「あなたって辛いこと何も無さそうだよね〜」 その一言が、どれほど心をえぐるのか。 そう言う人は、笑顔の裏で涙する痛みを知らない人だ。 涙に蓋をしておどけてみせる、痛みと切なさを知らない人だ。 分からない人には分からない。 そのように生きた人だけが、同じ人の心に寄り添うことができる。
本当に親しくなりたい存在がいるなら、自分の弱みは晒さなきゃいけない。 自分の弱いところ足りないところを隠して、良いところカッコつけたところだけを見せようとしている限り、相手も良いところしか見せてくれないから。 信頼して弱みを見せてくれる人には、自分も弱いところを見せられるんだよね。
変えられる欠点と変えられないものがある。 病弱な人がよく鍛えて健康になることもあれば、自分の個性や体質でどう頑張っても変えられないものもあるし、変えない方がいいこともある。 克服できる欠点、変えられないけど上手く付き合っていく弱点、長所に変えて活かせる個性、それぞれ使い分けられたら
倒れたって、いいと思うよ。 一度、二度、三度、四度…何回倒れたって、いいと思う。 そりゃ、一度も倒れずに生きてきた人は強いのかもしれないけれど。 でも、一度倒れたらもっとよく立て直して、二度倒れたらさらによく立て直して。 結局、そうして生きた人の方が、もっと素敵になれると思うんだ。
言うだけタダなので、プラスの願望はどんどん口に出したらいいと思う。 「あ〜世界一周してぇなぁ〜」とか 「億万長者になりてぇなぁ〜」とか 「世界変えてぇなぁ〜」とか。 そしたら、「全部は叶えられなくても、なにかはしてみようかな」って気になるじゃん。 言う前から諦めるよりずっといいよ。
苦しい時には、自分一人でやろうとしていないか振り返ってみて。 誰だって自分の力だけでやることには限界があるもの。 一人で運べる物は一人で運べばいいし、二人で運ぶ物なら二人で運べばいいんだ。 一人で耐えることよりも、誰かを頼ることも立派な手段だよ。
わかっても、学んでも、悟っても、一朝一夕で自分を変えることはできない。 頭で理解することと体がついてくることとは、また別の話だ。 だから焦らず、一歩ずつ、一歩ずつ。 人と比べず、落胆しないで、階段を一段ずつ上がるよう段階ごとに成長していけばいいんだよ。
人生、だめな時も必要なんだなぁ。雨がなければ穀物は育たないように、上手くいかない事を経験してこそ成長できる時がある。ちょっと道を間違えて、痛い目をみたから学べたこともある。間違えたままじゃ困るけど、それを通して学べた事、反省してより良くなれた事があるならそれもいいんじゃないかな
「失敗しちゃいけない」 「間違えちゃいけない」 なんて、自分で自分を縛らなくたっていいんだ。 誰だって失敗だらけで、間違いだらけで、それでも今を生きているから。 失敗したって間違えたって、またやり直して前進すればいい。
プライドは間違いを隠蔽する為じゃなく、 潔く過ちを悔い改めて名誉挽回する事に使えばいいと思うの 罪は償う 足りなかったものは補う できなかった事は人の手も借りてやる そうして間違いを改める事にも 少し寛容になれたらいいよね 罪も足りなさもできなかった事も隠していたら、何にもならないよ
人生、何一つ間違えずに生きられる人は一人もいない。 もし「自分はいつでも正しい」という人がいるのなら、その考え自体が間違いだ。 だから間違いのない人になろうとするよりは、間違える前に自分を点検できる人になることだ。 間違えたなら、すぐに過ちを認めて改める人になることが大切なんだ。
例えば車のタイヤがパンクしちゃったら、タイヤだけ交換して直すでしょう。 タイヤだけ直せばいいのに車ごと捨てちゃったら、あまりにももったいないでしょう。 でも、人は自分の足りないところ一つをみて、自分を丸ごと諦めようとする。 それって車よりもずっと、もったいないことなんじゃないかな。
人を叩いて優越感に浸るのって、あれ、錯覚だよね。 人って相手を落とすと、相対的に自分が高くなったような気がしちゃうものなんだけどさ。 でも、そんなのは、全部錯覚なわけで。 実際は人を貶したところで1mmだって偉くはなれないんだから、それならお互いのいいとこ見つけてこって。
