもとてもいいんだけれど。 「絶対にこうあるべきだ」 「こうしてはならない」と、 こだわりや固定概念が強い人ほど、いざという時にはボキッといってしまうから。 竹のようにしなやかに、やわらかく折れない人でありたいね。
「お前に何ができるんだ」 「お前にはできない」 「お前は一生そのままだ」 あら、そうですか。 ところで、はじめから100%できると分かってることだけやる人生って、楽しいかな。 「難しい」「不可能だ」と言われていることに挑戦してみてこそ、人生面白いんじゃないか。
何かを始める時、 中々第一歩が踏み出せない人は、 「よーし!やるぞー!!」 と気合いを入れてからやるより、 「やってみるか〜」 と肩の力を抜いてやる方がいい。 やってどうなるか心配なら、 「大丈夫、絶対上手くいく!」 と考えるより、 「大丈夫、失敗してもなんとかなる」 と思った方がいい。
病気を治すことや体質を変えることは、一朝一夕ではできない。 だから焦らず、じっくりやれば大丈夫だ。 必要な時間は、人それぞれ。 誰と比べることもなく、自分のペースでやればいい。 治療する期間は、治すことが仕事だ。 それを怠けだなんだと言う人は、気にするな。 やるべきことは人それぞれだ。
手は作ろうと思っても作れない。 足は作ろうと思っても作れない。 心臓だって人の手では完全に作れないし、一度失ったら同じ命も作れない。 何ができるとかできないとか関係なく、一つしかない命は生まれた瞬間から貴重なのに、辛い時はそんなことさえ見失ってしまうんだよね。 私もあなたも貴重なんだ
“絶対にやらなければならない事”じゃない事ができない時は、気にしなくていいよ。 “絶対にやらなければならない事”ができない時も、落ち込まなくたっていい。 できない時は「自分が弱いから」できないと思わずに、“まだ”経験不足でできないんだと思えばいい。 その分学んで挑戦してみたらいいんだよ。
お節介にも2種類ある。 ①本当に相手を思いやった上で、自分なりに力になろうとする人 ②実は相手なんてどうでも良くて、ただ自分の善意と幸福論を押し付けたいだけの人 前者はたとえお節介でもその気持ちには感謝したいし、後者には「あなたのため」なんて言われても騙されないようにしたいよね。
落ち込むことがあったなら 落ち込んだ分の2倍は楽しい時間を作ること 自分を責めてしまったなら 責めた分の3倍は褒めてあげること それさえ負担に感じる時には 充電100%になるようしっかり休んであげること 0%じゃ何もできなくてあたりまえ 何をするにも充電が大切だよ amazon.co.jp/%E4%BD%95%E3%8…
忍耐は美徳。でも、我慢して潰れるくらいなら人に頼った方がずっといいよ。潰れたらどうせ嫌でも人の手を借りなきゃいけなくなる。それなら潰れる前に頼っておく方が賢い選択だ。行き過ぎた我慢は「自分はこんなに頑張ってるのに」「あの人はずるい」なんて、人を謙虚より高慢にさせてしまうから。
価値あるものほど、できるまでに時間がかかるもの。 愛情たっぷりの料理に繊細な刺繍の着物や洋服、観る人に様々な解釈を与える絵画に今にも動き出しそうな彫刻、原石から何度も削って磨いたダイヤモンド。 人も、自分も、作るまでには時間がかかるもの。 人生一生、作れば作るほど光る作品作りだ。
もう「○○のくせに」っていうのはやめませんか。 「男のくせに」「女のくせに」「子どものくせに」「親のくせに」。 あれこれと相手の立場や肩書きを問う以前に、みんな誰だって一人の人間じゃないか。 フィルター越しの期待と偏見を押し付けるのはやめて、人と人として認め合えたら。
手が足を羨む必要がないように、自分と他人を比べて羨む必要もないんだ。手には手の役割、足には足の役割があるように、自分と他人の役割は全く個性が別のもの。足がはやいからって手がなくていいわけじゃないように、それぞれの位置だからこそできることがあるんだ。自分にできることを大切にできたら