誰かが邪魔しなくても、自分が自分を止めてしまう事がある。「そんなの無理だよ」「できっこない」「やる資格がない」なんて。でもやってもいない事の結果なんて誰が分かるのか。資格がないなんて誰が決められるのか。やってできたら儲けもの、ダメでもやらないでダメよりやってダメの方が経験値になる
私は弱い。 弱いからちっぽけなことですぐ悩むし、毎日がもがきの連続だ。 でも、だからこそ、答えを探すしかない。 悩んで、もがいて、答えを探して、見つけて一歩ずつ前進していく。 だから、私は弱くて強い。 弱さがあるから人は強くなれるし、もがいた分だけ、前進できるんだ。
どんなに順風満帆だとしても、どんなに理不尽な扱いを受けたとしても、謙虚さを忘れないようにしたい。 誰かを指摘したり物申したりする前に、ほんの一歩、立ち止まってみて。 人間、おかしくなるのは、大体自分が正しいとか誰が正しくないとか言い出した時からだから。
願っていた機会が来たなら、裸足でも駆けていかなければならない。 「私は足りないから」 「まだ準備できていないから」 と言ってる内に、機会は瞬間通り過ぎてしまう。 全てを揃えてから進もうとするより、足りなくても一歩ずつ踏み出してみることだ。 足りないものは行きながら揃えればいいから。
うまくできないことがあった時。 「自分はダメ人間だからできないんだ」って根本から自己否定したり、無条件他人のせいにしたりすると発展がない。 できなかった時の理由探しは、 ①環境が良くなかった。 ②自分には向いていなかった。 ③自分は“まだ”力不足だった。 って考えると次に繋がるよ。
人と同じ方法でできないからって落ち込むことはないんだ。勉強一つとっても皆で勉強会をする方がいい人もいれば一人で自習する方が伸びる人もいる。同じことでもやり方は人それぞれだし、自分にあったやり方がある。人と比べず「私にはこのやり方は合わないんだな」と思ったら別の方法でやればいいんだ
子どもの頃家の方針でテレビ禁止にされていた友だちが、今親元を離れてYouTuberになっていた…!人間あまりにも制限されると、手を離れた途端反動で真反対にぶっ飛んでいくこともあるんだよなって。ある程度の善悪を教えることは大事だけど、その先必要かどうかを決めていくのは本人なんだよね
最近何としても謝らない、間違いを認めない人のニュースが多い気がするなぁ。間違いは無いに越した事はないけど誤ってしまうのは人として当たり前の事で、それを認めない、正さない事の方が問題なんだよな。批判する側も“その問題”だけ指摘せず相手の存在まで否定するのは気をつけた方がいいのかもなぁ
天まで届くような名誉欲があっても 何にもならない。 人はやっぱりほめられたら嬉しいし 誰かに承認されるために がんばってしまう生き物。 でももっとほめられるために ほめられないことをしたら、 意味がなくなってしまうんだ。 そんな当たり前を忘れないように 謙虚さを大切に生きていきたいね。
壁があるということは、その先があるということ。 力を使ってぶち壊してもいいし、知恵を出して乗り越えてもいい。 気長にゆっくり遠回りする人もいれば、一休みしてから穴を掘ってくぐり抜ける人もいる。 前に進む方法に正解なんてない。 「こうあるべき」を捨てて、人生自分らしくいけばいいよね。
コロナで先の見えない不安や差別等でギスギスしがちな世の中だけど、こんな時こそ感謝する心を大切にしたい 家庭や職場で働いて下さっている人に感謝 Twitterで繋がってくれた人達に感謝 そして「ナナチルさん、ペンギンですよ!」とリプやDMで送ってくれる方々にも感謝します😂🐧 #世界ペンギンの日
何でもかんでも自分のせいにしちゃう優しい人がいるけれど。 実際、世の中全てが自己責任では成り立たない。 自分が100%よくやっても相手がちゃんとしてくれなきゃできないこともあるし、相手が上手くできないことまで自分のせいにする必要はない。 責任の切り分けと割り切る心、結構大事だよね。